2020/4/13 10:19

干された中西の名言?猪木の雄叫び、国会で問題視!全日本もフルタイム戦でメッセージ!自粛に負けないプロレス名言集!

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 干された中西の名言?猪木の雄叫び、国会で問題視!全日本もフルタイム戦でメッセージ!自粛に負けないプロレス名言集!
5.0

無観客試合で全日本、フルタイム戦!諏訪魔が魂のメッセージ!


 さる4月6日、リング上で、胸の透くような名勝負がおこなわれた。と言ってもこの時世。無観客かつ、配信のみの視聴による試合である。全日本プロレス・新木場1stリング大会のメイン、諏訪魔、宮原健斗、ゼウスvsジェイク・リー、石川修司、青柳優馬が、各々が持ち味を出すノンストップ・バトルに。そもそもの綺麗好きな気質を活かし、除菌スプレーをしながら入場するジェイク・リーに、状況をよく飲み込み、テレビカメラを強く(時にしつこいほど)意識したファイトを繰り広げる宮原。長丁場になろうがスピードがまるで落ちないゼウス。そして、激闘に湧き上がる「全日本コール」。無観客のはずなのに、誰が言っているのかと思えば、この日、試合を終えた他の全日本のレスラーたちが、メインの選手たちを応援しているのだった(個人的には、この熱い客席の模様も映して欲しかったが……)。まさに団体が一丸となって盛り上げた試合は、終わってみれば60分フルタイムのドロー裁定に。わけても、感動させたのは、試合後の諏訪魔のマイクであった。

「俺らプロレスラーは、戦って、汗かいて、みんなを感動させたり、勇気を与えたり……それしか出来ねえよ!(中略)勇気とか、這い上がる根性とか、それをリングを通して伝えて行きたいと思ってます!俺たちのメッセージを、(画面越しにでも)受け取って下さい!」

 国難の際のプロレスラーの発言と言えば、東日本大震災の際、鈴木みのるが杉浦貴に呼び掛けたマイク、「お前がプロレスの力、信じねえで、誰が信じるんだよ!? 俺たち、レスラーが胸を張って、『俺たちの声で立ち上がれ』って、何で言わねえんだよ!」が知られるが、今回の諏訪魔のマイクは、彼自身の愚直さもあいまり、これまたストレートに心揺さぶるそれとなった。

 政府による緊急事態宣言が出た今週の当欄は、全体的な沈滞ムードも鑑み、元気が出る、自粛に負けないプロレス名言集をお送りしたい。

「元気があれば、何でも出来る』のは、プロレスじゃなかった!!


『元気』と言えば先ず、なんと言ってもアントニオ猪木。マイクによる開口一番の、「元気があれば何でも出来る」が、余りにも有名だが、実はこれが常套句になったのは、今世紀に入ってからのこと。それまで挨拶は、「元気ですかー!?」のみだった。試合をする、もしくはした直後の猪木がこのマイクをするわけはないので、つまり、プロレス会場に、あくまでゲストとして来た時から始まった一声だろう。つまりは初の国会議員になって以降(1989年)のパフォーマンスとなるわけだが、その迫力が国会で問題になったことも。2014年3月12日の参院予算委員会で「元気ですかっ!?」と声を張り上げると、当時の山崎力・同委員長が「心臓に悪い方もいる」と注意。よって、翌13日の参院外交防衛委員会では、持論を力説。「このキャラクターでずっと生きて来た。(東日本大震災の)被災地でも、この挨拶で、みんな笑顔をくれた」と説明し、末松信介・同委員長の許可を得た上で叫んでいた。諦めないところが、なんとも猪木らしいところだ。

 ところで、件の「元気があれば何でも出来る」だが、意外なところで報道上の初出をしていた。日時、場所は、2000年10月11日、猪木の初の詩集の出版記念パーティがおこなわれた都内ホテル。この席上で、猪木は言った。「元気があれば何でもできる。いきおい余って詩を書きました」。筆者としてはこれが初出だと思うのだが、これ以前にも言っていたかも知れない。プロレス史家の研究が待たれよう。

 筆が大分滑ってしまったが、数々のハプニングをバネにして立ち上がって来た猪木だけに、元気や勇気を与える名言には、枚挙に暇がない。有名な、「迷わず行けよ」の『道』の詩もそうだし(※オリジナルは別人だが、いずれにせよ、猪木は各箇所の表現を、わかりやすく言い換えている)、1990年2月10日の新日本プロレスの東京ドーム大会では、自らの試合直前、以下の知られた名言を披露。

「やる前に負けること考えるバカいるかよ!」

 テレビ朝日(当時)の佐々木正洋アナが、「もし負けたら、勝負は時の運とという言葉では済まなくなりますが?」と聞いた答えで、しかも同時に強烈な張り手を貰ったのが有名。注目すべきは日付。ちょうど受験期であり、この言葉に勇気をもらったとした方が、筆者の周りにも何人もいたものである。なお、佐々木アナはこの件でムチウチで入院したそうだ。

 他、橋本真也vs小川直也のタッグマッチの直前に披露した「道はどんなに険しくとも、笑いながら歩こうぜ」(※険しい道を暗い気持ちで歩くと、なおのこと良くないという、橋本へのエールとも取れる。2000年1月4日)や、安田忠夫の自殺未遂の後、贈った「花が咲こうと咲くまいと、生きていることが花なんだ」など、年を経ての達観も感じる名言も多いのだが、自粛ムードの昨今には、こちらの言葉はどうだろうか?

「ひとりだからこそ、出来ることもある」

 実際には、自らがイラクから人質を救出する際、他のどの国会議員も協力してくれなかったことから生まれた言葉だが、逆に猪木らしく、イラク現地でプロレスを含めたイベントをおこない人質救出につなげたのは周知の通り。数々のピンチを逆にチャンスに変えて来た猪木らしい発想の転換が底流にはある。他人との接触が、余り望まれない今だけに、それを好機と捉える視座のきっかけとなれば幸いだ。

裏切りに遭った世界の巨人の名言


 ところで冒頭のように、観た人に勇気を与えた60分フルタイム戦と言えば、1995年1月19日、阪神大震災発生2日後の大阪府立体育会館でおこなわれた川田利明vs小橋健太(後に建太)の三冠戦が有名。こちらについては何度も本欄や拙著の類でも書かせて頂いたので詳述は避けるが、この時、小橋が残したコメントが以下だった。

「僕らはリングの上からでしか勇気づけることはできないし、60分間でも地震のことを忘れてもらえたのなら、プロとして本望です」

 その小橋、幾度もの怪我や大病を経ては復帰という、まさに不死鳥ぶりを見せてくれていたが、癌からの生還後、こんな言葉を残している。

「ケガや病気がなければ、出会えなかった人達もいる」

 暗転した状況でも、光を信じる小橋らしい至言ではなかろうか。その小橋の場合は、総じて体調面の不良での表舞台からの欠場だったが、現実には、そうでなくとも、メインストリームに居続けられる人間は少ない。45歳にして14歳年下の川田利明を破り、都合4度目の三冠王座に見事返り咲いたスタン・ハンセンは、試合後、「トシだということだけで、俺とジャンボ(鶴田)を除外しないでくれ」と、明確に時代にあらがう発言をしている。また、第3世代として、中邑、棚橋の台頭を(ある意味)許した中西学の、しかし箴言がこちら。

「俺もまだまだやれるから。干された時期もあったけど、それぐらいのほうがいいダシがでるからね(笑)」(新日本プロレス携帯サイト「インタビューAREA」2012年5月1日分より)

 同じく新日本からは、雑草と呼ばれた真壁刀義の、こんな名句も。

「雑草であればあるほど、花開いた時、奇麗に咲くんだよ」

 また、これほどの雰囲気になって来ると、気持ちもささくれだつし、雇用先でのもろもろの変更や不信、トラブルの発生も皆無ではなかろう。1990年、新興団体SWSに、手塩にかけた多数の所属選手が瞬く間に移籍してしまった全日本プロレスの御大・ジャイアント馬場が、ジャンボ鶴田に言った言葉がこちら。

「なあ。裏切るよりは、裏切られた方が良いよな」

名勝負こそ、レスラーの名言


「プロレスにおいて言葉というのは、卓越した感覚が必要とされます」中邑真輔の言葉である。しかし、それが名勝負の直後に付随した時、まさに言葉以上の価値を生むのも、プロレスにおける名言の良いところではないだろうか。宿命のライバル、ジャンボ鶴田に大死闘の末、初のフォール勝ちを収めた時の天龍の試合後コメント、「まだまだこれからです」(1989年6月5日)、同じく、初めて川田から三冠王座を取った時の小橋のコメント、「今日からが始まりだと思っています」は、言葉としてはシンプルながら、2人の背景とあいまり、胸を打つ。並びに勇気付けられたファンも多いはずだ。

 1996年9月、バス・ルッテンにKO負けした船木誠勝の試合後のマイクでの絶叫、「明日、また、生きるぞ!」も記しておきたい。これなどは、激しい打撃戦で、両目が腫れ上がるほどの惨状の末の言葉だったことで、より胸を打つ一言になったと言えよう。フラフラになりながらも最後まで戦い抜いた船木の姿と合わせて観られれば、文字通り、明日への活力となることだろう。試合こそ、レスラーの言葉であり、名勝負こそ、名言となり得るのだろう。
最後に、そんなプロレス生活を終えた、小橋の、まさにプロレス引退時の言葉を。

「ひとつの青春は終わりましたが、また次の青春を頑張ります!」

 コロナ禍においては終局の見えぬ世情だが、心持ちは前を向いて行きたいもの。各レスラーの言霊が、そのよすがになれば幸いだ。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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