2021/11/8 11:53

入場曲がオリコン2位は本当?伝説のドロップキック22連発を受けた相手とは?秋の叙勲受章!ミル・マスカラス特集!

閲覧数:

入場曲がオリコン2位は本当?伝説のドロップキック22連発を受けた相手とは?秋の叙勲受章!ミル・マスカラス特集!
5.0
最新のコメントに移動

日本政府より、旭日双光章受賞!


 2000年代中頃のことだ。ある有名プロレス編集者が倒れられた。筆者もかなり気を揉んでいたのだが、そこに、ルチャ好きで知られる、ある編集者が現れたことがあった。見舞いに来たのかと思った家人は、その一言目に仰天したという。

「貸していたミル・マスカラスのマスク、返して下さい」

 治療にあたっていたこれまた別の編集者は大変怒ってらしたが、もちろんどちらも知己であり、かつ若輩者の筆者は、何ともリアクションしようがなかった。ただただ、マスカラスのマスク人気と、その貴重性が脳にこびりついた次第だった。

 11月3日、日本政府が、2021年秋の叙勲受章者を発表。ミル・マスカラスの名が、その中にあった。受賞したのは、2017年にザ・デストロイヤーも名を連ねた、旭日双光章。「国家、または公共に対し、勲績ある者」に授けられるもので、母国メキシコのみならず、日本のプロレス界でのあり余る人気が証明されたといったところだろう。

 今回はこの受賞を記念し、ミル・マスカラス特集としてお送りしたい。

来日前から、ブームを呼んだ男!


 1971年に初来日。初戦を星野勘太郎が務めたのは有名で、その小気味良いファイトとがっちりスイング。ドロップキック3連発や、フィニッシュのダイビングボディアタック含め、当時、空中殺法の余り見られなかった日本のファンの度肝を抜き、センセーショナルな初陣となった。そう、人気爆発の要因は、一つはその空中殺法の披露にあっただろう。何せ、日本における全盛期とされる1970年代後半は、「リングに足が付いている時間より、空中にいる時間の方が長い」と言われた選手である。もちろん、実際はそんなことはないと思う。だが、ドロップキックの連発記録を持っているのが彼であり、それが22連発と聞くと、そんな表現も誇大には思えなくなって来るのだった。因みに、都市伝説ともされるこの記録だが、データはしっかりしており、1969年6月15日、ロサンゼルスのオリンピック・オーデトリアムでのこと。フォール負けする22発目まで立ち上がってきた受け手も凄いと思うのだが、それもその筈。相手は同じ旭日双光章コンビの、ザ・デストロイヤーだった。しかし、当時の記録を精査して、更に筆者が驚いたのが、これが3本勝負の1本目だったことである……。

 ところで、日本初戦での人気爆発は、必ずしも星野戦のお陰だけではない。実は、来日前に、既に日本のプロレス雑誌が、何度も特集を組んでいたのだ。それは往年の専門誌『ゴング』。編集長(当時)の竹内宏介さんが、極度のマスカラス好きだったのだ。よって、初来日で降り立った東京国際空港には、早くも100人近いファンが詰めかけていた。先んじるが、マスカラス人気に合わせ、『ゴング』も部数が増大。一時期は、「ゴングのマスカラスか、マスカラスのゴングか」と言われるほどの、誌面の中心人物だった。調べてみたが、そのピークは1977年。当時、『月刊ゴング』と『別冊ゴング』の2冊体制だったのだが、前者は4、5、7、10月号の表紙に、後者は5、6、8、10月号の表紙に登場している。嫌でもゴング=マスカラスのイメージになるわけだった。

 そしてまた、意外なところからも、その人気に火が点いた。それが入場曲『スカイハイ』のヒットである。

『スカイ・ハイ』殊勲の2位!では1位は?


 イングランド出身のバンド『ジグソー』が発表したボーカル入り曲『スカイ・ハイ』。こちらもよく、「日本でのレコード売上で2位になった」という噂が上り、調査好きの筆者としては仕事も兼ね、調べてみたのだが、事実も事実。先ず、1977年3月21日付の『オリコン』ランキングでベスト20(11位)入りしたかと思うと、次週より4月中に渡りベスト5内を席巻。その最高位が4月4日付けの2位であった(因みに1位はピンクレディーの『カルメン』)。そして、最終的なベスト100内在位期間は62週(約1年2か月!)、総売上枚数は56万8,240枚と、堂々の数字を残したのであった。

 ところでこの『スカイ・ハイ』、実はもともと、同名のオーストラリア&香港合作映画(原題は「THE MAN FROM HONG KONG」)のサウンドトラックの一部として、1975年10月21日に日本でシングルカット。当時のジャケットは同映画のポスターを合成したものだった。

 それがなぜ2年後の1977年に再び売れ始めたかというと、もちろんマスカラス効果。同年2月19日の後楽園ホール大会でマスカラスの入場テーマに初使用され(カードは「馬場&デストロイヤーvsマスカラス&ロン・バス」)、以降、マスカラスは3週連続でテレビ登場。この頃、彼が参加していた全日本プロレスは、土曜日の夜7時より中継されており、これに乗じて、レコード会社(ビクター)も『スカイ・ハイ』のシングル盤のジャケットをマスカラスがフライングクロスチョップを炸裂させる写真に変更。さらに3月19日放送分では、マスカラスと、これも人気者、ザ・デストロイヤーとの一騎打ちが録画放映され(試合は3月11日)、チャートも一気にジャンプアップしたのだった。

 間違いなく“プロレス効果”での2位獲得は、プロレス・カルチャー史に燦然と輝く栄誉。因みに、この77年当時、小学6年生で、軟式野球に勤しみつつプロレス中継を観るのに燃えていたのが、元阪神タイガースの代打の神様、八木宏さん。中学の文化祭の出しものでマスカラス兄弟の出しものをするほどプロレス好きだった彼が、引退まで打席での入場曲に使い続けたのが、この『スカイ・ハイ』だった。

日本では、夏の風物詩!


 そして何よりその人気を決定付けたのは、マスクマンとしての属性。そのマスクは、今持って絶大かつ、天井知らずの人気があり、特に往年のマスクマン職人が手掛けたものは、ちょっとした宝石レベルの価値。なお、数ある彼のマスクの中で、最も高価とされているのは、1969年11月にNWA世界ヘビー級選手権(王者はドリー・ファンク・ジュニア)に挑戦した時の、虎柄のマスク(通称タイガー・マスク)。何と300万円は下らないとか。ただ、この数字とて、2000年頃のデータなので、今は400万円はおろか、500万円を越えるかも……。因みに、筆者の知り合いのノンフィクションライターが、「それより価値がある」と力説しているのが、先に触れた星野勘太郎戦、つまり日本初登場時のマスク。価値のほどは筆者には断定出来ないが、いずれにせよ、その方も、当時の関係者へのインタビュー含め、八方手を尽くして探したのだが、見つからないそうである。お持ちの方は一報を。

 マスカラスのマスクは他のレスラーとは違い、ラメの下にサテン地という二重構造で、通気性は悪いが、丈夫であり、それゆえ、マニア人気も一層高いのである。とはいえ、マスカラス自身もそのことを十分承知している故か、ファンが粗雑な偽物マスクにサインをねだると、そのマスクを目の前で破いてしまうこともあったとか……。

 そう、ミル・マスカラスというのは、ファンならご存じ、『千の顔』の意味。リングネーム宜しく、毎試合マスクを変える趣向も、その人気を決定付けた。因みに、弟のドス・カラスが『2つの顔』という語意。以前、『パタリロ!』というアニメを観ていたら、そちらに現れた怪盗の名が、『ミル・カラス』という、プロレスファンからすれば兄弟を混ぜ合わせた命名で笑ってしまったのだが、後年、大学でスペイン語を履修してみてビックリ。これを直訳すると、こちらも『千の顔』となるのである。では、マスカラスのマス、というのはどういう意味なのかというと、こちらも『千』の意味であった。つまり、直訳では、『千の、千の顔』なのである。一種の強調がなされているわけだが、なぜ単純に、『ミル・カラス』にしなかったのかと思うと、ふと、思い当たることがあった。試合前、マスカラスは2枚のマスクをしている。うち、表側を、リングアナのコールとともに、客席に投げる。いわゆるオーバーマスクであり、ファンサービスの一環だが、これを勘案して、千を2つ付けた命名なのかもと夢想したりもしたものである。

 日本プロレス、そして、それに続く全日本プロレスに22回来日。うち9回が夏のシリーズであり、いわば夏の風物詩。入場時に実況席に寄り、視聴者プレゼント用のマスクを進呈など、オールドファンには、その応募も含め、思い出の多い選手だろう。1977年には、ジャンボ鶴田との一騎討ちでプロレス大賞ベストバウトを授賞(8月25日・田園コロシアム)。1979年にはプロレス初の『夢のオールスター戦』のセミファイナルで、ジャンボ鶴田&藤波辰巳(現・辰爾)とトリオを結成(vsマサ斎藤&キム・ドク&高千穂明久)などなど、日本マットに寄与した功績は計り知れない。1980年代半ば、一時、グラウンド中心の攻めに切り替えたこともあったが、素晴らしいマットさばきに、調べてみれば、アマレスでオリンピック候補になったほどの実力者。「シュートにも滅法強い」という先輩記者評が思い出される。また、これは以前も書いたが、メキシコにて、ミル・マスカラスの復帰戦の相手を務めた日本人レスラーが言っていた。「マスカラスはねえ、本当に、自分の試合の始まる数分前に会場入りするんですよねえ(苦笑)。相手としては、常に出たとこ勝負なんですね(笑)」。言うなれば完全なセレブ扱い。これは1970年代後半から変わらぬようで、その品格を現在も保ち続けているのは、驚嘆に値するし、海を越えての今回の日本での受賞を嬉しく思う。竹内宏介さんも泉下でお喜びのことと思う。

 その竹内さんが編集し、1984年からは週刊化された『週刊ゴング』は、2003年12月、通算1000号を達成。表紙は、額に『1000』の数字が刻印された特別マスク仕様の、マスカラスだった。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

コメント

最新のコメントに移動
  • カルメン77
    それと、
    八木裕ね。
    八木宏は、剛竜馬?

    ID:20830117 [通報]
    (2021/11/11 23:52)
    0 0
    賛成:0% / 反対:0%

    Loading...


おすすめ記事

新しいコメントを投稿する

 [PCから画像ファイルをアップロード]

関連付けられたタグ

なし
[タグを付ける]

<< 一覧に戻る