2020/3/2 10:47

HHHも感動の礼儀正しさ!ディズニーに、同名のキャラ登場!? WWE行き決定!Sareee特集!

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HHHも感動の礼儀正しさ!ディズニーに、同名のキャラ登場!? WWE行き決定!Sareee特集!
4.5

2月22日、WWE行き発表!


 その2枚の写真には、明らかに相違があった。1枚目は、バックに団体のロゴの入った幕が張られている。ところが、2枚目にはそれが無かった。同じ日に、同じ角度で撮られたものなのにである。場所は今はなきディファ有明の、西側コメントスペース。単純に、張られていた幕が、大会の途中で落下。普通はガムテープなどで張り直すものだが、この日はそれもなく、興行が進行していたのだった。それに時間を割けないほど、舞台裏は忙殺されていたということになる。2011年4月17日、女子プロレス団体。ディアナの旗揚げ戦でのヒトコマである。
 最初から、苦難に見舞われた旗揚げだった。本来なら3月21日に旗揚げのはずが、東日本大震災の影響で延期。4月17日に仕切り直しとなったが、同会場の使用勝手に明るくなかったのか、勝者と敗者が同じスペースでコメント。勝者のそれが終わり、席を立つと敗者が入れ替わるといった体で、当然、時間もかかり、その間に次の試合は始まっている。老舗夕刊スポーツ紙の記者がイライラしていたのを思い出す。そこに来ての幕の落下。同記者が呟いた。「前途多難だな……」確かに、大会の進行に対する印象は、筆者もそれに遠くなかったかも知れない。

 だが、その日のセミファイナルが、そんな心象も吹き飛ばした。この日デビューとなった新人が、既に15年以上のキャリアを誇っていた“女子プロ界の横綱”、里村明衣子を相手に溌剌としたファイトを展開。同選手は、1996年3月31日生まれ。つまり、本来の旗揚げの予定なら、14歳でデビューはずが、延期で、1つ年を取った形での初陣となっていた。それにしたって若干15歳。デビュー、それもセミで里村相手という大抜擢の理由を、同団体の代表である井上京子は、ニヤリと笑い、こう語った。

「明日、井上京子やアジャ・コングと当たっても、大丈夫な身体が出来たからです」

 その時の新人、Sareeeの、WWE行きが発表された(2月22日)。現在では、アスカ、カイリ・セインなど、同団体で活躍する日本人女子選手は多いが、前者が34歳、後者が28歳でWWE入りしたのに比べ、Sareeeはまだ23歳。より無限の可能性を感じさせよう。

 今回の当欄は、このSareeeについて特集。同団体での成功の可能性について探りたい。

努力、ルックス申し分なしの、Sareeeに欠けていたもの


 1996年、東京都板橋区生まれ。小学1年生時よりNEO女子プロレスのファンであり、自身もプロレスラーを目指し、キックボクシング、柔道に邁進。中学卒業と同時のNEO女子プロレス入りを狙っていたが、同団体の活動停止を聞き、2010年7月、その中心選手である井上京子の元で練習生に。同時期、アニマル浜口トレーニングジムにも通い、浜口京子の指導も受けている。

 旗揚げ2ヶ月前におこなわれたプロ入りテストでの逸話は伝説化している。前日の練習でショルダースルーの受け身を取り損ね、第2腰椎横突起骨折の大怪我。しかし、テストの延期をよしとせず、そのまま臨み、腕立て、腹筋、首の運動と、スクワット1000回をこなして合格。とはいえ、これまでは300回しかスクワットをこなしたことがなく、まさに根性での達成となった。

 冒頭でのデビューから数えればデビューして9年。代名詞とも言っていい強烈なエルボーに、栗原あゆみ直伝とされる裏投げをフィニッシュムーブに、攻めを中心としたプロレススタイルは、まさに往年の全日本女子プロレスの直系を思わせる。加えて人口に膾炙している一つの特長はその可愛らしさ。『週刊プレイボーイ』のカラーグラビアにも登場(2018年4月16日号)。昨年4月16日のセンダイガールズでの試合では、橋本千紘からこんなマイクも。「ちょっと顔が可愛いからって、お前と顔のレベルは変わらねーんだよ!プロレスのレベルはこっちが上!」Sareeeも負けじと、「プロレスも顔もこっちが上!」と言い返したが、その部分で、一種のスター性にも恵まれているのは事実だろう。

 ところが、これほどの金の卵ながら、Sareeeが聖地・後楽園ホールのメインに立てたのは、デビューして5年後の2016年5月5日。旗揚げ戦のセミファイナルで、里村を相手にしたのにである。その日、シングルで『SEAdLINNNG』の世志琥を相手にし、敗れたSareeeは言った。「いいライバル、見つけたわ。自分、お前みたいなライバルが欲しかったんだよね」

 実はSareeeには、同期と呼べる選手がいなかったのである。

真実を突いた、アジャからの提言


 新たに入門しては、練習に厳しさに耐え兼ね、新弟子が逃げ出す日々。ひいては、一人で雑用をこなす日々。ディアナの道場兼合宿所は、川崎駅の徒歩圏内にあり、恵まれた環境ではあったが、夜になると、ここの商業施設で、一人で食事をしたり、UFOキャッチャーに興じるSareeeの姿が目撃されていた。因みに当時、10代の女性らしく、デイズニー映画が大好きで、特に好きな作品は「モンスターズ・インク」。こちらの主人公キャラクターの名が同じ『サリー』だったことも、無縁ではないようだ。

 しかし、そのような環境ゆえ、当然、対戦相手は先輩たちとなり、上達も早くなることに。また、この環境で揉まれたことで、その礼節の備わりにも高評価。時が飛ぶが、昨年7月、日本公演をおこなったWWEのCOO(最高執行責任者)、HHHがSareeeと接触。もちろん、自団体での獲得を見越したものだったが、共に観戦した日本公演終了後、Sareeeが雨の中で傘も差さずにHHHの乗った車を見送るシーンが。車内のHHHは、そのしつけの良さに感動していたという。2017年10月、鎖骨を骨折し、全治3ヶ月の重傷を負った際は、裏投げの師匠、栗原あゆみから、こんな言葉をかけられている。「しっかり治して。私みたいにならないで」で励まされている(※栗原は鎖骨の古傷が元で、2013年に現役引退)。

 一方で、こんなSareeeを苦々しく思っていた人物も。アジャ・コングだ。2018年、井上京子戦の前にしたSareeeに、以下のアドバイス。「リスペクト不要。潰しに行け」自身が同年12月、Sareeeとのシングルに勝利し、再戦を申し込まれると、「ノールールでならいいよ」果たして翌年2月におこなわれた再戦は、アジャの発案により、「凶器攻撃の直後にのみ、3カウントが取れる」というルールに。ところが、一斗缶(凶器)を携えて入場して来たアジャに対し、真正面からのファイトを身上とするSareeeに凶器の携帯はなく。試合中、椅子を振り上げるも、躊躇するシーンも。結局、大流血戦の末、アジャに完敗した。

 他方、同世代との抗争への渇望を、Sareeeが自身の行動で示すこともあった。2017年3月にはSEAdLINNNGに移籍。同世代の世志琥らと、争っていきたかったからであった。

 ところが、半年後の9月には、同団体からの退団、及び、ディアナへの復帰を発表。理由は明快だった。

「団体の中に入って、ライバルというより、仲間意識が出来てしまった」……。

マイク・パフォーマンスが鍵に?


 WWEがSareeeを高く評価していたことは、先にも少し触れたHHHからの公言で明らかだ。他の例をみても、事前にこれほど明言するパターンはなかなかない。その確かな技術とプロレスへの熱意、及びプロとしての華も含め、可能性を見出したのだろうし、他の日本人女子レスラーが活躍するAEWへの対抗意識もあると見られる。

 Sareee自身に関して言えば、激しいまでの上昇志向を、自らがどれだけ上手くコントロール出来るかは、一種の鍵になると思われる。プロレスは一人で出来るものではないし、巨大組織であるWWE内であればなおさらだ。しかし、先述のように、僅か1年の間に、他団体に移籍し、また古巣に戻って来るという例は、プロレス有史を振り返ってもそれほどあるわけではない。そして、その両者が、快くSareeeの決断を受け入れていることに、極めて注目したい。努力家なのは勿論、プロレスに対する一途な気持ちで周囲を味方に出来る選手なのである。この人間的な魅力は、WWEでの成功を、大きく保証するものだろう。

 他方で、気になるのは、Sareeeのピュアな闘いへの専心である。いや、単純に言い換えれば、例えばこの発言だ。「私は言葉より試合で見せるタイプなんです」(『週刊プロレス』2019年10月16日号)。WWEにおいて、マイク・パフォーマンスは必須。前掲の、凶器攻撃を自ら拒んだスタンスも気にかかる。TAJIRIさんに2003年インタビューしたとき、WWEについて、こんな風に言っていた。「(WWEは)全てにおいて、高いレベルが求められる職場」

 デビュー時に既にダイヤの原石ぶりを見せてくれたSareee。個人的に妥協はして欲しくないだけに、Sareeeの意欲を活かす周囲の理解を願ってやまない。世界においてそのダイヤの輝きを見せるチャンスは、すぐそこに迫っている。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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