2021/3/8 10:42

1回切りの使用に終わった理由!球場外で行われた、謎のマスクマン対決!新日本プロレスが29年ぶりにチャレンジ!『横浜スタジアムとプロレス」!

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5月15日(土)に、新日本プロレス初進出!


 プロレス観戦において、その会場の最寄り駅で降りる際、思うことはファンもマスコミも同じだと思う。

(今、降りる中の何人くらいが、同じ会場に向かうのだろう?)

 例えば、3月3日、4日もおこなわれた日本武道館大会(スターダム、及び新日本プロレス)なら、荒っぽい言い方を許して頂ければ、降りる客の大半はプロレス観戦とみてよいと思う。むろん試合の開始前、数時間内限定だが。「なんだ。それを言えば、ほとんどのプロレス大会の場合は、そうじゃないか」と言われるかも知れないし、事実、そうだろう。ところが、その予想が会場寸前で外れる場合もあるのである。

 東京は代々木第二競技場でプロレスがおこなわれた時だ。最寄りの原宿駅で、大袈裟でなく、数百人レベルの客が降りた。会場の前まで、彼らと一緒だった。(おお、これは、今日は大入りだな)なんて、団体側のようなことを思った。ところが、大半の客が、そこから右に曲がって行った。隣の代々木第一競技場で、人気アーティストのライブがおこなわれていたのである。隣接する会場ならではの展開。第二の収容人員は約3500人で、第一は約1万1千人。よって、第一の方でプロレスがおこなわれる場合(WWEなど)は、どこか誇らしい気がしたものである。でも、そういう時は得てして、第二では何も行われてないことが多かったが……。同様に、後楽園ホールと東京ドームも隣接。こちらに向かう橋(『後楽園ブリッジ』という)を渡るまでは、目指す方向は一緒。真っすぐ進めば東京ドーム。先の階段を下りると、後楽園ホールということになる。

 そして、横浜はJRの関内駅でも、同じことが。メインの南改札を出て、右に行けば、プロレスファン。左に行けば、プロ野球ファンという流れが、往々にしてあった。右方に横浜文化体育館(現在はほぼ同位置に、横浜武道館)、左方に横浜スタジアムがあるためである。野球の仕事も頂くこともあり、左に行く際は、思ったものである。

(横浜スタジアムでも、もっとプロレスやれば、いいのにな)

 3月4日、大発表がなされた。前出の新日本プロレスの日本武道館大会において、2つのスタジアム興行が同時告知。5月15日(土)に横浜スタジアム大会、5月29日(土)に東京ドーム大会がおこなわれることが決定したのだ。既報通り、プロレス界において横浜スタジアム大会は1992年のFMWのそれ以来であり、新日本プロレスでは初使用。興味は尽きない。

 今回の当欄は、『横浜スタジアムとプロレス』としてお送りしたい。

1回切りの使用に終わった理由。


 先ず、今までで唯一の横浜スタジアム大会である、FMWの興行だ。こちらは1992年9月19日(土)に開催。大会名はその名も『邪道』だが、『FMW3周年記念興行』という副題も付いていた。FMWは1989年の10月に旗揚げ。僅か3年で、このスタジアム興行を催したことになる。

 伏線はあった。前年1991年の9月23日(月・祝)にFMWは初のスタジアム大会を挙行。つまり、こちらは旗揚げ2周年を記念しての開催。実はFMWが団体として1万人以上入る会場を使用するのは、これが初めてだった(※ロックとのコラボイベント除く)。つまり、バクチだったのだ。「川崎球場大会をやる」と大仁田が言った時、「駐車場でですか?」と、子飼いの選手が反応したのは語り草。しかも、当日は新日本プロレスが横浜アリーナ大会を開催。2つの会場は電車で20分程度しか離れておらず、興行戦争に。これはFMWが意図したものではなく、単純に電流爆破マッチの類が出来る屋外の大きな会場ということでの川崎球場使用だったが、空いている日がこの日しかなかったのである。使用料は約800万円、普段はグラウンドであるアリーナ部分使用やメインのデスマッチ形式を含む会場設営費に1500万円ほどかかったという。果たして、当日のラインアップに、後にFMWを賑わすことになるザ・シークやテリー・ファンクなどの大物外国人はおらず、メインはまさに旗揚げからの盟友、ターザン後藤と電流金網デスマッチでの一騎打ち。現有勢力を用い、経費的に抑えた。と言うより、他に経費が使えなかったと言うのが正しいかも知れない。

 ところが、フタを開けてみれば、3万3221人(札止め)の観客が集結。実は内野席の上の方は空いていたりもしたので大袈裟な発表だったが(※これは大仁田も認めている)、大成功は大成功。新日本の横浜アリーナ大会が午後3時開始だったのも、功を奏した。午後7時頃、こちらが終わると、午後6時半開始のFMWの方に、客が掛け持ち宜しく流れてきたのだった。実はこれがバカには出来ず、第4試合あたりから急に客が増え始めたのを覚えている。つまり、それまでは、割と空いていたのだ。

 横浜スタジアム大会は、その余勢を買ってのもの。同時期を過ごしたファンからすれば、FMWと言えば川崎球場というイメージがあるだろうが、少なくともこの時点では、大仁田は「川崎で成功したから、次は横浜スタジアム」と、更なるジャンプアップを狙っていたのだ。より、グレードアップされた横浜スタジアム大会は、開催3ヵ月前の1992年6月23日に発表。開催は前出の通り土曜日だったが、意外にも『雨天決行』となっていた。以前、本欄でUWFインターナショナルの神宮球場大会に触れた時も同じ『雨天決行』だったが、(翌日の)順延日を予約するのは、これはこれで経費的にもかかるのだった。なお、チケット料金は前年の川崎球場大会と同じく、1万円、7千円、5千円と、大イベントの割には良心的だった。

 メインは大仁田vsタイガー・ジェット・シンのノーロープ有刺鉄線地雷爆破デスマッチ。先ごろ訃報が報じられた元WBA・WBC統一世界ヘビー級王者のレオン・スピンクスも参戦し、セミ前には、当時盛り上がっていた女子プロレスの対抗戦(工藤めぐみ&コンバット豊田vsブル中野&北斗晶)も実現。実はザ・シークvsテリー・ファンクも予定されており、こちらは結局幻に終わりつつも豪華ラインアップだったが、観客数は3万人の無印。もちろん数字的には悪くないが、横浜スタジアム使用はこの一回きりなのは、先も言った通りである。

 理由は、思ったほどの大入りにならなかったことではなく、当時の横浜スタジアム側の対応にあった。直前になって、人工芝保護のためのベニヤ板を敷き詰めるよう、FMW側に厳命したのだ。その数約4000枚(大仁田談)。これにより、大会は結局、足が出てしまったのだという(※赤字)。この条件は、今回の新日本プロレスでも活きるのではないだろうか?横浜スタジアムも当時とは会社の体制からして違うし、事前に確認しているとは思うが、ゆめゆめ、FMWの時のような、緊要な対処がないように祈りたい。

 結局、FMWは、翌年5月には2度目の川崎球場大会を開催(以降、常打ち会場化)。この時の大会名は『原点』だった。

迷勝負!? 蝶野vsプロ野球!


 さて、興行としては一回のみの使用となっている横浜スタジアムだが、関東圏かつ、横浜ベイスターズのホーム球場ということで、プロレスにも縁は深く。

 代表的なものが、1997年の、蝶野正洋率いるnWoブーム時。数々の著名人がこちらのファンと称し、構成員となったが、ベイスターズの三浦大輔投手と鈴木尚典選手も同軍団入り。1998年1月4日(東京ドーム)には、蝶野と一緒に花道を歩くは、同月24日には、合同トレーニング。2人から、苦手な球団を阪神タイガース(前年10勝17敗)と聞くと、「それなら俺たちが甲子園に乗り込んで脅してやる!」と、妙な請け負いをする蝶野。実際、本拠地である横浜スタジアムには、前年10月6日に横浜vs中日の試合前、武藤、天山、ヒロ斎藤を引き連れ、“乱入”。4人は一塁側ベンチに陣取ると、もともとファンだった三浦や鈴木はもとより、斎藤隆、駒田徳広、佐々木主浩ら通りかかる選手をつかまえてはnWoTシャツやステッカーをプレゼント。特注の特注のnWoグラブ、乱闘用のnWoバットも渡すのだから凄かった。そして遂に当時の監督である大矢明彦にもアプローチ。実はまさにこの日、同監督は退団を表明したのだが、勢いに乗る蝶野は言った。「これを着てくれれば、これから球団とケンカする時は、オレたちがバックにつきますから」「(球団との話し合いは)もう済んだので大丈夫なんですけど……」(大矢監督)。流石はサッカー通として有名な蝶野。野球の状況には明るくないんだなと思いつつ、ドキドキしていると、それでも大矢監督は、「このTシャツ、ボクが着ていいんですか?ありがたい」とニッコリ。いずれにせよ、布教に成功したのだった。因みに、この時、スポニチ紙で取材してたのが、後に後藤達俊の奥さんとなるS嬢なのだが、まあ、余り関係ないか……。

 その三浦大輔は、今年からベイスターズの監督になるわけだが、橋本真也とも、自宅に招かれるほどの親交が。橋本の逝去の翌日、直近の戦績が3連敗の中、登板すると、登場曲に『爆勝宣言』を採用(※通常は矢沢永吉を使う)。広島相手に、2安打10三振で、なんと6年ぶりの無四球完封勝利。「ウィニングボールは、棺に入れて貰えれば」と、友情の厚さと故人への思いを覗かせた“番長”だった。また、主砲として知られた内川聖一は、佐々木健介、北斗晶夫妻と昵懇。2010年の横浜スタジアムの試合(ホームゲーム)では、佐々木健介の入場テーマ「テイク・ザ・ドリーム~閃光~」を、第1、第3打席に入る前のテーマ曲にしていた。

球場外スペースで、プロレスも!


 そして、なんと、実際にプロレスとコラボした例も。2012年6月10日、横浜スタジアムの球場外の敷地(横浜公園)で、プロレスが実現!そう、この日は、『武藤(610)の日』。そして、武藤は神奈川在住であり、当時、社長を務めていた全日本プロレスも神奈川に道場があるということで、武藤敬司プロデュースの試合が、ナイターである横浜vs楽天の開始前、提供されたのだ。カードは、横浜vs楽天らしく、『マスク・ド・スターVSジ・イーグル』の未知のマスクマン対決。音声で流れる実況の解説には、当の武藤敬司が付き、セコンドにはそれぞれの球団キャラクターであるスターマン、クラッチ&クラッチーナが付く豪華布陣。スターの方には、なぜか「カズ~!」と声援が飛び、イーグルの方は2m近い、まるでK野選手を思わせる出で立ち。それを見て武藤が、「横浜の方をデカい選手にすれば良かったのに……。あっ、でも、プロデュースしたの俺なのか」とナチュラルな武藤節を披露したり、顏がデカすぎるスターマンがロープの間をくぐれず、頭を変形させて出入りするなど(後のアンドレザ・ジャイアントパンダさながらで、)迷場面続出も、大盛り上がり。最後はイーグルがエプロンサイドに顏を出したところにスターマンが頭突きをかまし、スターがシャイニングウィザードを炸裂。7分11秒、片エビ固めで大団円となった。繰り返すが、楽しく盛り上がったし、横浜公園に立錐の余地なく集まった(おそらく主に)プロ野球ファンたちを観て、どこか嬉しくなったのを覚えている。

 遂に、外でなく、久々にあの球場内でプロレスがおこなわれる。新日本プロレスの、新たな名所となるよう、期待して行きたい。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

コメント

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  • 掛け持ちと言えば、

    ある年の8月、後楽園ホールで謙介オフィスの興行を観た後、猛ダッシュで両国国技館に移動したのは良い思い出。

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    (2021/3/8 18:49)
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