2020/12/14 10:44

小橋が暴走行為に一言!怪我を隠した第3世代!キラー・カーン書類送検。プロレスラーと交通事故を考える。

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小橋が暴走行為に一言!怪我を隠した第3世代!キラー・カーン書類送検。プロレスラーと交通事故を考える。
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12月9日に書類送検。


 今年も『プロレス大賞』発表の時が近づいて来たが(12月15日に選考会)、長き歴史の中でも、最もファンの意見が分かれるのは、『ベストバウト』部門だと思う。他の部門は、“1年を通して”という評定がある程度前提とされるが、試合に関してはそのもののみの評価となるためだ。事実、伝説の新日本プロレスvsUWFインターナショナルの全面対抗戦のメイン、武藤敬司vs高田延彦(1995年10月9日)は、その後の影響や人口に膾炙する部分を見ても歴史に残る一戦と言っていいが、この年のベストバウト賞ではない。因みに同年の同賞は、三沢&小橋vs川田&田上(1995年6月9日)。四天王プロレスのピークとされる、内容そのものが評価されたのだろう。その前年は、猪木vs天龍、三沢が馬場からフォール勝ちした、三沢&小橋vs馬場&ハンセン、さらには大仁田vs天龍の電流爆破マッチなどがあったにも関わらず、同賞は、天龍&阿修羅原vs大仁田&ターザン後藤(1994年3月2日)に。こちらは(タッグながら)大仁田が天龍にフォール勝ちしており、そのインパクトに拠るものだったと見る。結果が逆なら、選考はどうなっていたか分からなかっただろう。ところで、そんなビッグマッチの翌日に、天龍が一般紙に報じられたことをご記憶の読者は、ほとんどいないのではないだろうか?『人気プロレスラー 天龍さん追突されけが』(産経新聞・1994年3月4日付)。事故が起こったのは、大仁田との試合の翌日3日の午後1時半頃。渋谷区は道玄坂の国道246号線で、渋滞により停車していた天龍の乗ったワゴン車に、トラックが後ろから衝突。天龍は首に10日間の怪我を負ったという。筆者としては、先述の大仁田のフィニッシュが、危険に思えるほど急角度なサンダーファイヤーパワーボムだったことを思い出し、何となくそれと無意味に結び付けつつも、さりとて、記事が前日の大試合とは一切関係なく報じられていることに、プロレスラーも公人という意を逆に改めて強くしたものだった。

 12月9日、寂しいニュースが報じられた。元プロレスラーのキラー・カーンさん(73)が、歩行する女性を自転車ではねて転倒させるも、本人談によれば、そのまま気付かず自転車を運転。この事故自体は10月18日に起こったものだが、これがひき逃げと見なされ、重過失傷害と道交法違反の疑いで警視庁から書類送検されたのだ。本人は(取材した上の個人的心象では)非常に心優しい人物であるし、どう考えても故意のものであるわけはないと思うが、被害者が歯を折ったという報道もあり、予断も許さない。
 今回の当欄は、『プロレスラーと交通事故』に焦点を当て、考えてみたい。

数多い、プロレスラーの交通禍。


 プロレスラーが交通事故に遭ったケースは、多々ある。昨年も、全日本プロレスの青木篤志選手の、悲しい事故があったばかり。1993年1月には、リング機材トラックに乗車していた『NOW』の新人レスラー、直井敏光選手が、横転事故により永眠。上田馬之助が1996年3月、同じく交通事故により半身不随の重傷を負ったことも知られるところだろう。海外に目を向ければ、国際プロレスで活躍したこともあるシャチ横内選手は、在住していたフランスのセーヌ川に車ごと突っ込み、死去(1982年)。当時は、噂好きのマスコミが“怪死”と報じたが、運転中、心臓発作を起こしてのハンドリング・ミスによる事故だったようだ。親族に関すれば、1997年には、橋本真也の妻の祖母・アサさん(81)が、道路に飛び出した橋本の長女(当時2歳)を助けようとして、トラックにはねられ逝去するという、痛ましい事故も起きている。

 1996年11月1日には、神取忍が乗ったワゴン車に、タクシーが後ろから追突。頚椎捻挫と胸背部打撲で全治3週間の怪我を負った。当然ながら欠場を余儀なくされ、11月25日の大阪大会で復帰したが、試合前、こう呟いていた。「首への攻撃、されたら怖いな……」。事故自体に関しても、こう答えている。「(交通事故は)突然過ぎて、受け身を取るとか、そういう意識はないよ」。これが現実だろう。月並みな視座だが、これが一般人ならなおさらである。今回の件において、「(被害者との接触に関しては、)何かぶつかった感覚はあった」と振り返るカーンさんが、そこまで気が回らなかったのを残念に思うのは、筆者だけではないだろう。

 また、例えば、2004年8月11日には、信号待ちをしていた大仁田厚の乗用車に、後ろの車両がぶつかった事故が(報道されたのは14日)。双方とも怪我はなかったという。しかし、やはり着実に報道されるところにはなっていた。もちろん、当事者らが警察に知らせたということだが、こういった作業をカーンさんが怠ったことが問題視されるのも当然ではあろう。ただ、東京スポーツの報道によれば、事故が起こったのは10月18日の午後5時すぎ。「(ぶつかったとされる場所から自分の)店は目と鼻の先。なんでそれがひき逃げになるのか。そんなケガをしたならすぐ来ればいい」という、カーンさんなりの言い分の言葉も報じられている。

 では、同じく、プロレスラー側が起こした事故について、各選手たちがどう対応したか、以下に見てみたい。

川田、天山、そして武藤の対応。


 2005年11月22日の午後7時50分頃のことだ。川崎市の交差点で、川田利明の運転する乗用車と、川崎市の主婦(30)の運転する自転車が衝突。川田に怪我はなかったが、主婦が腰に軽傷。川田は翌23日、有明コロシアムでの『U-STYLE Axis』の興行のセミファイナルに出場していた。言うまでもないことだが、しっかり警察に連絡をとり、事なきを得たのだった。

「信号が黄色から赤に変わるときに行けると思って行った。ぼくが悪いです」と謝罪したのは天山。2008年10月8日、世田谷区内の交差点を直進しようとした際、対向車線から右折してきたバスと接触。天山はぶつかった衝撃で右肩に軽傷を負った。実はこの日は小雨で路面が濡れており、「ブレーキをかけたが、前輪がズズズっと進んでしまい、バスに接触してしまった」とは後の天山の談。しかし、謝罪の言葉があったのは勿論、事故を担当した世田谷署によれば、「天山選手は『けがの診断書を提出しない』としており、人身事故ではなく、物損事故として扱う方針」に。バス側は、フロントバンパー右側にすり傷が出来、22分の遅れも生じ、乗客は後続のバスに乗り換えとなったが、損害賠償については、「しません」と回答。天山の矜持と誠実さのたまものと言っては言い過ぎかも知れないが、天山らしい対応として印象に残る。

 2010年6月12日には、武藤敬司の乗用車が歩行者に接触(右ひざ打撲の軽傷)。麻布十番の駐車場に、武藤が車を入れようと歩道を横切ったところ、接触したという。武藤に怪我はなかったが、直後のブログでこう述べている。「私、武藤敬司は6月12日港区内において駐車場に車を入れる際、歩行者の方と接触するという事故を起こしてしまいました。相手の方には大変ご迷惑、ご心労をおかけしお騒がせしています事を心からお詫びいたします。 そして、皆様方にも多大なご心配をおかけし、お騒がせしました事をここに深くお詫びいたします(後略)」その翌年、武藤は出身地である、山梨県富士吉田市において、富士吉田署の一日署長を務めた。この時、こう語っている。「暴力と似たようなジャンルの仕事をしている俺が、なぜ警察署長に選ばれたのかと考えたよ。でも、『プロレスには、愛がある』と思うと、気が楽になった」。

 また、2002年9月28日、山梨県小笠原署の一日署長を務めた小橋は、歓談で、「暴走行為に憧れることもある」とする高校生に遭遇。こう諭した。「怪我で入院していた時、夜の暴走行為に悩まされたことがあってね。自分の満足も大事だけど、それによって周りの人を傷つけることにならないかは、自分でよく考えてみて」。

 谷津嘉章さんにインタビューした時の言葉が蘇る。「僕にとって、プロレスの師匠がいるとすればカーンさん。僕の動きを見て、『速すぎる』と断じてくれた。『それじゃあお客が置いてきぼりになっちゃう。1、2の3というテンポで、お客と一緒に盛り上げて行く動きを心がけて』。国内外のレスラーや、レフェリーにも評価は高く、その人柄を悪く言う人も先ずいない。尾崎豊が死去直前まで、カーンさんの店に呑みに来ていたのも有名な話だ。

 言い分もあるかも知れないが、今までの素晴らしい選手、及び人としての自分への評価を信じての対応を、願ってやまない。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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