2021/7/12 9:10

手堅く売れるのは、年末発売のあの特集!表紙登場回数レスラー・ベスト10は!? SHOの表紙に、GLEAT勢が反応!プロレス雑誌表紙考!

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手堅く売れるのは、年末発売のあの特集!表紙登場回数レスラー・ベスト10は!? SHOの表紙に、GLEAT勢が反応!プロレス雑誌表紙考!
5.0

『週刊プロレス』最新号表紙に、GLEAT勢が反応!


 こういう仕事をしていると、よく聞かれるのが、「選手の意外な一面て、ないですか?」という質問である。特にテレビ関係の仕事で聞かれることが多い。おそらく企画上、その素顔や、ギャップの面白さを狙っていこうという算段だと思う。もちろん、聞かれるのは、(テレビが取り上げるほどだから)有名選手が対象なのだが、うち、こう問われたことがあった。「長州選手は?例えば、趣味とか」「う~ん……」……このやりとり自体は10年ほど前なのだが、なかなか難しいクエスチョンだった。現在、Twitter等で露出の激しい長州だが、例えばそれを見て、日々の模様はわかっても、明確に、「これが趣味」というのは露見してない筈である。映画が好きとは聞いたことがあるが、むしろ、こちらはざっくりし過ぎていて(※長州自身、「僕は何でも観ます」と言っていたのを読んだ記憶もあり)、返答に窮したのを覚えている。瞬間、ある場面が浮かんだ。「あ、釣り!釣り、好きみたいですよ」「へぇ~」その線で調査し直していくと山口県徳山市出身の長州、実家の近くには東川が流れ、1kmほど下れば徳山湾に出られ、よく釣りを嗜んだという。夜釣りにも繰り出したというから、本格的だった。ところで、なぜ筆者がそれを急に思い出したかと言えば、長州がでかいカツオを釣り上げている表紙のプロレス雑誌の記憶があったからである。それは、『週刊プロレス』1984年10月30日号であった。

『週刊プロレス』最新号(2021年7月21日号)の表紙が、ちょっとした話題になっている。先週7月1日に『GLEAT』が正式に旗揚げしたのは周知と思うが、表紙を飾ったのが、メインで勝利したSHO(新日本プロレス)だったのである。これについて、GLEAT側も反応がふんぷん。『結果が全て。ただGLEATには、団体には申し訳ない。こんな悔しいことはない。必ず、自力で表紙に這い上がったる』(伊藤貴則)、『ずいぶん悶々とさせられる表紙だな#GLEATの旗揚げ戦 1回しかない大事な旗揚げ戦』(田中稔)、『何十年かぶりにエッジの効いた表紙を拝見しましたよ。自力を思い知らせていただいて感謝です。』(鈴木裕之)etc。いずれも、GLEATの、当日のSHOの対戦相手、主力、代表取締役社長がTwitterにて呟いたもの。表紙に打たれた以下の見出しにも一因があったと見られる。『Uを貫く新日本の矢』。SNS時代とされる昨今ではあるが、雑誌の表紙、その威容に改めて感じ入った次第である。

 今回の当欄は、『プロレス雑誌表紙考』としてお送りしたい。

『週刊ゴング』表紙登場回数ベスト10は!?


 のっけから私的な話題にしてしまい恐縮だが、実は『週刊プロレス』派でなく、『週刊ゴング』派だった筆者。後者の雑誌も、徐々に知る人が少なくなっているとは思うが、1984年から2007年まであったプロレス専門誌である。週刊プロレスに比べ、客観的かつ、(特に初期は)硬派な作りに定評があった。同誌好きあいまって、その後続誌ではお世話になったし、休刊時には別誌に、『週刊ゴング・レスラー表紙登場回数ランキング』などを、地道に数えて拙筆した筆者だが、なお、上位10傑は、長州、猪木、天龍、武藤(ムタ含む)、前田日明、橋本、三沢、蝶野、高田(高田総統、ジ・エスペランサー含む)、藤波であった。ところで、このランキング、実は週刊プロレスのそれと、変わりがあるかと言えば、少なくともゴング休刊の2007年までは、そう変わりはない。週刊プロレスの方は1983年発刊だから、1年先輩ではあるが、表紙で扱う選手に、大勢を占めるほどの違いはなかったのである。

 ところがである。売上的には一時、週刊プロレスがゴングを圧倒した。2009年の、同誌発行元『ベースボール・マガジン社』池田哲雄社長の発言を紐解こう。「週刊プロレスなんて、バブルの終わるころ、94年あたりは今の5倍も出てたんですよ」(『デイリー・スポーツ』2009年9月21日付)つまり、2009年は、その当時の2割しか売れてないということだが、これはどちらかというと、当時の売れ方の方が異常だったと言えよう。

 そう、この時期は、週刊プロレスがゴングを圧倒した。そもそもの内容や販路の違いもあろうが、その数ある一因が、同誌の表紙のインパクトにあったのも否定出来まい。

 そう、時は2代目編集長、ターザン山本氏の時代であった。

5倍売れた?ターザン山本編集長時代の週刊プロレス!


 山本氏は、1987年に2代目編集長に就任。表紙に「どうしても気になる」見出しを大書。その色は主に、ショッキングピンクやイエローやオレンジ。これは本人にもうかがったが、「プロレス誌らしくなく、それでいて最も目立つ色」を選んだそうである。『週プロ』を、実は当時読んでなかった筆者であっても、すぐさま思い出せる、覚醒的な見出しの数々。『Sは鈴木実だった』(第二次UWFに新日本から移籍する選手Sの明示。1989年4月11日号)、『ついにSがUを捕獲した』(SWSが元UWFの藤原組と提携したことについて。1991年2月19日号)etc。週刊プロレスの現編集長である湯沢氏もこの時期の週刊プロレスの愛読者と聞いており、つまりは今回の『Uを貫く……』なる見出しも、どこかこの時期をリプライズした印象があった。逆に言えば、“往年の週プロらしさ”を、感じなくもなかった。

 因みに、プロレスショップ『闘道館』によれば、人気のバックナンバーは、ブルーザー・ブロディの逝去を、月に吠えるブロディのイラストで知らせる表紙のそれだとか(1988年8月9日号)。また、仕事上、各雑誌の売り上げデータを、ざっくりとした形で視認出来るのだが、6年ほど前、こちらも別仕事で、週刊プロレスのデータも視認したところ、年末年始に、必ず売り上げが伸びていた。筆者はてっきり、『1・4ドーム』を報じる号の売り上げだろうと思ったのだが、よくよくデータを精査すると、その前の月、つまり、12月の方が売上が大きい。こちらは、この時期に発売される『選手名鑑』収録号の売り上げだったようだ。手堅く、高い人気を誇るコンテンツと言って良いだろう。

 なお、筆者は、そのターザン山本氏の、同誌編集長時代の告白本を作るのに力添えしたことがあるのだが、筆者の仕事は主に、頂いた原稿に、事実として間違いがないか最終チェックする役。同書には、当時の表紙を、インディー系からの求めに応じ、山本氏が謝礼の形で売買していたことなど明示され、「ありゃりゃ、こんなドス黒い背景というか、大人の事情が」と思い、呆れつつもチェックしていたのだが、その表紙に心酔していた、数が少なくないだろう読者の気持ちは今でも気にかかる。会場に観戦に行き、「次の週プロの表紙、楽しみだな」という声を、何度も聞いたので。

 余談だが、山本氏もその作業をするデザイン事務所の『A』なる場所にいたのだが、お酒を飲んでもっぱら長椅子で就寝。それは良いのだが、例えば、『馬場さんが、全日本プロレスの選手を新日本に貸し出すことになり(※1990年2月)、私はそこで『なら、御礼に、スティーブ・ウィリアムスを新日本から借りたらどうですか?』と進言したのである』という文があったので、「山本さん、これ、時系列としてオカシイですよ。全日本の選手の貸し出しが決定したのはリック・フレアーの来日が中止になった1990年1月。ウィリアムスの全日本登場の一報はこの前の月ですし……」と、それこそこちらも進言すると、「そうなの!? じゃあ、そう直しておいてよ!」。(じゃあそもそも、ここに書いてあることは、一体なんなんだよ!)と思ったが、一事が万事、この調子。持って他山の石にしたく思った。

 因みに山本氏は、誌面での横暴が過ぎ、新日本を始めとする各団体から取材拒否され、1996年に退陣するが、その際の新日本側の書面には、取材拒否にする理由が書いていなかったという。しかし、だからこそ山本氏は、新日本側の本気を感じたという。理由がなければ、反論も落としどころも付けられないためであった。

依然、注目高き、『週刊プロレス』表紙。


 さて、昨今の『週刊プロレス』表紙事情だが、ピンポイントで、世間的に注目になったものも。2013年9月18日号には、野田佳彦・元首相が登場。氏のプロレス好きは有名だが、実は創刊30周年を記念してのオファー。「猪木のナックルアローより早く」返事をしようと思ったという野田氏。もちろん首相経験者の同誌表紙登場は初めてだった。遡る20周年の2003年には、まさにこの表紙のうち、117枚を選び、カードにした『週刊プロレス20周年記念カード』(1パック5枚入りで400円(税別))が発売。2011年の東日本大震災の際は、東北の英雄、ザ・グレート・サスケを表紙に持ってきたことも話題となった。因みに、ここ10年ほどは規制面で、流血試合はなかなか表紙に出来ない事情もあるようだ。

 一方で、冒頭のような一件は、今回ばかりではない。実を言って、週刊プロレスの表紙は、未だ、選手の注目の的なのだ。少し挙げただけでも、

・2007年9月26日号。ノアへの不満を語る秋山準が表紙も、自らのブログで「表紙は勝った丸藤でしょ!」とした(※丸藤は直近の日本武道館大会で『GHCヘビー級王座次期挑戦者決定リーグ戦』に優勝)

・2010年5月19日号で、自らのIWGP王座奪取が表紙にならなかったことに、真壁が異議。後の同誌にそのインタビュー掲載(なお、件の表紙は、秋山準と高山善廣のグローバルリーグ決勝)。

・2010年9月8日号、WWE公演で表紙となったヨシタツに、クリス・ジェリコがハウスショーで腹いせに襲撃?『ふり向くとそこにはジェリコが!直後にコードブレイカーを食らい、あとは覚えていません。ジェリコは僕がピンで週刊プロレスの表紙になっているということに怒っていると伝え聞きました』(『WWEスーパースターYoshi Tatsu公式ブログ~Sanctuary~ | スポーツナビ+』より)

 実はこれ以降もまだまだあるのだが、日付に注目して頂きたい。『週刊ゴング』が休刊となった後、かような発言が目立ってきたのである。もちろん、SNS時代の台頭もあろうが。言うまでもなく、プロレス専門週刊誌は、いまや『週刊プロレス』1誌。それを選手、団体サイドが気にするのは、ある意味、当然のことであり、プロとして健全なことと言えまいか。

 出版不況と言われて久しいが、実は昨年のコロナ禍より、巣篭り需要か、業界全体として見れば堅実に売り上げを伸ばして来ている。週刊プロレスの表紙が話題になることで、業界が盛り上がるのであれば、それも良いことだと思う。刺激が過ぎず、そっれでいておもねらず、不即不離の関係に、ぜひ期待したい。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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