2020/3/16 10:13

決勝がおこなわれなかったトーナメント大会!新団体が払い戻しを肩代わり?『NEW JAPAN CUP』大会全休へ!プロレス“払い戻し”ヒストリー

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14年前の“払い戻し”事件


 コロナウィルスの猛威が止まらない。新日本プロレスは、前段の、3月1日から同14日の大会中止に続き、3月10日、以降のシリーズ日程の中止も発表(3月16日から21日までの5大会)。これで、『NEW JAPAN CUP』大会は全休となるわけだが、同団体の公式HPを観ると、チケットの払い戻しの方法が、ファンクラブか否か、また、チケット会社はどこかなどの入手経路別に、大変仔細かつ、また丁寧に、説明されてあった。そのことで、ふと思い出すことがあった。14年前、2006年の7月のことである。

 同月の17日、時のIWGPヘビー級王者、ブロック・レスナーが札幌・月寒グリーンドーム大会で、棚橋弘至の挑戦を受けることになっていた。ところが、対戦僅か2日前の15日にレスナーがこれをドタキャン。当日の試合は、結局、IWGP新王者決定トーナメントとなったのである(※棚橋が決勝でジャイアント・バーナードを破り新王者に)。この顛末については、以前、当時の社長のサイモン猪木氏にインタビューした際、「レスナーとの契約の問題」とサイモン氏が告白。レスナーはそもそも新日本プロレスと前年、契約したが、数試合終えたところで、親会社が『ユークス』に変更。『ユークス』は予算の引き締めを現場に要求して来たため、最初の契約の条件で、レスナーを呼べなくなり、レスナーもヘソを曲げたとのことだった。「それでもこちらとしては最大の誠意を見せたのですが……。現場はもう、社内でも意思の疎通が取れない。無茶苦茶でしたよ……」(サイモン氏)。思い出したのは、その時の対応だった。

 “大物”レスナーの不参加により、当然、チケットの払い戻しがおこなわれることとなった。ところが、その条件が、「当日、会場前でのみ、受け付け」となっていたのである。「午後2時から午後5時まで」と、時間も指定してあった。言わずもがな、電話や郵送等による対処がなかったのだ。では、遠方から来る客はどうすれば良かったのか?当時、それこそ掲示板の類で、「メジャー団体らしからぬ措置」の声が上がっていたのを覚えている。

 そして現在。報道を見ていても、新日本プロレスの大会中止は、他のプロスポーツと同様に扱われ、そのスタンスは、他の団体にも、いわば追従されるものとなっている。業界のトップの座に返り咲いた14年間の道のりだったと言えばセンチに過ぎるだろうが、こういった時期だからこそ、老舗かつ盟主としての善後策に、まさしく今後も期待がかかろう。

 今回の当欄は、大会中止を鑑み、この『払い戻し』を中心に、諸相を辿ってみたい。

幻に終わった、オールスタートーナメント。


 昨年10月、台風19号の接近にともない、『プロレスと台風』なる拙稿を本欄で書かせて頂いたが、そこにも触れたように、例え屋内の会場でも、荒天で試合中止、並びに払い戻し対応になる場合は少なくない。交通網の麻痺により、準備が出来ないことがあるためだ。天龍源一郎率いるWARの千葉大会は、リングを積んだトラックが時間内に会場に着かなかったため中止(1994年12月)、みちのくプロレスの青森大会も、リング運搬トラックが事故に巻き込まれたことで中止に(1995年1月)。それぞれ払い戻しがおこなわれた。因みにこういった時、会場は開いており、選手も先着してる場合がほとんど。なのでこれらのケースではサイン会や握手会、トークショー(みちのくプロレス)などをおこない、ファンに喜んで貰う場合も。

 対して、そういった善処も施しようがないのが、興行のメドが立たないという事情での払い戻し。そもそも1戦目であるはずの旗揚げ戦が中止となり、払い戻しがおこなわれた例だけで、筆者が知る限り、2つある(1991年12月のWMA、1997年1月のFFF。他、古くは1978年10月の『ワールド女子プロレスリング』という団体もあったが)。WMAは旗揚げ4日前、FFFは旗揚げ6日前の、急遽の大会中止、並びに、払い戻しだった(いずれも会場は後楽園ホール)。前者は選手が確保出来なかったこと、後者は資金難が理由。FFFは、時価3憶円のタッグ王座ベルトがあったことでも有名な、石川孝志が率いる東京プロレス勢をサポートしていたバイク便会社が、その後もオーナーになる予定だったが、「資金繰りの急激な悪化のため」頓挫。(3憶円ベルト、売ればいいのに……)と思ったのは筆者だけではないだろう。

 その2団体より、急激な大会中止かつ、払い戻しがおこなわれたのが、2009年の『ハッスル』。後楽園ホール大会の前日に、それを含む年内4大会の中止が決定。実は7月を目途にそれまでの大スポンサーだった娯楽機器メーカー、Kが撤退。こちらも資金繰りの悪化による事態であったが、驚いたことに、当日訪れたファンに、その場での払い戻しがおこなわれず、郵送による対応に。ところが、それも機能ぜず。なんと後発団体のSMASHが、払い戻しについても対応することになっていた。

 他、「関係各位と話の調整がとれず」、延期、及び中止になったのが、上井文彦氏が仕掛けた大々的なトーナメント大会『WRESTLE-1 GRAND PRIX 2005』。トーナメント1回戦と2回戦は両国国技館、国立代々木競技場でおこなわれたが、肝心の準決勝と決勝が、結局おこなわれず。それもそのはず、1回戦のカードから、ザ・グレート・ムタvs曙、佐々木健介vs長州力、ボブ・サップvsジャイアント・バーナード、秋山準vs柴田勝頼、諏訪間幸平vsザ・プレデター、天龍源一郎vs村上和成という、団体も出自も違う、まさにオールスターが集結。(それぞれの団体の事情もあるし、このメンバーで続かせるのはなかなか難しいでは?)と思ったが、あにはからんや、そうなった。因みに中止になった準決勝は、鈴木みのるvsジャマールと、ムタvsサップ。勝者が同日(※2005年12月2日を予定)に横浜アリーナで決勝をおこなうこととなっていた。幻となった決勝カードと、優勝者を予想して楽しむのも良いかも知れない。

 一方で、団体は存続しているのに、リングで試合はおこなわれるのに、払い戻しがおこなわれるケースもある。それが、人気選手の欠場によるカード変更時、並びに団体からの大量離脱時だ。

「満足出来なきゃ払い戻し」大会も。


 2000年6月、全日本プロレスから、三沢光晴を含むほとんどの選手が新団体、NOAHに移籍することになると、全日本プロレスは翌7月シリーズの各大会の払い戻しを決定。ただ、全日本の主催ではなく、三沢たちが出ることになっていた、いわゆる“売り興行”については、残った川田が会見で出場を要請。「全日本の主催試合ではない4大会には、責任と義務を果たしていただきたい」真っ当な言い分であり、もちろん三沢らもこれを了承した。なお、川田さんに以前インタビューした際、「その4大会で、真っ先に挨拶に来てくれたのは秋山(準)だった」と述懐。もちろん秋山自身の礼節もあろうが、その秋山が今、巡り巡って全日本プロレスを率いていることに、一種の感慨を禁じ得ない。1993年1月には、当時の『プロフェッショナルレスリング藤原組』から、船木誠勝、鈴木みのるらが離脱(後に『パンクラス』旗揚げ)。直後の後楽園ホール大会では、払い戻しもおこなわれ、選手も藤原と石川雄規だけとなり、選手層の薄さから藤原は2試合に出場。だが、会場には超満員のファンが詰めかけ、大「藤原」コールを。全試合終了後、マイクを持ち、「私は老骨にムチ打って、再び立ち上がります!」と震える声で言明した藤原だった。
 2010年7月のDDTの両国国技館大会は、大成功に終わったが、払い戻し処置も。目玉カードの飯伏vs丸藤が、飯伏の負傷により中止に。これによる対応だったが、代役は、既に飯伏の無二のパートナーだったケニー・オメガ。どれほどの払い戻しがあったかはわからないが、当時はもちろん、今振り返れば超が上乗せされるBIGカードであり、そのまま観戦したファンには胸に刻まれていることだろう。

 そのDDT、払い戻しそのものをネタにしたことも。2007年9月23日の後楽園ホール大会で、「(試合に)満足出来なければ、払い戻し致します」とした。「理由を後日、書面にて送ること」との条件がついており、ファンの声にことさら敏感なDDTらしい企画であった。5年後の8月、日本武道館大会を成功させたDDT。自身の試合が終わった後の総括で、「今年、プロレス界で日本武道館大会が出来たのはウチだけ。これをどう他団体はとらえるのか?ウチの試合を観てみろ。試合中、寝てる客はもちろん、トイレに行く客すらいないぞ」と語った高木三四郎。コンテンツ充実への努力に対する、自信が感じられた一瞬だった。

微笑んだプロレスの神様


 レスナー欠場を受け、棚橋は冒頭の札幌大会の前々日、こう語った。「ファンが目の前にいたら土下座したい。プロレスの神様がいるなら、一度でいいから助けて欲しい」。そして札幌の全試合終了後、新王者となった棚橋は、マイクでこう締めた。

「今日、集まってくれたファンの皆さん、愛してます。そして、やっぱり俺は、新日本プロレスを愛してます」

 後の「愛してま~す!」ではない言い切り型の「愛してます」。力強かった。

 払い戻しの詳細も各マスコミに伝えられた。「電話での問い合わせが15人。実際、払い戻しとなったファンは30人程度」。そして、大会の動員数は、3955人。広い月寒ドームで満員とはならなかったが、ささやかながら嬉しい報告もあった。前回1月の同会場使用時の3000人を大きく上回る客入りだったのだ。ここから棚橋が、新日本の再生ロードのために、身を粉にして尽力したのは改めて書く必要もないだろう。

 ファンはプロレスを待っている。今回の払い戻しが改めてそんなファンたちとの絆を再確認出来る機会になることを、願ってやまない。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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