2021/11/15 11:59

『ハッスル』ポーズの新バージョンも発案!魔裟斗も心酔!意外と関係大!? プロレス・格闘技と細木数子

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数々のプロレスラーとも共演。


 今でこそプロレスの原稿は、インタビューものやドキュメントものの依頼が多いのだが、2000年代当時は、かなり振れ幅が大きかった。いわゆる企画ものも多く、例えば角界出身レスラーをその番付ごとに並べたり、凶器をその種別ごとにカテゴライズしたものである。うち、未遂に終わったそれとして、以下があった。

「レスラーの改名は、効果があるのか?」

 筆者のこの名前(瑞 佐富郎)自体が筆名であり、しかも、(経費節減のため)自分で姓名判断を精査してつけたペンネームなこともあり、興味が増した経緯もあった。結局、あまた挙げた企画案の中に埋もれてしまったが、さて、どうだろう?今でも天山広吉(元は本名の山本広吉)は効果があった一つと個人的に思っているのだが。因みに西村修が凱旋当初、『大猷(だいゆう)修』に改名する案があったのだが、実践されていればファイトスタイルも含め、何か変化があったのかは少し気にかかる。さらに付け加えると、ケンドー・カシンは凱旋当初、『ケンドー・カ・シン』だった。つまり、『シン選手』であり、こちらはカシンと合体させて正解だったかも知れない。

 占星術家、細木数子さんの訃報が10日、明らかになった(逝去は8日)。2000年代中盤より、『視聴率女王』の異名を取り、数々の有名人を番組にて鑑定。時に豪快な毒舌で切って来た御仁である。当然、その中にはプロレスラー&格闘家も。しかも、少なからず影響を与えているのである。
 今回は弔意も込め、プロレス&格闘技と細木数子さんというテーマでお送りしたい。

vsプロレスラー。初戦は猪木!


 細木さんの占いに1990年代、はまっていた友人がいた。友人が言うには、「とにかく予約が取りにくい。取れたらラッキー」ということだったが、実際、この時点で、もう何か月も先まで予約が入っている人気占い師だったようだ。よって、2000年代、テレビ番組としてこちらがフォーマット化されると、「頼んでもないのに診て貰いたがるタレントの売り込みが殺到した」とは、知己のテレビ関係者の話である。

 本人が希望したわけではないだろうし、記憶違いなら恐縮だが、おそらく最初にテレビで鑑定されたプロレスラーはアントニオ猪木だったと思う(2004年7月4日放送。TBS『史上最強の占いバトル細木数子VSウンナン!超有名人100人怒濤の運命メッタ斬りSP!』)。というのは、当時は彼女の番組はレギュラー化されておらず、あくまで特番扱い。年に数回程度テレビの仕事をする筆者がこの時、TBSに入ると、高視聴率をあげた番組がその数字とともに貼りだされている紙に、同番組があったのである。その数『25.2%』。結局、年間の視聴率ランキングにも出てたくらいなのでよく覚えているのだが、テレビ離れが本格的に言われる前とは言え、大変な数字である。もっとも筆者はあっけらかんと、(あ、猪木、出てたやつだな。猪木人気も寄与したかな?)と思ったくらいなのだが、この翌月の8月から、彼女の代表的レギュラー番組『ズバリ言うわよ!』が開始。もちろん前出の番組の好視聴率を受けてのものだった。余談だが、8月にレギュラー番組が始まるのは稀有な例のため、どれほど勢いがあったかということになる。

 さて、この時の猪木だが、細木数子が猪木の女性遍歴を挙げ、「男としては弱い」「大変な甘えん坊」と叱咤。とはいえ、猪木は、いつものように柳に風という感じで、どちらかというと組みし合おうとせずに終わった印象。当時は、それほど先方も舌鋒が鋭くなかったこともあるかも知れない。

 だが、以降、人気と認知が上がるに連れ、状況も変化。その毒舌にまぶされる選手も出てきたのである。

vs神取、vs高田、vs長州にvs前田!


 有名なのが神取忍(『ズバリ言うわよ!』2007年6月19日放送分)。「アンタ、おナベ?」「恋愛経験あるの?」と、言いたい放題。さらには、伝説化している天龍との一騎討ち(2000年7月2日)のビデオを観て、「あんた、馬鹿なんだね~」。これが「地獄に落ちるわよ」と並ぶ、当時のキラーワードだったとは言え、この時点でプロレスファンならチャンネルを変えたのでは……。そして言うには、「子供が真似したらどうするの!?」。それを言われると言われた方は立つ瀬がないし、そもそもその定式に当てはめるのは無理があると思うのだが。筆者は正直、プロレスラー登場時しか観てなかったが、それでもかなり聞いたので、いずれにせよ、これも相当の定番台詞だったと思われる。結局、当時、国会議員だった神取に、「2足のわらじは無理。プロレスを辞めなさい」として終了。それでも「プロレスは辞めません」とする神取に、一筋の光を見た。

 逆に、意外にも細木の提言に従順だったのは高田延彦(同上。2007年10月23日放送分)。中学時代、猪木に憧れ、勉強そっちのけでトレーニングに打ち込んだことを言うと、「子供が観てたらどうする!?」の常套句に、「勉強しないと苦労すると言いなさい!」。すると高田は、「ハイ」。新幹線の中で酒宴したことを「絶対にお辞めなさい」とされると、「ハイ」。個人的には細木が出だし、「私はプロレスが好きで、昔から結構観てるけれど、あなたさぁ、ちょっと最近、だらしないんじゃないの?」と言ったのがかなり強力な心象だったのだが(当時の高田は『ハッスル』で高田総統を演じていた)。結局、「全てにおいて、無理をしている」と、なんとも意味深長な診断がなされていた。

 もちろん、動じない面々も。特番の『新年もズバリ言うわよ!』(2006年1月3日放送分)では、家族仲が上手くいかないという長州に、「自分から心を開いて」と言う細木先生。さっぱり普通の相談室になっており、珍しいことではないが、そもそも長州自身が番組に気乗りしていない様子。無理に長州に相談させている印象が残った。前田日明の出演回(フジテレビ『幸せって何だっけ~カズカズの宝話~』2007年11月9日放送分)では、珍しく、前田の奥さんにアンケート調査を敢行し、「パパとしては100点満点」という言葉を引き出し、相好を崩す前田。ラストも、「今後はお金には苦労しない」という見立て。『ズバリ言うわよ!』とは違う番組ゆえ、牧歌的な雰囲気もただよった。ただ、注視せざるをえなかったのが、出だしで細木が「儒教の精神を持ってるんじゃなかったの?」と前田に言ったこと。前田が登場時、細木の前を横切ったことをそう咎めたのだが、前田のそういった資質は、自伝の類を呼んだファンには有名かも知れないが、ある程度、恣意的に調べなければわからないことでもある。そう、テレビでは珍しくもないが、細木数子の番組は事前のリサーチが緻密で、占術というよりは、それに沿った対応がなされていたのである。何度かテレビの仕事で漏れ聞いたこちらの外聞があり、改めてその意を強くしたが、それと実際の占術はまた別だし、そちらの評価を落とすものでもない。それだけに、もう一つ最後に前田に言った、「後輩には愛を持って接しなさい」という言葉も、前田の概況を捉えてはいた。しかし、だからこそ、前田自身がそれについてどう思っているのかを、仔細に聞き出してほしかった気はする。まあ、ファンや記者の欲に過ぎないかも知れないが。

新『ハッスル』ポーズを提案!


 そして、完全に受け入れた面々も。2005年9月27日放送の『ズバリ言うわよ!!』の特番では、小川直也が登場。案の定と言ってはなんだが、『ハッスル』ポーズを否定されていたが、その細木に、自らの道場設立について相談する小川。すると、「来年の1月7日以降にしなさい」とのお告げ。小川はこれを聞き入れ、本来なら年内オープンする予定だった『小川道場』を、翌年スタートさせた。「いやあ、細木先生に言われたんでね」と、道場の取材時にこともなげに答えた小川だった。

 もう1人は魔裟斗。実は有名な風水好きで、毎朝、(風水的に良い)桃を食べ、朝のランニングは、その日の吉方位の神社まで行くという徹底ぶり。洋式トイレの蓋が閉まってないなど、ご法度だ(※風水的には禁忌の行為とされる)。その魔裟斗、細木の番組にも何度も出演しているのだが、ここはそちらを離れ、2006年大晦日、K-1の大会に出場した時の言葉を紐解こう。当日は鈴木悟に2ラウンドKO勝ちした魔裟斗だが、試合後のコメントは以下だった。「来年からだね、俺の年は。今年で大殺界の辛い3年が終わるんで。細木数子さん?そうそう、細木さんにそう言われて。だから本当は、今日の試合もやりたくなかったんだけどね(笑)」更に、「今も(細木さんと)電話で話したんですけど。『おめでとう』って言ってくれて。来年からは、俺、イケイケな運気らしいから……」ツーカーの仲なのであった。

 ところで、前述のように、2005年9月の番組でハッスルポーズを否定された小川だが、翌年1月3日、またも細木数子の番組に登場。先の長州と同じ番組だったのだが(ただし同席は無し)、そこで小川が、こんな内容を持ちかけた。「ハッスルポーズにかわる、新しいポーズがあれば……」。結果、細木は、以下のポーズを提案した。

「①両手を開き、お腹にあて、『パワー』と言う。②次に、『アップで』と続けつつ、拳を握りガッツポーズ。続けて、両手を開いた万歳ポーズとともに、『オー!』と雄たけび」。略して、『パワーアップで、オー!』ポーズ。小川は「次から使います」と言っていたが、明らかに苦笑いで、目も泳ぎ気味だった。

 そして、こちらは放送から1週間後の1月10日、早くもハッスルの会見の場で披露された。やっていたのは、小川と敵対していた鈴木浩子GMと夫・鈴木健想であった……。

 内部では半ば定式化した評価だが、番組収録が終わると、まるで別人だったという細木さん。「優しい」「穏やか」「温かい」etc。筆者は仕事で同席したことはなかったが、大きな番組を長期に渡って続けられるのは、結局は人柄がなければとても無理だということをわかり始めた時期だったし、意を得た心象はあった。どこか、リングを降りれば別人のプロレスラーたちに、細木さんもシンパシーを感じてたのではないか。ご冥福をお祈りします。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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