2020/7/29 11:46

真冬の開催で売れた2万円のグッズ!真夏の開催は選手には地獄!? 新日本が21年ぶりに決行!神宮球場におけるプロレス大会特集!

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8月29日、土曜日に、21年ぶりに神宮球場大会!


 新日本プロレスのビッグマッチが、雨で順延になったことがある。もうひと昔前と言っていい、1988年5月7日、土曜日のこと。会場は有明コロシアム。今と違い、まだ屋根がついていなかった。試合は予備日の翌日8日(日)におこなわれたが、中止が決定した土曜日、藤波辰爾が、降りしきる雨を見てこう言ったという。

「自然の流れには、逆らえないんだよ」

 なんのことはないと思うコメントかもだが、筆者には強烈な印象で、今もって忘れられない一言になっている。なぜなら、藤波は、その約2週間前、当時の絶対的君主、アントニオ猪木に反旗。自分が新日本を引っ張って行くとし、いわゆる『飛龍革命』を興していたのだ(件の有明コロシアム大会も藤波がメインを務めた。猪木は怪我で欠場)。現在でもよくテレビでの名場面集や、東京ドーム大会のビジョンで流されたりする、猪木と藤波が張り合う、あの動画からのことだが、この時の言い争いでも、藤波は猪木にこう言っている。

「これが流れじゃないですか!これが新日本プロレスの!ねぇ、そうじゃないですか?!」

 雨天順延における一言は、新日本プロレスマットの趨勢をなぞらえた言葉だったのだ。こう書いてはなんだが、『迷言製造機』のような切り口で語られることもある藤波だけに、こちらはやけに名言として、胸に銘記されている。

 7月25日の新日本プロレス愛知大会で、大発表があった。新日本プロレスが21年ぶりに、野外での試合にチャレンジ。8月29日(土)に、神宮球場大会をおこなうことが明かされたのだ。コロナ禍により、屋内では換気の必要が言われる昨今だけに、まさに逆転のアイデア。雨天による順延日も翌日の日曜日とぬかりない。時節柄、動員は5千人にとどまるだろうが、本来なら4万5千人以上を動員出来る器だけに、当然、ビッグイベントとなる。プロレス界において、この夏、いや、コロナ騒動以降、最注目の大会になるのは間違いのないところだろう。

 今回の当欄は、この神宮球場をフィーチャー。過去におけるプロレス大会を振り返り、当日までの予習としたい。

極寒の中おこなわれた、初めての神宮球場大会。


 神宮球場と言えば東京ヤクルトスワローズの本拠地にして、東京六大学野球の聖地。後者の観戦で初めて訪れた際は、(ここでプロレスがおこなわれるとしたら、どうなるだろう?)と無想したものである。関東のプロ野球用本拠地球場としては、東京ドームはもちろん、横浜スタジアムや、西武ドームもプロレスに使われたことはある(前者は1992年9月19日のFMW。後者は2014年8月10日の新日本)。他、川崎球場も有名だが、神宮球場で観覧した際は、少なくともそれらよりも見やすくなるだろうと感覚があったものである。それは、会場がいわゆる、全面的なすり鉢状でなかったり、リングが設置されるだろうマウンド付近の位置が、客席から近く感じたということもあるが、いずれにせよ、同所では、過去4回、プロレス興行が行われてきた。これは現存する関東の球場の中では、東京ドームに次ぐ記録。しかし、紐解くと悲喜こもごもの歴史がそこにはあった。

 記念すべき“プロレスこけら落とし”をおこなったのが、1993年のUWFインターナショナル。神宮球場使用が発表になったのが、同年の8月31日。これだけでなんとなくわかろうが、これほどの大きな器で、直近で試合を打つわけもなく、開催は約3ヵ月後の12月5日、日曜日だった。(えっ!?)と思った報道陣は多かった。季節的には冬である。しかも野外球場。会見にあたっては、ここに質問が集中したが、インター側の回答はシンプルそのもの。「来場者にも、防寒具の徹底を呼びかけます」。目玉カードは、高田延彦vsビッグバン・ベイダーこと、当時の名はスーパー・ベイダー。後年、同団体の要人だった鈴木健(元)取締役に話を聞くと、「日本武道館や両国国技館だと、お客が溢れちゃう。確か、東京ドームよりも(予約が)獲り易かったんじゃないかなあ?」とのことであった。なお、開催日は日曜とあるが、付記があり、『雨天決行』。当時の同団体の強気な姿勢がよく表れている。

 果たして、当日の試合はメインも含め、好勝負が続いたし、観客も主催者発表で46,187人(札止め)と大賑わい。空模様も心配された荒天とはならなかったが、注目すべき記事がある。正午から発売開始となる当日券の売り場に、500人も行列が出来ていたという話題であるが、『千葉県市川市から来た男性(21=学生)は「前売りを買おうと思ったんだけど、当日の天気が心配だった。今日は晴れたので」』(『日刊スポーツ』1993年12月6日付)。なるほど、野外だとこういった恐れもあるわけだ。

 ところで、さらに大事だったのが、試合開始時間。なんと通常通りの午後6時半開始であった。なぜ、こんな風に綴ってしまうかというと、実際、会場にいた筆者だが、とにかく夜、寒かったのである!当日の情報を総合すると、「試合開始の午後6時半には気温12.2度」「メインが始まる午後9時頃が、9.6度」で、その時期としては厳寒ではないが、とにかく野外のため、風をまともに浴びる形となり、体感温度は「寒い!」の一言。地方から観に来るファンのことも考えても、せめて午後5時開始などにする案はなかったのかと思ってしまう。なお、この寒さの真実については、親交のある当時の主力、垣原賢人さんの発言を引用しよう。「あの時ね~、2万円くらいするUWFインターナショナルのベンチコートが、飛ぶように売れたんですよね~」。

 同ベンチコートは、今でもオークションサイトの類で見かけることがある。それを見る度に、あの時の寒さを思い出し、また、「出品者の方も、このコートであの寒さを乗り切ったかな」と思わずにはいられない筆者である。

真夏の開催でも、それはそれで問題が。


 同球場を次に使用したのも、UWFインター。前回の轍をふまえたのか、開催は1996年の8月17日(土)。真夏も真夏である。高田延彦vs安生洋二のメインを筆頭に、天龍源一郎vs佐野友飛(現・巧真)。初代タイガーマスクvsグラン浜田などの好カードが並んだが、こちらはこちらで、不思議なことが。試合開始は午後1時で、これはまだしも、チケット料金が、7,000円と5,000円の2種類しかなかったのである(因みに、前出の高田vsベイダーの際のチケットは、20,000円から5,000円の5種類)。実はこれ、大会自体に仕組みが。タイトルは『挑戦 神宮花火ジャック』。現在でも続く、神宮外苑花火大会の一環としてのイベントだったのだ。いわば、スケールの大きな出前プロレス。なるほど、夜は花火の観覧がメインとなるため、試合開始時間も昼の早くからの開催となったわけである。

 大会は小雨決行の予定で、順延日も翌日の日曜日に用意されていたが、当日は雲一つない晴天。ところが、ここでもやはり天候の問題が。余りに晴れ過ぎて、マットが直射日光を吸収してしまい、恐ろしいほどの熱さになったのである。「背中をつけると火傷しそうだから、立ち技で勝負するしかなかった」とは後年、安生選手に聞いた言葉だが、ギャグでなく、かなりの本音だったと思う。同じことを当日出場した桜庭選手からも聞いたためである。カードは悪くないと思うのだが、こんな舞台設定と、どう考えてもの当日の猛暑もあってか、観客動員は主催者発表で10,500人の無印。げに、野外試合の一番の敵は、やはり天候そのものなのだった。

 そして、3回目の神宮大会をおこなったのも、やはりUWFインター。これは真夏の神宮大会の、僅か約3週間後の9月11日(水)に敢行。平日の水曜開催。さらに、それもあっての午後7時からの試合開始と。好条件ではなく、さらにUWFインターらしく、『雨天決行』というギャンブル性の高い興行であった。しかし、メインは高田vs天龍。そして何より、当時、鎖国状態を保っていた全日本プロレスから川田利明が参戦するとあって、極めて大きな話題に。指定席券は前売り段階で完売。アリーナ席を増席して当日券を出すなど大賑わいとなり、用意した大会パンフレット5,000部(2,000円)も完売。結果、41,087人(札止め)の動員と、大成功に終わった。「売上で2億円はあった」と振り返るのは前出の鈴木氏である(なお、チケット代金は、20,000円から5,000円の4種類)。

 ところがこの3ヵ月後UWFインターは活動停止。神宮大会直後、朝日新聞に載った鈴木氏の言葉に、こうある「こんな興業は2度と出来るかどうかわからない。でも、メジャー(団体)は強いよ」(『朝日新聞』1996年9月20日・朝刊)実は、地方興行での不振が続き、この日の神宮大会の純益を持ってしても埋められないところまで来ていたという。最悪な状態になる前に団体を畳んだ同氏は、現在は負債も完済。団体最後の神宮大会の栄華は、消えることはない。

 なお、今では知られる話かもだが、全日本プロレスとホットラインを得た同団体は、腹案レベルではあるが、次の神宮大会を翌年の夏に設定。カードはジャイアント馬場との話し合いで、三沢光晴、川田利明vs高田延彦、安生洋二が挙げられ、何より馬場自身が、「高山(善廣)とやってみたい」と乗り気だったとか。だが、団体内の選手から、「余り全日本の方に(スタイルを)寄りたくない」という声が続出。UWFインターは活動停止後、より格闘性の高い団体キングダムとして再出発し、全日本プロレスとの全面対抗戦は幻に終わった。

21年前のメインは橋本vs蝶野?ムタvsニタ?


 そして、新日本プロレスの過去の神宮球場大会である。報道されているように21年前に一度おこなわれた同興行は、(1999年)8月28日の土曜日に開催。午後5時試合開始で、もちろん雨天時の順延日も翌日の日曜日に設定と、万全の感だった。

 今回の神宮球場大会は、他でもなくコロナ禍を意識したものだが、過去のこのタイミングで野外での開催となった理由は、大仁田厚の参戦。同選手が得意とする爆破マッチ系のデスマッチを開催するのに、屋外の方が好都合なのだった。果たしておこなわれたのは、武藤敬司の化身、ザ・グレート・ムタvs大仁田の化身、ザ・グレート・ニタの、電流爆破プラス、いわゆる時限爆弾マッチ。コーナーポストに設置されたスイッチをどちらかが押してから1分後に、場外の四方に設置された時限爆弾が爆発するという趣向だった。試合の肩書きは『第0試合』としておきながら、順番的にはメインイベントになっており、やはり大仁田のデスマッチあっての興行だったことは否めない(なお、直前の試合、つまり、実質的なメインエベントは蝶野正洋vs橋本真也)。

 観客動員は主催所発表で48,000人(超満員)となったが、正直、空席もあったような……。それもそのはず。実は、もう一つの目玉カードとして、佐々木健介vs高田延彦もラインアップ。だが、こちらは高田が直前にドタキャン。当時はその謎が取り沙汰されたが、真実は、この約2週間後に、高田にPRIDEでの試合が入り、「練習に集中したい」との出場辞退を申し入れたのだった。この時の新日本側の返答は、当時の関係者によれば、「いいよ。理由も好きに言っていい」と、かなり懐の深いものだったという。少々、カッコ良過ぎるアンサーに、聞いていた筆者が釈然とせず、質問で追い打ちをかけると、既に退社している当時の営業担当の要人は言った。「実は、高田vs健介を発表しても、チケットがほとんど動かなかったんだよ。だから営業としては、このカード自体にこだわりがなかった」。魅惑的なカードに思うが、高田はこの時点で3年以上、新日本のリングに上がっておらず、確かに、余りにも唐突に組まれた感は否めなかった。

 逆にこの時、営業的に大きく寄与したのが、蝶野正洋が率いていた『T-2000』。勢いと人気を加味し、応援グッズがつく『T-2000』シート、2,000席(10,000円)を発売すると、即日完売。当日、この席を購入したファンは専用ゲートからの入場となっていた(なお、チケット代金は20,000円から5,000円の4種類)。そのシートの一群は、遠目からでもかなり印象に残ったのを覚えている。蝶野ファンらしく、黒づくめの衣装に身を包んだ観客が多く、そこだけ夜の帳が降りたようになっていたためだった。

 天候は、一雨来るような予報がされていたが持ちこたえ、逆に観戦には快適な空気だったことも印象深い。グラウンドからスタンド席に駆け上がるように夕風が吹き、これぞ野外プロレスといった感覚だった。

 さて、21年ぶりの神宮球場大会開催となる新日本プロレスだが、興味は尽きない。21年前の成功例を考えても、やはり午後5時開始か。そして、EVILvs内藤が濃厚とする見方もあるがゆえに、件の『T-2000シート』宜しく、『ロス・インゴベルナブレス・デ・ハポンシート』や『バレットクラブシート』を設定してみてはどうか?また、ムタvsニタの際、ニタは予め運び込まれていた棺桶から姿を現したのだが、会場の反応は薄かった。というのも、ビジョンが神宮球場のスコアボードのものしかなく、視認性に欠けたのである。00年代後半から、自前のビジョンを用いている新日本だけに、今回の神宮大会でもフル活用出来れば、これ以上なく興行的満足度も高まることだろう。個人的には野外ゆえ、キャンププロレス等に馴染んで来た飯伏幸太の大爆発にも期待したい。

 屋根のない中での空気感は、まさに特別な体感として思い出に深く刻まれる。新日本プロレスの21年ぶりの挑戦を、心から楽しみにしたい。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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