2020/7/13 8:23

橋が選んだチョップ名は?『ハンサム・タワーズ』って誰と誰のこと?DDT・秋山準も新チーム名募集中!『プロレス・命名公募ヒストリー』!

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橋が選んだチョップ名は?『ハンサム・タワーズ』って誰と誰のこと?DDT・秋山準も新チーム名募集中!『プロレス・命名公募ヒストリー』!
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秋山準が新チーム名を募集!


 インタビュー取材の醍醐味、それは今まで語られなかった秘話が、ふと表に出る瞬間だと思う。1990年代の新日本プロレスの要人(渉外担当・企画宣伝部長)、永島勝司氏に話を聞いていた時のことだ。こんなやりとりがあった。「その時期(90年代)と言えばさ、ハンサム・タワーズも惜しかったよなぁ。もったいなかったよ」「……?ハンサム・タワーズって、何ですか?」「えぇ?知らないの!? 野上と飯塚のタッグのことだよ」

 野上彰(現AKIRA)と、飯塚高史(引退)は、確かに1990年代中盤、タッグを組んでいた。ただし、チーム名『J・J・JACKS』として。聞けば、この正式名の前に、永島氏が発案した名前が、『ハンサム・タワーズ』だったのだという。「売り出そうとしたんだけど、応えられなかったよな」(永島氏)。結局、幻のハンサム・タワーズことJ・J・JACKSは、一度もIWGPタッグ王座挑戦なしで解散(※ウィキペディアには7月10日現在、何回か同王座挑戦ありと記してあるが、これは誤記)。ただ、永島氏が、自らが発案したチーム名で彼らを記憶していたことに、当初の思い入れを感じさせた。

 7月にDDTにレンタル移籍した秋山準が、自らのチーム名を、自身のTwitterで募集している(※7月5日分tweet)。7月6日更新の東京スポーツHPによれば、「何個かに絞って、その中からファンの方に決めてもらう形にしたい」とも語っており、厳格にファン発信だけのアイデアで決めるということでもないとは思うが、つい1ヶ月前までは、興行再開のメドも立たなかったプロレス界だけに、明るく、前向きな話題に思う。少しずつかも知れないが、プロレスと、それを楽しむファンとの日常が戻りつつあることを嬉しく思う。ましてやチーム名について声を募るとなれば、ファンにとっては試合とは別の楽しみの加算でもあるだろう。

 今回の当欄は、そんなファン目線を加味した、命名公募ヒストリーとしてお送りしたい。

昭和の『ファン公募』のカラクリ


 古来より、プロレス界における名称は、レスラー本人や他のレスラー、並びにマスコミ関係者が付けることが多かった。アントニオ猪木と名付けたのは兄貴分選手の豊登が付けたものだし、ジャイアント馬場はアメリカ修行時代、ビンス・マクマホン・シニアに『ババ・ザ・ジャイアント』と名付けられたのが元となった。

 プロレス界において、最初にファンによる公募的なものがおこなわれたのは浅学にして特定出来ないが、1970年には、当時あった団体の国際プロレスが、『あなたがプロモーター』という企画を施している。ファンに呼びたい外国人選手を挙げてもらい、招聘に尽力するという企画だった。だが、命名という部分では、これより2年前の1968年、新たな技名をファン公募によって決めるという企画が、老舗・日本プロレスで行われている。技は、アントニオ猪木の卍固め。そう、こちらはファンのアイデアで決まった名前なのだ。因みに、他にあった候補は、見た目宜しく、『タコ固め』、さもありなんの『ニュー・コブラツイスト』、そして、本名の猪木寛至をもじった『カンジガラミ』(寛至絡み?)などなど。「小学生が卍の字を読めるのは猪木のお陰」とは、古参の先輩ライターの言葉だが、ファン公募の上でも、燦然と輝く偉業と言って良いだろう。

 以降、断続的にファン公募は、昭和のプロレス界においても、断続的に行われてきた。例えばジャンボ鶴田、長州力、そして、もう古い名前になってしまったかも知れないが、剛竜馬のリングネームは公募によるものである。剛の本名は八木宏。1976年の公募に当たっては、この8年前のNHK大河ドラマ『竜馬がゆく』や、2年前の映画『竜馬暗殺』の影響か、『竜馬』を書いたものが比較的多く、また、英語でも呼びやすい『剛』を使ったものも多かった。ところが、この2つを合体させたものは、1つもなかったのだという。よって、公募元だった国際プロレスの要人が、『剛竜馬』を作成。後日、この話を新日本プロレスの関係者に話すと、こう言われたという。「ああ、長州力も、そんな感じで、結局、猪木さんが付けたんだよな」。……えぇ!? じゃあ、ファン公募の意味がないような……。

 そう、昭和の昔においては、あくまでファン公募による命名というものは、その場を盛り上げるスパイスの1つだったりもしたのである。

ファン公募も、玉石混淆……


 長州力(本名の吉田光雄でプロデビュー)の公募にも、何百通もの応募があった。ところが、発表日とされた1977年3月31日の蔵前国技館大会では、発表されず。ピンと来たものがなかったのだ。結局、約3週間後の4月22日の大阪府立体育会館大会で長州力に決定。しかも決めたのは猪木だったという。長州の出身地の山口県を領国とした長州藩と、力道山の『力』の合体だった。しかもこのリングネームは、当日、長州が会場入りしてから知らされたという。当時の録画画像を見たことがあるのだが、『約3万通の中から選ばれました』というテロップが流れていたような……。かような“鶴の一声”で、結局は決まってしまう場合は多く、近年、マスコミ登場が多いキム・ドクは、ファン公募により一時、『タイガー戸口』に決定。ところが実はこれも、当時所属していた全日本プロレスの頭領、ジャイアント馬場の決定だったという。とはいえ、ファンによる命名の内訳には、(大言で知られたので)『ビッグマウス戸口』『シャラップ戸口』、果ては『たちつて戸口』というのもあったらしいので、良心的? 因みにジャンボ鶴田は、実はプロレス入り当初から既に記者に『ジャンボ』の愛称が付けられており、さらには、公募内にこれを書いたものも多かった。そういった意味では、大過ない決定であり、こんなところも鶴田の順風満帆ぶりと言えなくもないかも。いずれにせよ、昭和の時代は、ファン公募がかように有名無実化する場合も多かった。そういえば1980年代後半、ヒロ斎藤選手の新リングネームを公募したことがあったんだが、あれはどうなったんだろう?

ファン公募が実効性を増した2000年代


 平成、特に2000年代以降になると、こちらのファン公募が、実体そのものになっていった。例えば、武藤敬司が今でも見せる、シャイニング・ウィザードの技名は公募により決定(2001年3月6日・応募総数1,115通)。いかにもというカッコいい名前だが、同時に募集し、決定した武藤の新たな異名、『クロス・ウィザーズ』(天才を超えた魔術師、の意)は今イチ流行らなかった。新技ならまだしも、武藤自体はデビューして15年以上経っており、プロレス大賞MVPもこの当時で既に2度制しているいわば名伯楽。そもそも新たに呼び名を募ることに無理があったのかも知れない。

 逆に浸透したのは、マウナケア・モスマン改め、太陽ケア。デビュー6年目の2000年に公募され、8月20日の後楽園ホール大会で発表された。今だから書けるが、公募内にあったのは、『常夏太郎』『アロハ一郎』『南海モスマン』などなど……。実はこの太陽ケア発表の時も、場内からは失笑が起こっていた。ところが、この2ヶ月前、三沢らが抜け、全日本プロレスの屋台骨をいやがおうでも背負わざるを得なくなったケアは、翌年、武藤敬司の正パートナーに抜擢されるなど、大躍進。2007年1月4日には東京ドームで、“太陽の天才児”、棚橋弘至と一騎打ちしているが、“太陽対決”と言われたように、このリングネームの功名も。リングネームは、選手の頑張りとともに、イメージもアップして行くと結論付けて良いだろう。

 他、公募系が多かったのは小橋建太。裏DDTからの打撃技『バーニング・ソード』はファン公募によってつけられたものだし、両手での袈裟斬りチョップも、公募にあった中から小橋が気に入ったものを選出(2005年11月5日放送・日本テレビ『ズームイン!!サタデー』内にて)。確かに、このように、ファンに意見を募り、その中から、関したレスラー自身が選ぶというのが理想かも知れない。因みに小橋が選んだ命名は、『青春の握り拳』だった。

 他、公募で決まった技名は、大谷晋二郎の『スパイラルボム』、船木誠勝の『ハイブリット・ブラスター』などなど。やはり2000年代を超えてからのファン公募の実効が増えて来ており、この辺りは、団体の細分化で、よりファンの声を大切にするようになった傾向と捉えていいかも知れない。

馬場と鶴田が、星の名に!?


 2015年、少し嬉しいニュースがあった。国際天文学連合(IAU)が太陽系外惑星系と、その周囲を回る惑星一つの名称を一般から募り、その中で約200の候補を選定した上で投票を呼び掛けたのだが、その中に、『ジャイアント馬場』(惑星系)と、『ジャンボ鶴田』(惑星)が入っていたのだ。馬場の故郷、新潟県内の天文ファンでつくる新潟天文情報センターがIAUに提案したのだという。馬場という惑星系の周りを回る惑星にジャンボ鶴田を配したところも何ともユニーク。結局、落選となったが、結局、偉大な名前というのは忘れられずに残り、折に触れ顔を出すものと思う。昭和時代、長州力率いる軍団『維新軍』(命名は当時の実況の古舘伊知郎アナ)、それが越中詩郎らの『平成維震軍』の名のひな型となり、そして今年、ゼロワンでは『令和維新軍』(北村彰基、岩崎永遠)が誕生している。繰り返すが、活躍の度合いにより、その名前は大きくなり、そして、文字通り名を残し、時に、後に影響を与えて行くこともあるのである。

 今後もファンとともに思案し出て来るだろうさまざまな命名が、リングで成長していくことを楽しみにしようではないか。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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