2016/4/29 20:31
「暴動寸前の会場を収めたリングアナ」【後世に残したいプロレス史】
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1989年11月の新日本プロレス・後楽園大会。
この大会ではアメリカやヨーロッパで実績を作り、海外衛星からから凱旋してきた蝶野正洋が橋本真也とタッグで対戦。
しかし、僅か2分で、蝶野は反則負けを喫した。
蝶野曰く、気合いが空回りしてしまった若気の至りだったという。
好勝負を期待していたファンはこの結末に激怒!
怒号が飛び交うリング上は暴動寸前だった。
そんな中で、田中秀和(現・田中ケロ)リングアナが涙ながらに謝罪をして、その場を収めた。
「自分が首をかけて(上と)話し合います。こんな試合、新日本プロレスじゃないですよ!」
新日本への愛に溢れた田中リングアナの言葉は、ファンの共感を呼んだ。
この記事を書いたライター: ジャスト日本
コメント
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TPGがベイダー連れて来て猪木vs長州がまともな試合にならなかった時も、ケロちゃんが泣いて土下座しましたっけね…。
(2016/5/1 16:01)