2020/8/30 10:34

年越しじゃないのにカウントダウン!? 消えた1億円の資金!? どうなる?『Assemble』!女子プロレス、過去のオールスター戦を振り返る!

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10月1日、上野恩賜公園野外ステージ特設リングで大会開催!


「5、4、3、2、1……(歓声)」いわゆる、年越しプロレス、ないし、年越しの格闘技興行に見られる、カウントダウンの光景だ。2000年の『猪木ボンバイエ』(大阪ドーム)の成功、そして、翌年からの格闘技団体との同舟により、大晦日のこれらの興行は一時は地上波テレビ放送の重要なコンテンツに。現在ではその勢いも失速気味だが、それでも大晦日興行自体は、半ば定例化している。ご存知の通り、大都市では大晦日から元旦においては交通機関も眠らず運行。安心して、観る方も年を越せるわけだ。

 ところがである。この、0時を境にするカウントダウンの合唱が、大晦日ではないのに、客席からおこなわれたことがあった。1993年4月2日(金)、横浜アリーナでのことである。と書けば、ピンと来る読者もいらっしゃるだろう。この日、女子プロレス界初のオールスター戦が開催。ところが、午後6時開始、全11試合の大会ながら、興行時間が大幅に延び、全試合終了は翌日の0時18分。いきおい、23時50分ごろから始まったメインの最中に客席からのカウントダウンとなったわけだ。因みに、大会は16,500人(札止め)のファンを集めた大ヒット興行であったが、このカウントダウンの時点でも、会場には約8割の観客が。当然、終電の類は終わっており、宿泊やタクシー利用という手を使えないファン約1,000人が、始発まで会場最寄りの新横浜駅に居座るという事態に。主催の全日本女子プロレスが横浜アリーナとJRに始末書を提出する騒ぎとなったが、そんな裏面も含め、女子プロレス史上に残る伝説の興行であった。

 8月27日、女子プロレス界から大きな発表があった。長与千種、ダンプ松本、北斗晶らの有力OGかつフリー戦士や、各団体が集まっての共闘組織『Women's Pro-Wrestling Assemble』(以下『Assemble』)の設立が発表されたのだ。10月1日には、東京・上野恩賜公園野外ステージで、こちらの主宰による大会がおこなわれることも告知された。背景にはコロナ禍による業界の停滞状態があり、いわばその上での大同団結と言ったところだが、前向きに捉えれば、これを機に、夢の顔合わせや、それこそオールスター戦の実現に期待をかけられる部分もあるだろう。

 そこで、今週の本欄では、女子プロレス界の過去のオールスター戦をPLAY BACK。往時を参考に、現状におけるAssembleの持つ可能性を探りたい。

男性ファンを刮目させた、女子同士の名勝負!


 冒頭のように、女子プロレス界初のオールスター戦がおこなわれ(興行時間の長さを除いては)大成功を収めたのは1993年の4月だったが、もちろん、この盛況に至るまでの予兆や伏線はあった。すべての発端は、前年である1992年の7月15日、FMWの女子レスラー、土屋恵理子(後のシャーク土屋)、前泊よしか(後のクラッシャー前泊)が、当時の業界の盟主、全日本女子プロレスの大田区体育館大会の会場に現れ、挑戦状を叩きつけたこと。これにより、FMWの横浜スタジアム大会で、両団体の対抗戦、ブル中野&北斗晶vs工藤めぐみ&コンバット豊田が実現(1992年9月19日)。男子プロレスの間に位置されたセミ前の試合だったが、メインの大仁田厚vsタイガー・ジェット・シンの爆破マッチを完全に食う、同日のベストバウトに。一気に、ブル、及び北斗の実力が、実体として認知され、ひいては、「女子プロレスは面白い」という評価に繋がったのである。それは、それまで男子のプロレスしか観て来なかった男性プロレスファンを、女子プロレスの会場に流入させるという効果も持っていた。この交流を呼び水に、同年11月26日には、全日本女子vsJWPの対抗戦、山田敏代&豊田真奈美vsダイナマイト関西&尾崎魔弓が実現。これまた歴史に残る名勝負となり、オールスター戦構想が一気に加速したのである。当たり前かも知れないが、この、名勝負だったというところが、非常に重要だったように今では思う。負けてもそちら側の団体の選手の価値が下がる可能性が少なく、また、双方の相手が他団体の選手のため、互いのファンに、「こんな良い選手、いるんだ」という新たな心象も与えられたのではないかと思うためである。

 結果、先述の横浜アリーナ大会は、当時の全女子プロ団体である全日本女子、JWP、LLPW、そして女子部を有するFMWの4団体が参加。掛け値無しのオールスター戦となった。蛇足かも知れないが、1団体でも欠けていれば、やはりオールスター戦として盛り上がったかは疑問だろう。

 因みに、同横浜アリーナ大会の中盤には、マッハ文朱やミミ萩原、赤城マリ子と言った、往年の全日本女子プロレスの名選手たちが1人1人花道を歩きながら登場し、彼女らを顕彰するセレモニーも開催。これまた有名OGのジャンボ堀が、子連れで花道を歩くシーンも!とはいえ、この時点でかなり時間的に押していたため。入場は出来れば一緒か、もしくは手際よく進行して欲しかったという批判が、大会後の当時、かなりあったのも確かだ。しかし、この催しを目当てにしたと思しき、初老の紳士然とした観客も場内では少なからず見受けられたので(当日、最も高額であった35,000円のロイヤルシートにも多かった)、今となっては懐かしい論争である。

乱発がブーム縮めた、オールスター戦


 その後、大成功を受け、各団体同士の交流、並びにオールスター戦と冠された大会が頻発。1993年だけで、横浜アリーナ大会の9日後の4月11日におこなわれた大阪府立体育会館大会、さらには、女子プロレスの使用として8年ぶりとなった、8月25日の日本武道館大会、さらには10月9日の東京ベイNKホール大会、そして12月6日の両国国技館大会などがあり、いずれも成功となった。この主催は全て全日本女子プロレスだったが、当時、女子プロレスも担当し、『Number』(文藝春秋)等にも寄稿していたフリー記者のH氏の言葉が蘇る。「対抗戦やオールスター戦は、大きな団体が小さな団体をリードする形だと成り立つ」けだし名言と感じたのは、男子のプロレスでも、同じことを筆者が感じていたからだろうか。新日本プロレスを中心とした90年代の数々の他団体との対抗戦。それは、今考えれば、新日本をトップとした、縦の関係であった。加えて、女子で言えば、地上波のテレビ中継枠を持っていたのが、全日本女子プロレスだったことも大きかったように思う。女子の他団体には、テレビ局との契約と言った煩わしいものがなく、逆に地上波中継に出られれば、知名度も上げることが出来る。もろもろの関係性が非常に上手く回ったのが、この1993年だった。

 そして翌1994年3月27日の横浜アリーナ大会、8月24日の日本武道館大会を経て、11月20日には、遂に東京ドーム大会を敢行。しかし、これをピークに、女子プロレス人気は下火となっていく。件の東京ドーム大会(午後2時開始)のラインアップは、全23試合。しかも、事前に予定されていた井上京子vsルシア・ライカの異種格闘技戦が決戦9日前に中止とてんてこまい。当日の進行も良いとは言えず、試合時間が10時間にも及び、またも波紋を呼んだこともある。肝心の客入りも超満員(※主催者発表で42,000人の“満員”)とは行かず。オールスター戦の短期間での乱発が、人気の下落を早めたという見方は強い。この大会には、米国のリレハンメル五輪フィギュアスケート代表、トーニャ・ハーディングの投入も予定。2億円の資金を用意したとされていたが、4月にこれを断念すると、「半額の1憶円を、東京ドームで頑張った選手のボーナスにする」と当時の松永高司会長は宣言。威勢は良かったが、会見の際、アジャ・コングに「何でそこが2億じゃないんですか?」と突っ込まれ苦笑い。今、考えると、風呂敷を広げていた可能性もあるだろう。

 1996年5月18日には、若手選手中心の『ジュニア・オールスター戦』をおこなうなど、新機軸も出し、1997年10月には2度目の不渡りを出し、全日本女子プロレスは倒産。その後も形を変えて団体は続いたが、2005年に解散となった。

 老舗・全日本女子プロレス倒産以降も、オールスター戦の類は度々おこなわれてきた。2007年にLLPWが両国国技館で決勝大会をおこなった『女子プロレス最強決定シングルトーナメント』もそうだろうし(2月12日)、2009年には、OZアカデミーの永島千佳世、カルロス天野、加藤園子が中心となり、トップ選手を集めた1DAYトーナメントが開催(4月30日・後楽園ホール)。2011年にセンダイガールズ主催でおこなわれた『女子プロレス団体対抗Flashトーナメント』(10月27日・後楽園ホール)も、意欲的な試みだった。ただ、女子の団体数が多くなり過ぎ、どうしても、こういった大会に出場に漏れる団体なり選手があるのも事実である。また、主催する団体の方針的に「先ずは呼べる選手を」という計算があるのも当然だろう。

スターダムも趣旨に賛同!


 そこで期待がかかるのが、今回のAssemble。あくまで共闘組織であり、オールスター戦を標榜する集まりではないことは先ず言明しておきたいが、27日の会見に参加した選手や団体代表選手はニュース欄を見て頂くとして、会見には出席していないスターダム、アイスリボン、プロレスリングWAVEも趣旨に賛同して、同組織に加盟しているのである。だからと言って協力や出場があると思うのは早計に過ぎるが、朗報には間違いない。

 そして、注目となるのが、昨年より「大きな仕掛け」をちらつかせる長与千種と、18年ぶりに女子プロレス業界とのかかわりを持つ、北斗晶だ。そもそも、上記の過去のオールスター戦の口火を切った一人は北斗だったし、さらに言えば、東京ドーム大会では引退を表明していた。加えて言えば、長与の現役復帰のリングは、1993年4月2日の横浜アリーナだった。会見では同席者の尾崎魔弓に北斗が現役復帰をやんわりと促されていたが、ここは「私の立ち位置はOG。神輿をかつぐ一人」という北斗自身の気持ちを斟酌してほしいもの。ただ、これまで、こういった団体同士の同舟は、00年代以降、ともすれば、“船頭多くして船山に登る”といったことが多かったため、長与、北斗、両人のカリスマ性と知名度には期待がかかる。もちろん、あくまで助け合いのための組織なので、うかつなことは言えないが、より良い方向にイニシアティブが取れるのであれば、それに越したことはないだろう。

『Assemble』のロゴは、上も下もなくみんなが平等であるという意味を込めて『から笠連判状』がモチーフ。リング上はそうあってほしいし、実務面は、やはりスムーズに言ってほしいというのが理想に思う。酸いも甘いも噛み分け、女子プロレス人気を形作ってきた大物OB達の手腕に、期待をかけよう。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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