2020/8/10 11:15

一瞬で終わった武藤&小橋の世界タッグ挑戦計画!武藤本人が認める「俺以上のベビーフェイス」とは!?『武藤敬司vs新世代』ヒストリー!

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一瞬で終わった武藤&小橋の世界タッグ挑戦計画!武藤本人が認める「俺以上のベビーフェイス」とは!?『武藤敬司vs新世代』ヒストリー!
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8月10日、横浜文化体育館で、武藤vs清宮!


 今年は東京オリンピックが予定されていた影響で秋にずれこんだが、例年なら新日本プロレスの『G1 CLIMAX』が盛り上がっている時期。当然、取材対象も、この『G1』を過去に経験した人間になるわけだが、うち1人である武藤敬司にインタビューした時のことだ。武藤は1995年の同大会に優勝。第1回、9回、11回の同大会で準優勝したのだが、その第9回の話になった。この時の決勝当日は午後3時半よりテレビ朝日で約2時間の生中継(※正式には決勝のみ生中継)。武藤はこの決勝日の公式戦で先ず小島聡に勝ち、得点が並んだ永田裕志を同点決勝で退け、進んだ優勝戦で中西学に敗れた。永田は、「第三世代の3人で寄ってたかって、ようやく武藤敬司1人に勝ったという感じ」と、素直に武藤の凄さを語っていたが、当の武藤自身に感想を聞いてみれば、非常に意外な部分に着目していた。「要するにさあ、俺、あの日、3試合やったわけだからね。2時間の生放送に出ずっぱりで、画面を持たせることが出来るのは、俺だということだよね」まさに視座が違う、それはカッコ良く言えば、スターとしての矜持であった。

 プロレスリング・ノアが8月4日、5日の後楽園ホール大会で、旗揚げ20周年を達成。8月10日にはこの記念興行として、横浜文化体育館大会が開催されるが、中でも注目カードが、その武藤敬司vs清宮海斗。清宮と言えば次代のノアを背負う新星。対して、武藤はIWGPヘビー、三冠ヘビーに続く、GHCヘビー級王座の“メジャー三冠達成“を目論んでおり、ここで勝利すればその方向性が見えて来なくもないので要注意。何より、“新鋭食い“こそ、武藤の真骨頂であるためだ。

 今回の当欄は、そんな武藤敬司vs代表的な新世代の歴史を、初対決を中心に包括。武藤vs清宮に向けて、既にレジェンドにまで達しているそのプロレス観にも触れてみたい。

意外にもシングルで勝利がない中邑


 武藤が全日本プロレスを率いていた時、その片腕となっていたフロントの内田雅之さんに、後年、インタビューした時のことだ。武藤は2002年に新日本を退団していたが、その後も何度も新日本のビッグマッチに出場していた。もちろん、その集客力からの招聘ということもあろうが、内田さんは、さらにざっくばらんに、こう言っていた。「結局さあ、新日本のファンも、武藤さんのことは離脱したとは言え、好きなわけじゃない?(笑)」その人気を示すかのように、武藤は新日本のホープたちの壁であり続けた。

 冒頭の第3世代との戦いを経て、00年代、最初に武藤に挑んだ新世代と言っていいのが棚橋弘至。もともと新日本時代の武藤の付け人であり、武藤が全日本移籍に際し、誘った数少ない選手の1人でもある(※棚橋は「僕は新日本が好きですから」と固辞)。理由は、これも筆者とのインタビュー時、仰ってたのだが、「アイツはプライベートは暗いけど、プロレスは明るいから」(武藤)。前半の言葉は、今、思い出しても首をひねるのだが、棚橋の試合への評価が高かったのは言うまでもなく、2005年2月16日のシングル初対決時は、「俺とタナ(棚橋)がやるからには、骨の髄までプロレスをしゃぶり尽くそうぜ!」と事前に咆哮。理想のプロレスが出来る相手と思っていたのだ。しかし、件の初対決が終わると、武藤は「(棚橋は)成長してるけど」と、左手を胸の下あたりに、右手を大きく上に伸ばし、「このくらいの差で俺を飛び越えないと、時代はやって来ないよな」と、深意ある表現で喝破。その後、2009年1月4日、東京ドームのメインで棚橋は、当時、IWGPヘビー級王座を保持していた武藤相手にシングル初勝利。その試合への会見で、武藤はこう言った。「タナといずれこうなる(※東京ドームのメインでIWGP王座をかけて戦う)ことは、俺には昔からわかっていた」。これに対する棚橋の反応は、「本当かよっ!?と(笑)」。棚橋の反応の方が非常に真っ当なものには思うが、この辺りの武藤のアジテーションの上手さも、極めて流石と言っていいだろう。棚橋に、「プロレスというものを突き詰めると、その一つの正解は、武藤敬司」と言わしめている。

 棚橋と並ぶ00年代の新日本のエースであり、今では十分なほどのカリスマ性を有している中邑真輔も2008年4月27日、武藤と初シングル。しかも中邑が保持するIWGPヘビー級選手権に、武藤が挑戦する形だった。結果は武藤の勝利で、以降、約8か月に渡り、同王座を保持(※これを獲り返したのが前述の試合での棚橋)。実はこの時期の新日本との交流については、武藤自身が望んだもので(※本人談)、実際、IWGPヘビー級王座を獲ると、「今まで以上に輝かせてみせますよ!」と意気軒高。防衛を重ね、この年のプロレス大賞MVPにも輝いた。

 中邑はこの年の10月にも、今度は挑戦者としてIWGPヘビー級王者の武藤と一騎打ち。ところが惜敗で2連敗。武藤は、「昔、天龍(源一郎)が新日本に乗り込んで来た時、橋本(真也)が相手をしたんだけど、橋本、負けてもカッコ良かったよね」と、中邑をそれにダブらせて塩を送ったが、中邑にとってはたまったものではない。連敗の試合後は、「ベルトだけじゃない。武藤敬司という存在。ただ時間が来るのを待って、世代が自動的に変わっていくのだけは避けたい」と、むしろその存在感を標的に変更。脱力を旨とした、いわゆる“クネクネ”ポーズをし始めるのはこの翌年からで、武藤戦での連敗が、スタイルについての1つの契機になった可能性も否定出来なかろう。

小橋を讃えつつ、技にはチクリ


 ところで、ベビーフェイスを自負する武藤が、「俺も彼にはかなわないわ。彼こそ天性のベビーフェイス」と語るのが、小橋建太。これには納得する読者も多かろう。無論、小橋への評価はべらぼうに高く、オールスター戦『ALL TOGETHER』(2001年8月27日)でタッグを組んだ試合後は、こんなやりとりが。「小橋よ、プロレスは連続ドラマだ。(ここで終わらせず、)2人で世界タッグを狙おうぜ!」(武藤)。まさに究極のベビーフェイスコンビ誕生に、色気たっぷりの武藤だったが、次の瞬間、トーンダウン。「今、(世界タッグの)王者、誰だっけ?」と聞くと、取材陣から、以下の答えが返って来たのだ。

「KENSO&グレート・ムタ組です」

「えっ?! 俺だったんだ!じゃあ無理だな……」しかし、続けて、「じゃあ、GHCタッグでもいいからさあ」とめげずに誘っていたのも凄かったが……。

 その武藤と小橋。小橋の方がキャリアで4年後輩となり、こちらも数字的に、一応、武藤の後進世代ということにはなるが、なんと、タッグを含め、一度も対戦経験はなし。本当に幻の対決に終わってしまったが、トークショーの類で“対戦”も。中でも昨年12月15日に、蝶野正洋、田上明も登壇した『四天王vs三銃士 SUPERSTARSプレミアムタッグトークバトル』では、武藤から小橋に、こんな詰問が。

「俺のムーンサルトプレス、真似したんだよね?」

 気色ばむ小橋だが、「(武藤が1990年以降、履いていた)オレンジのパンツ(トランクス)は真似しましたよ」と返し、大人の対応。とはいえ、それで思い出したのが、以前に、武藤が言っていた言葉。「ねえねえ、中邑のボマイェって膝蹴り、シャイニングウィザードのパクリじゃないの?パテント料、もらわなにゃ(笑)」

 もう一つ、話を続けさせて貰えば、物真似芸人で、武藤のそれもレパートリーにしている神奈月さんが、当時、武藤が率いていた全日本プロレスに出場した時のことだ。その日はファン感謝デーとして、さまざまな楽しい催しがおこなわれ、神奈月さんは武藤と組んで、浜亮太&長州小力組と戦った。ご存知の読者も多いだろう、レスラーと物真似芸人が組んだ、御存じ、『F-1タッグ選手権』である。ところが、武藤本人の物真似をしつつ戦っていた神奈月さんが長州小力に敗れ、王座を奪われると、武藤に、こう怒られたという。「何で負けちゃうんだよ~。(物真似されてる)俺の評価も落ちるじゃんか」あくまでエンターテイメントの一環として認識していた神奈月さんは、こう述懐していた。「どれだけ自分のことが好きなんだって話ですよね(笑)」

 武藤の本質の1つがここにあると思うのだが、そんな武藤に、さらなる新世代が名乗りを挙げ、挑んできたのは、2012年1月4日のこと。それは当時、一部では、それこそ『武藤のコピー』と言われることもあった、内藤哲也であった。

“コピー”と揶揄された内藤にエール


 内藤が前文のように評されていたのは、観る記者によっては、試合の見た目もあったと思う。だが、もう一つの理由は、そもそも内藤が武藤に憧れてプロレスラーを目指したという背景からだった。もちろんそれは一つの見方だったため、同一戦の副題はより大きく、『GENIUS FACES GENIUS』(天才が天才と相対す)と付けられたが、これには会見で武藤が強烈な一言。「天才とかジーニアスって、いっぱいいるからな。プロレス界のジーニアスだけは、ワケわかんねぇからな(笑)」。果たして試合は武藤の完勝。「俺のことを好いてプロレスラーになったとか、正直、嬉しいですよ」としつつ、報道陣から、「自分のコピーと戦ってる感じは?」と質問が飛ぶと、「そんな感じはなかったし、コピーって言ったら、アイツはそこで止まっちゃう」と返答。自分に憧れて、レスラーになったことを引き合いに出し、「内藤に憧れてプロレスを目指す若い奴が増えてくれたら、なんとなく(俺も)闘いがいがあったというか」とした。前後するが、戦前に、「(内藤に)椅子を譲るつもりは?」と聞かれると、以下のように答えている。

「俺の席は俺のケツとくっついて、もう離れないよ!それはもうファンの記憶としてもくっついている。だから彼(内藤)は、席を自分で作るしかないんじゃないか?彼は彼の、大きな席を作ればいいわけだから」

 含蓄に富む一言だが、まさに内藤が真の意味でブレイクしたのも、自分らしさを何より旨とした、ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンからだった。

 実は、ノアの新世代組については、丸藤も潮崎も所属時のKENTAも、武藤とは一騎打ちしておらず(※丸藤のみムタとは対戦)、清宮は、まさに純粋培養のノアの選手として、初めて武藤と一騎打ちする選手となる。いわゆる、直接の面識はなくとも、三沢光晴を意識した攻めも見せる清宮だけに、そちらを織り交ぜる可能性もあるが、それだけでは武藤にその姿勢を一刀両断される可能性も。自分自身を武藤に刻み込めるかがポイントとなるのではないか。

 前出の内田雅之さんにインタビューしたのは2016年頃だったが、その時、氏はこう言っていた。「武藤さんてのはさ、いくら怪我しようが、年を取ろうが、つまるところ、それなりの舞台が用意されれば、その舞台以上の試合が、ちゃんと出来ちゃう人なんだよ。それは10年経っても、変わらないんじゃないかな?」

 御年57歳の武藤敬司。元付け人・諏訪魔の「武藤さんにとっての練習は、歯磨きと一緒」、これまた元付け人・KAIの、「どんな地方でも、必ずジムを自分で見つけてきて、練習している」という言葉もあり、フィジカル面での充実は保証済み。清宮が若さで攻め込めるか、そして、武藤がこれを制し、GHCヘビー挑戦の機運となるか、注目したい。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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