2020/6/7 13:57

オメガとタイソンに意外な共通点!新日本がタイソンに圧勝?AEW登場!マイク・タイソンvsプロレス特集!

閲覧数:1052

5.0

5月27日、AEWに登場し、乱闘。


「アントニオ猪木は、マスコミ間での人気も高い」。これが業界では共通した認識らしいのだが、若かった頃の筆者はこれを、「本人の人当りが良く、何を書いても怒らないからだろう」と、何となく了知していた。それも事実ではある。だが、もう一つの理由を知ったのは、まさに自分が(誌面での)企画等を捻出する立場になってからだった。

 2001年、『横浜ウォーカー』(KADOKAWA)でレスラーの登場する連載欄を持った筆者は、毎週、「次に出て頂く選手を誰にするか?」で頭を悩ませていた。総合誌であるし、出来ればその時に旬な選手、そして、一般層にわかる選手がベストであった。ある回の決め手にかけ、猪木の会見に出かけたその時だ。猪木がぶちあげた。「今年の夏に、マイク・タイソンvs小川(直也)を予定しております!」(2001年2月)瞬間、すぐに小川選手にオファーしたのを覚えている。本音を言えば、筆者もファンとして長かったし、猪木の言うことである。(どうかなあ?実現するかなあ?)と思ったし、実際、実現しなかった(苦笑)。だが、夢のある話だし、ニュースには持ってこいだった。事実、翌日のスポーツ紙も、大々的にこれを報じていた。その時、猪木がマスコミ受けするもう一つの理由がわかった所存だった(※この夢の一戦には、結局、らしいオチがつくのだが、それは後述)。

 そのマイク・タイソンが、遂にプロレスのリングに本格登場した。5月27日(現地時間。以下同)、アメリカはAEWのリングに登場。元UFCファイターたちを引き連れ、クリス・ジェリコらと大乱闘を引き起こしたのだ。抗争への発展も濃厚視されている。

 今回の当欄は、『プロレスvsマイク・タイソン』として特集。プロレス界と付かず離れずの存在であったタイソンの存在を、改めてクローズアップしたい。

DX軍として、WWF登場!


 マイク・タイソンと言えば、若干20歳5か月の史上最年少でWBC世界ヘビー級王座を獲得。そして、翌(1987)年8月までに、WBA、IBFの両世界ヘビー級タイトルを獲得して3団体統一に成功した早熟の超剛腕。彼とプロレスがひょんなことから結び付けられたのは、先ず、タイソンが2度目の来日をした、1990年2月のことだった。この月の11日にタイソンが東京ドームで世界戦をおこなったのだが、その前日、新日本プロレスが2度目の東京ドーム大会を開催。よって、客席がそのまま流用されたのだった。これがちょっとしたマスコミのネタに。曰く、『プロレス人気に負けたマイク・タイソン』。タイソンの世界戦より、前日の新日本の方が、圧倒的に客が入っていたのだ(新日本が6万3900人の札止め。タイソン戦が5万1600人。いずれも主催者発表)。もっとも、新日本の方は当時、夢の対決と言われた全日本プロレスとの対抗戦や元横綱・北尾光司のプロレスデビューというオールスター戦さながらのラインアップ。ボクシング側はタイソンの1枚看板だけに、やむをえぬ結果とも言えた。

 次にプロレス界と接点を持つのが1997年4月。格闘技色も取り入れていたWWE(当時WWF)から、ケン・シャムロックがタイソンに挑戦状。これは黙殺されたが、2ヵ月後に大事件が。タイソンがイベンダー・ホリフィールドとの世界戦でその耳を噛み、反則負け(失格)となったのだ。この出来事は今でもパロディ化されるほどで、事実、翌7月のWCW(団体)でのクリス・ベノワvsケビン・サリバンでは、ベノワがサリバンの耳を噛むシーンが。そして場内からは、「タイソン」コールが……。これでボクシング界においても完全に悪童視されたタイソンは、遂に翌年3月のWWE『レッスルマニア14』にレフェリーとして登場。ショーン・マイケルズ率いるDX軍のメンバーとして、メインのスティーブ・オースチンvsマイケルズに登場。サブレフェリーとして試合を裁いたが、メインレフェリーが乱闘に巻き込まれ不在の間に、マイケルズに3カウント入れオースチンの勝利をアシスト。そして、仲間のはずのマイケルズに右フック!寝返ったのだ。この時のギャラは約3000万ドル(当時のレートで約39憶円)と言われているが、開催されたボストンでの室内競技市場最高の1万9028人を動員(会場はフリートセンター)。十分過ぎるほどのインパクトを生んだ。何せ、当時のライバル団体WCWに、タイソンの耳かみ事件を裁いたミルズ・レーン・レフェリーが登場したほどなのである(1997年7月11日)。余談だが、この耳かみ事件、本年3月にWBCが公式Twitterで選んだ、『ボクシング史に残る迷場面』(※拙訳)4つのうちの1つに選ばれている。

00年代は、vsK-1、PRIDE抗争も。


 2000年代に入ると、タイソンの存在は、日本においてより増した。折からの立ち技、及び、総合格闘技ブームにより、ビッグネームとして白羽の矢が立ったのだ。

 先ず2003年8月15日、K-1のラスベガス大会に登場。リングサイドで観戦していたが、リング上からボブ・サップに挑発を受け、何とリングイン。マイクで「ビッグボーイ!ずうたいがでかいだけの坊やよ。オレにショーツを貸してくれ。今すぐこのリングで戦ってやる」とアジテーションし、場内は大爆発。1週間後にはK-1でのマネジメント契約も締結され、同年12月6日のK-1グランプリ決勝戦(東京ドーム)にはビデオレターを寄せた。ところが、そこで言うには、「私の犯歴がネックとなり、日本の総理大臣が入国を許可してくれなかった」。犯歴による入国不可は本当で、同年大晦日のサップvs曙(ナゴヤドーム)を、ハワイから観戦。この時も画面を通じて、勝利したサップの挑発を受けている。

 翌2004年4月、ラスベガス大会(7月31日)でのK-1デビューが決まり、その契約書も明示されたが、タイソンはなんと、この大会の前日に自らのボクシングでの復帰戦をねじこみ、事実上のドタキャン。結局、明らかに格下相手のその試合にKO負けしたことで威光に陰りが。翌年6月にも格下相手にTKO負けし、事実上の引退状態に。ところが2006年8月になると、今度はPRIDEがタイソンと契約。大晦日、マカオ、もしくはでボクシング形式の試合をする青写真も後日明かされ、タイソン側も、エキシビションによる世界ツアーを発表するなど、リング登場には前向き。ところがこの年の12月30日、タイソンがコカイン使用で逮捕。主だったものだけ抜いても、1992年の婦女暴行、1998年の暴行容疑、2003年の暴行容疑、2004年の器物損壊容疑に続く、5度目の逮捕。結局、PRIDE参戦も幻と消えたのだった。

 ところで冒頭の猪木宣言による小川vsタイソンも、結局、幻に。後日、猪木がインタビューで、「交渉は、信頼出来る超能力者に任せてある」と言っていた時点で、何となくそうなりそうな予感はしていたが……。なお、猪木はタイソンとはこの時期、何度も会っており、タイソンが猪木に向けて、東洋風に手を合わせて拝んでいる2ショットも残されている。

7月放送のビッグマッチで、ジェリコvsタイソン?


 その後、タイソンは意外にもプロレスに回帰。2010年1月11日には、WWEで遂にプロレスラー・デビュー。クリス・ジェリコと組み、12年前に裏切った因縁の相手ショーン・マイケルズ、トリプルH組と対戦。ところが、今回は最後はジェリコに裏切りの鉄拳をブチ込み、マイケルズに借りを返す形に。これが便宜されたわけでもなかろうが、2012年には、WWEの殿堂に選ばれている。

 そして今年のコロナ禍の発生を経て、タイソン側の動きが加速。そもそも前年11月にUFCランカーのフランシス・ガヌーに打撃を伝授する姿がYouTubeで公開。衰えぬスピードを見せつけていたが、本年5月2日には自らのSNSに打撃スパーの様子を動画で披露。その迫力に、全世界が改めて仰天。合わせて、(コロナ禍を受けての)チャリティーマッチでの復帰が海外を中心に報道され、一躍、時の人に。そこに来てのAEW登場となったわけだ。ジェリコには先述のように、10年前、裏切られた思い出があり、冒頭のリング上での大乱闘時、このことも口にしていた。

 AEWは7月に『ファイター・フェスト』なるビッグマッチを控えており、ここで再び、“タイソン軍団”の登場かと見られている。ただ、タイソンの件のチャリティー・マッチ構想のその相手には、以前、耳を噛まれたホリフィールドが挙がっており、世間も、どちらかというと、こちらに注目している印象だ。逆に言えば、AEW自体がその注目を自身に向けさせることも、やり方によっては可能だろう。時世柄、日本のプロレスがビッグマッチへの予兆すら出せない昨今だけに、ジェリコやケニー・オメガら、AEWの首脳陣のリードぶりに、ぜひ期待したい。先ずは7月1日、8日(放送)の『ファイター・フェスト』に注目だ

 ところで、ケニー・オメガの本名って、タイソン(・スミス)だって、知ってました?

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

コメント

    まだコメントはありません。

おすすめ記事

新しいコメントを投稿する

 [PCから画像ファイルをアップロード]

関連付けられたタグ

なし
[タグを付ける]

<< 一覧に戻る