2020/4/6 8:54

急逝前月に会っていたあのレスラー。胸に銘記していた三沢光晴の死。追悼・志村けんとプロレス

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急逝前月に会っていたあのレスラー。胸に銘記していた三沢光晴の死。追悼・志村けんとプロレス
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3月29日午後11時10分、永眠。


 近年、故・橋本真也さん関連のお仕事をする機会が多かったのだが、取材としては、当然、故人の関連人物が対象となる。うち一人である元妻・橋本かずみさんがこう言っていた。

「(元夫の)思い出す笑顔は、猪木さんの真似をした時のもの。今でも思い出して、元気を貰うことがあります。猪木さんの真似と、カマキリの真似と、志村けんの『アイーン』の真似、全部一緒だったんですけどね(笑)」

 それで思い出す、リング上の出来事があった。2004年の2月27日のZERO-ONE(当時)の大会でのことである。いつもは「3、2、1、ゼロワン!」の掛け声で大会を締めるのだが、この日、メインの6人タッグで勝利したエース・橋本真也は言った。「地元ということで、今回は特別バージョンということで」。果たして繰り出された締めの号令は、「3、2、1、アイーン!」。東京は、東村山市民文化センターでのことである。ご存知、志村けんさんの地元であった(もちろん首に手を添える、“アイーン”ポーズ付きだった)。

 3月29日、志村けんさんが逝かれた。幅広い世代に愛された同氏。それを指して、「(志村さんは)ミッキーマウス」(宮根誠司さん。読売テレビ『ミヤネ屋』3月30日放送分より)という評もある。だが、こと、今、30代から50代の方にとっては、『8時だョ!全員集合』や『加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ』(共にTBS系)などの視聴もあり、無二のコメディアン、ないし、稀代のコント師という印象が強いのではないか。そして、それは、読者の皆様だけでなく、その時期を生きたプロレスラーたちにとっても。

 今回の当欄は、偉大な、まさにタレント(才能)の損失を惜しみ、「志村けんとプロレス」というテーマでお送りしたい。

三沢にサスケ、そして真壁も志村ギャグ発射!


 2011年5月29日、新日本プロレスの後楽園ホール大会でのことだ。メインは『BEST OF THE SUPER Jr.』公式戦の田口隆祐vsザ・グレート・サスケ。サスケは開会前、「田口選手に勝ったら、“タグダンス”を踊る!」と宣言していた。

 しかし、そのサスケ、結局、惜敗。田口は勝利の儀式にタグダンスを踊る。すると、これにサスケも同調し始めた。ところが、その動きがまるで違う。平泳ぎの手法に、股間を突き出す動き。そして、盆踊りのようなテンポで、全くリズムも合わず。(なんなんだろう?)と思い、階下の東側コメントルームで話を聞くと、言った。

「あれはタグダンスじゃない。誤解しないで欲しい。あれは、“ヘンなおじさん”の踊りだ!(記者陣に)『あんだちみは?』って言った?そーです、私がヘンなおじさんです!」

 志村けんに心酔していることを度々公言し、トークも「だっふんだ!」で締めることもあったサスケ。この時は久々の新日本参戦だったが、会心のサスケ劇場炸裂といった感があった。

 そう、志村けんさんと言えば、何よりもその影響力の強いギャグと言い回し。「最初はグー」を言い始めたのは志村さんだし、『東村山音頭』や「♪カラス、なぜ鳴くの。カラスの勝手でしょ♪」などなど、耳にした視聴者が、口伝宜しく真似たギャグは、枚挙に暇がない。

 1972年生まれの真壁刀義も同様だったようで、2010年8月8日、横浜文化体育館での『G1 CLIMAX』公式戦で、プリンス・デヴィットの2階席からのダイビング・ボディアタックを食らうと、試合後、一言。「一瞬、(デヴィットを)見失ったよ。そしたら客が『真壁、後ろ後ろ』って。おれはドリフかよ(笑)」。『8時だョ!全員集合』での客席とのやり取り、「志村、後ろ後ろ」を期せずしてリプライズさせ、これには記者陣も大ウケだった。因みに、非常にレアな話題になるが、永源遥は1974年に、『8時だョ!全員集合』に出演。「撮影は一日がかりで、本当、大変だった」と振り返りつつ、今は亡きいかりや長介さんから金言を頂く。それは、「一生懸命やる中でのハプニングこそが、面白い」。永源さんが後年、ツバ吐きを続けたのは、この言葉が胸にあったからとか。

 最後まで一線に立ち続けた志村さんだけに、70年代や80年代の往時でなく、後年のネタを披露するレスラーも。2009年1月4日、新日本プロレスの東京ドーム大会で杉浦貴と組み、中邑真輔、後藤洋央紀と戦った三沢光晴(NOAH)は、その後の両団体の交流に前向きな姿勢を示し、こうコメント。

「(新日本のリングの)ブルーでなく、今度はノアのリングでできれば。志村けんじゃないけど、『グリーンだよ!』って……」

 当時のキリンビール『淡麗』(※緑の缶デザインが特徴)CMでの、志村さんの決め台詞を真似したものだった。反応については、この数秒後に隣席した杉浦が、「……笑うところだよ」と記者陣に強めの口調で言っていたことで想起して頂ければ幸いである。

 ただし、この時の三沢は上機嫌。それもそのはず。志村とはプライベートでも交流があったのだ。志村さんは、特に全日本プロレス、そしてNOAHの選手と親睦があることで有名だった。

誕生日を祝ったあのレスラー


 もともとは1990年代半ば、夜の街に(意外にも?)たしなみを持つ渕正信がクラブで飲んでいた際、志村の方から声をかけられたのがきっかけ。その後、三沢、川田と交友が広がった。実は三沢がプロレスをテレビで初めて観たのは中学2年生の時のこと。土曜の夜8時から日本テレビでやっていた『全日本プロレス中継』だった。では、それまではその時間、何を見ていたかと言えば、当時の子供たちのご多分に漏れず、『8時だョ!全員集合』。酒を酌み交わすに、時間はかからなかった。また、拙著の類でも書かせて頂いたが、川田と飲んでいた際、川田が知り合いだった上島竜平を志村さんに紹介し、その後、上島及びダチョウ倶楽部の面々が志村ファミリー入りしたという、有名ないきさつもあった。

 志村さんは『全日本プロレス中継』の副音声ゲストも務めれば、年末の特番『全日本プロレス中継 掟破りの逆エルボーSP』にも出演(1998年)。この前年には、『バカ殿さま』のメイクをしてリングに登場していた泉田純に、“公認”のお墨付きも与えており、まさに全日本プロレスの魅力に、どっぷりはまっていた感があった。

 とはいえ、これほどのレジェンドだけに、ファンを公言する他団体レスラーも後を絶たず。訃報の直後でも多く報じられたが、その筆頭が桜庭和志。総合格闘技のリングでも“魅せる試合”を標榜していただけに、“アイーン”からのチョップも何度も試運転。遂には雑誌『sabra』(小学館)での新連載『桜庭和志のアイーン対談』の第1回目で、念願の対談。この時、「元祖アイ~ン」を直接伝授されたばかりか、「アイ~ンのチョップの仕方を直してもらった」という。さらに、『変なおじさんパンチ』など、新技も教わったというから驚き。追悼の意味でも、リングに上がる時はぜひ披露して欲しいものである。余談だが、手話で『志村けん』を表す時の仕草は、この“アイーン”ポーズだったって知ってました?

 さて、その後も志村さんのプロレス好きは続き、例えばNOAHでは2008年9月6日の日本武道館大会を生観戦。メインでは佐々木健介が森嶋猛を破り、GHC王座を奪取。IWGP、三冠統一ヘビーに続く、史上初のメジャー3大王座制覇を達成した瞬間を目撃している。なお、健介とはこの数年前より知己の仲。実は本年の2月22日、芸能関係者を招いての志村さんの誕生日会がおこなわれているのだが(※本来の誕生日は、御存じ、アントニオ猪木や長嶋茂雄と同じ、2月20日)、この場に健介も出席している。憶測に過ぎないが、日付から考えると、プロレス関係者として最後に会ったのはこの健介かも知れない。

三沢への惜別の言葉


 その志村さん、2009年6月17日には、こんな内容を、自らのブログにアップしている。

『プロレスの三沢選手 
残念ですが プロレスは人生そのもの と言ってましたから
リングの上で は 本望でかっこいい
歴史に残る
私も舞台の上で死ねたら本望です』(スペースは原文ママ。『志村けんオフィシャルブログ Ken’s Blog』より)

 御本人としては、至極、無念の死だったかも知れない。だが、志村さんが、「お笑いを続けられる理由は?」と聞かれた時の理由に、こうある。

「結局、人の笑顔を見るのが好きなんでしょうね」

 その笑いは永遠に残り、笑顔は後に継がれて行く。天国からも、それはきっと見えることだろう。改めて、ありがとうという言葉をしたためたい。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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