2020/9/27 15:56

後年、好きだった、あの新日本の選手!PRIDEの選手は怨敵だった!? 追悼 アニマル・ウォリアー

閲覧数:456

後年、好きだった、あの新日本の選手!PRIDEの選手は怨敵だった!? 追悼 アニマル・ウォリアー
5.0

9月22日、60歳で永眠


 3年前、香川県に住む知人から、驚きの報告を受けた。なんと、ロード・ウォリアーズのアニマル・ウォリアーが香川まで来て、サイン会をおこなうという。(なぜ、香川?)と思ったのだが、プロレス関係者の便宜による日本ツアーの一環で、その出だしの地が香川(10月6日)だったのだ。他、福島ではバス・ツアーが組まれたり、東京では飲み会も。最終日の10月11日には、同じく東京で、キラー・カーンを交えてのサイン&撮影会、&飲み会が開かれていた。アニマルとの2ショットを終え、その写真に添えられた、「子供のころはこんな日が来るとは思ってなかった」という知人の一言が、あまりある喜びを物語っていた。

 23日、そのアニマル氏の訃報が入った。今回の当欄は、『追悼 アニマル・ウォリアー』としてお送りしたい。

文字通り、最強タッグチーム!


 2015年5月、朝日新聞が、こんな題目でウェブアンケートを取った。「記憶に残る昭和の外国人レスラー(は?)」。アブドーラ・ザ・ブッチャーや、ルー・テーズ、ザ・デストロイヤーなど、まさに昭和といった顏ぶれがベスト20に並ぶ中、唯一、1980年以降に初来日を果たした“新顔”がいた。ザ・ロード・ウォリアーズ(アニマル&ホーク)である。

 実際、ウォリアーズの登場は、昭和のレジェンドたちに負けぬインパクトだった。1984年10月、テレビ東京の海外プロレス紹介番組『世界のプロレス』に登場すると、ほぼ時を同じくして、『フレッシュジャンプ』(集英社)で連載中だった漫画『プロレス・スターウォーズ』にも『未知の強豪タッグチーム』として襲来。しかも(漫画内での)対戦予定のタッグチームがジャイアント馬場、アントニオ猪木のBI砲ということで、幻想は高まるばかり。来日への要望が全日本プロレスに殺到し、遂に85年3月、初来日。空港にはプロレスラーの来日としては破格の、50名以上の報道陣が詰めかけた(※一般紙誌含む)。3月9日にはインタータッグ王者・ジャンボ鶴田&天龍源一郎のベルトに挑戦。これが両国国技館のプロレス杮落とし興行であり、そのメインを鶴田、天龍とともに務めたのがウォリアーズだったのだ。しかもこの模様は当時の日本テレビで午後7時半より1時間半枠で生中継された。

 この時の来日は、7日間連戦の全7戦だったが、一方的に攻めまくる“秒殺”スタイルゆえ、全戦の合計試合タイムは、30分8秒。しかし、このスタイルも支持され、会場は軒並み満員。ジャイアント馬場が「ウォリアーズに関しては、『世界のプロレス』に感謝しなきゃならんなあ」とホクホク顔だったのは語り草だ。

 乗りに乗って、プロモーション風のビデオも2本、東宝から発売。1本目の『超暴走軍団 ロード・ウォリアーズ』では、2人は、『12億光年離れた惑星が爆発して産み落とされた、2つの悪』であり、続編の『ロード・ウォリアーズ 極悪チャンプ 無法の嵐』では、『悪魔が解き放った巨大な猫』ということになっている。書籍『2001年の原始爆弾(ザ・ロード・ウォリアーズ)』(講談社)も発売。その中には「俺たちはネズミの死骸が御馳走」と、多分本人たちも知らない秘話が満載。要するに無茶苦茶だが、それでも売上を示したことが、当時の天井知らずな人気を物語ろう。なお、1986年から始まった『週刊ゴング』誌による人気投票では、初年度の外国人レスラー部門で1位を獲得。1987年、1988年は2位と、安定した高人気を得ている。

 もちろん実力もピカイチ。全日本プロレスが1988年8月、日本武道館大会開催にあたり、ファンから夢のカードを募集したことがあった。その中間発表では、スタン・ハンセンvsブルーザー・ブロディのシングル対決を筆頭に、鶴田&ブロディvs天龍&ハンセン(4位)や、鶴田&ハンセンvs天龍&ブロディ(5位)など、いわゆる、既成のタッグを崩した、まさにドリームカードがランクイン。ところが、6位には、以下のカードが付けていた。『ハンセン&ブロディvsザ・ロード・ウォリアーズ』。一応、当時のハンセンとブロディはタッグを結成していなかったとはいえ、少し時期をひいてみれば、既成のチーム同士のカード。ハンセン&ブロディは最強と謳われ、事実、日本では一度もフォール負けがなかったコンビだけに、そこに、新世代の最強チームが挑み、どういう結果になるのか、観たいファンが多かったのだろう。ウォリアーズは、それほど凄いタッグチームだったのだ。そのウォリアーズは1991年3月にはSWSの東京ドーム大会のメインに登場。相手は天龍源一郎&ハルク・ホーガンという、これまた夢の超強力タッグだったが、ホークがホーガンをリングアウト葬。初来日から6年経っていたが、相変わらず、最強タッグの名に偽りない活躍ぶりだった。

アレキサンダー大塚に届いた祝詞


 変化が訪れたのは1992年。アニマルが尾てい骨骨折の治療で戦列を離れたのだ。この時期、ホークは、パワー・ウォリアーに変身した佐々木健介と『ヘルレイザーズ』を結成。新日本プロレスのマットを荒らしまわった。因みに、こちらはマサ斎藤のアイデアで、当時の健介のファイトが直線的過ぎたため、どうせならウォリアーズ・スタイルにしてしまえ、という内実だったとか。

 だが、もちろんアニマルとホークの友情は変わらず。1995年1月4日の新日本プロレス・東京ドーム大会ではアニマルが私服姿でホークのセコンドに。翌年4月には、パワーも入れての、いわば“トリプル・ウォリアーズ”で、スコット・ノートン&スタイナー・ブラザーズに勝利。前後するが、日本人と言えば、1989年3月に天龍とトリオを結成。日本武道館大会のメインで、ジャンボ鶴田、谷津嘉章、高野俊二(拳磁)を下している。

 1997年5月には、米国で練習中だった小川直也とジムで遭遇。小川に「とにかくすごい体で驚いた。絞り切った筋肉の張りが見事。あれこそプロの体だ」と言わしめ、肩の筋肉の付け方を中心としたトレーニング法をその小川に請われ、快く応対していた。

 その後も強さと人気は衰えず、1998年11月には、ザ・ロード・ウォリアーズとして久々に両国国技館に登場。主催はバトラーツで、カードはトリプル・メインイベントの第2試合、vsアレキサンダー大塚&モハメド・ヨネ。大塚は1ヶ月前、総合格闘技PRIDEのリングでマルコ・ファスを撃破。一躍、時の人となり、ヨネとのタッグも『LOVEウォリアーズ』と命名し、勇躍、臨んだが、本家の敵ではなく、僅か4分33秒でダブルインパクトから、アニマルが大塚をフォール。内容的にもほぼ寄せ付けない、圧倒的な勝利だった。1999年5月の全日本プロレス・東京ドーム大会のセミファイナルで、ホーク、そして、実弟のジョニー・エースと組み、小橋建太、秋山準、ハクシー(新崎人生)に勝利したのも知られるところ。

 大塚とは、2000年9月のバトラーツへの来日で、急遽タッグを結成。ホークが心臓疾患により緊急欠場となり、大塚が顔にペイントをした『アレックス・ウォリアー』として代役を務めたのだった。

 その大塚に、海の向こうのアニマルからメッセージが届いたのは、2000年11月1日のこと。前日に大塚は、PRIDEのリングでマイク・ボーグに勝利。実は先述のマルコ・ファス戦より後は勝ちに恵まれず、PRIDEで4連敗。マイク・ボーグ戦は、約2年ぶりの総合格闘技での勝利であった。文面にはこうあった。

『おめでとう!ウォリアーズのメンバーが強さを証明してくれて嬉しいぞ。またタッグ、組もうな』。

 自身が日本で愛されていることを誰よりわかっており、そして、日本を気にかけていたアニマル。件の2000年9月のバトラーツでのシリーズ名は、『ザ・ロード・ウォリアーズ・ジャパンツアー2000』だった。

 盟友ホークは、2003年に心臓発作で逝去。2007年9月1日には、日本で健介(パワー・ウォリアー)とタッグを結成。その名も『ヘル・ウォリアーズ』。大会前には、かつて知ったる日本の行きつけのステーキハウス『リベラ』で健介と会見。互いにステーキを10枚以上平らげた。試合では近藤修司&YASSHI組を一蹴し、「素晴らしいチームが出来たことを証明できた」と嬉し気にコメント。フィニッシュはもちろん、ダブルインパクトだった。

意外な現役日本人レスラーの名が……。


 冒頭の日本ツアーでは、ファンとの交流に実に積極的だったアニマル。若い女性の希望を受け入れ、2人でハートマークを作って写真におさまったり、歓声をあげたかと思えば、そこにはファンが持参した、80年代のウォリアーズのポスターが。嬉しそうにサインを入れていた姿が忘れられない。質疑応答のうち、印象的なものをピックアップしたい。

――日本人レスラーで一番印象的だったのは?

「天龍さん。お酒が強かった(笑)」

――現役のレスラーで好きなのは?

「中邑真輔!WWEでも観てるけど、とても良いね。実は、ウチの孫も彼の大ファンなんだよ(笑)」

――ネズミは美味しいですか?

「あれはね、食べるもんじゃないよ(笑)」

 そして、実に印象的な言葉があった。

「今でも戦えるように、トレーニングは毎日欠かしてないんだ」

 そうなのだった。冒頭、知人からの写真が届いた時、筆者は、(お、確かにアニマルと写ってるな)と思ったのだが、改めて気づいた。太い腕、万力を思わせる肩……そこにいたのは、当時、57歳ながら、現役時とほぼ遜色ない体格のアニマルだったのだ。それは、とりもなおさず、ファンにとっては、夢を一切壊さない、子供の時、憧れたままのアニマルではなかったか。

 自身とファンのために、己を鍛錬し続けたレジェンドに、ありがとうの言葉とともに、天国のロード・ウォリアーズ再結成を、願いつつ、ペンを置く。合掌。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

コメント

    まだコメントはありません。

おすすめ記事

新しいコメントを投稿する

 [PCから画像ファイルをアップロード]

関連付けられたタグ

なし
[タグを付ける]

<< 一覧に戻る