2019/11/9 22:10

皇室1のプロレスファンは?陛下がマスク剥ぎ?即位パレード間近!「皇室とプロレス」特集!

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皇室1のプロレスファンは?陛下がマスク剥ぎ?即位パレード間近!「皇室とプロレス」特集!
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台風の余波で延期されたパレードが、いよいよ開催。


 まだインターネットの類に発売情報は出ていないようだが、先日、アントニオ猪木さんの公式本を作るお手伝いをさせて頂いた(※刊行は近日です)。ご本人へのインタビューはもちろん、様々なアプローチを駆使し、作成して行ったのだが、その中で、少し気になる情報があった。それは、1987年10月4日におこなわれた、猪木vsマサ斎藤の巌流島決戦でのこと。

 ご存知の通り、マサ斎藤さんは昨年7月に逝去。その際、この2時間5分14秒の死闘、巌流島決戦も、また、陽が当てられることになったのだが、この時、猪木さんが、貴重な述懐をしたのである。

「巌流島決戦が終わった後、偶然、東京駅で、ある皇族の方にお会いしたんです。すると、開口一番、こう仰いました。『マサ斎藤さんは、お元気ですか?』と……」

 令和に突入し6か月。来たる11月10日(日)、遂に天皇、皇后両陛下のパレード(「祝賀御列の儀」)がおこなわれる。祝日となった10月22日に既に「即位の礼」の中心儀式はあったとはいえ、やはり、このパレードこそが、多くの国民が直接祝福の意を表せられる部分でも、最も注目のセレモニーと言っていいだろう。

 果たして、前出の皇族はどなただったのか?そして、知られざる、ある皇族の方とプロレスとの関係は?今回の当欄はこの一大イベントを鑑み、「皇室とプロレス」について触れてみたい。

力道山も熱視線(?)の、ご成婚パレード


『一大イベント』と書かせて頂いたが、それは今回に限らず、過去のパレードの類でも変わらない。この令和になっても、過去を回顧するテレビ番組においては、「力道山によるプロレスが、テレビの普及に一役買った」という切り口が見受けられるが、当時を振り返る報道によれば、この、「テレビの購入ブーム」は、主に三期間あり。その1期目が、力道山による、プロレス・ブーム(1954年~)。3期目が1回目の東京オリンピック(1964年)。そして間の2期目が、皇太子・明仁親王(当時)と、正田美智子さん(当時)のご成婚パレードの生中継(1959年4月10日)だったとか。パレードの1週間前にNHKの受信契約数は200万台を突破したというから、文字通り、国民的な関心事だったわけだ。

 この影響を意外な部分で受けたのが力道山。当時、離別もあり、35歳で独り身であった力道山だが、親交のあったスポーツH紙の記者に、「オフレコだぞ」と言いながら、「恐れ多いが、もし結婚するなら、美智子さまのようなタイプの女性が良いなあ」とよく言っていたという。力道山は1963年6月に結婚披露宴を慣行。H紙の記者に、「ついに見つけたよ!」と顔をほころばせ、報告したという。

 因みにその明仁親王と美智子さま、つまり現在の上皇様と上皇妃さまだが、平成期の2009年5月31日には、なんと高田延彦出演の舞台を観劇(宮本亜門演出『ヴィジョン!ヨコハマ』)。武士役で出演した高田は、「後にも先にもこのようなシチュエーションでの経験は二度とないであろう。(中略)リングに向かう時とは違う、異質な緊張感を体感した日でもある」と、自らのブログで語っている。

えっ?陛下がマスク剥ぎ?


 ところで、スポーツ選手が天皇陛下に相まみえる機会としては園遊会も有名だが、プロレスラーではないが、こちらで異彩を放つ挨拶をしたのが、現・プロ格闘家の石井慧。2008年の8月、北京五輪で柔道金メダルを獲得。するとその翌月、招かれた園遊会で、当時の天皇陛下に次の五輪への意欲を聞かれ、「(ロンドン五輪を)目指しません!」。実際、この2ヶ月後(11月3日)には、正式にプロ格闘家への転向を表明。なんとも破天荒な言動だった。余談だが、そのプロ転向会見の午前中、石井は地元、大阪・茨木市で市民栄誉賞を受けていたのだが、この時はプロ転向の可能性について一言。「何も言えねえ」。同じ北京五輪で水泳の北島康介が金メダルを獲った時の名言をリプライズしていた。

 謁見のチャンスがあった外国人レスラーが、ザ・デストロイヤー。2017年、秋の外国人叙勲で旭日双光章を受勲。本人の体調もあり、伝達式は自宅近くのニューヨーク州バファロー市で行われたが、もし体調が良く、過去にあったように日本を頻繁に訪れてる時代なら、と前置きした上で、デストロイヤーは日本のマスコミに対し、こう語っている。「私が皇居に参上して天皇陛下から勲章を直接いただくことができたとしたら、面白いことになったでしょうね。陛下に拝謁する際は、誰もが帽子やマスクを取らなくてはならないそうですから。私はこれまで、『日本人の前ではマスクは脱がない』という主義を貫いてきました。しかし、陛下の前で非礼に当たる振る舞いはしたくありません。天皇陛下が『ザ・デストロイヤーのマスクをはいだ唯一の日本人』になられたことでしょう」。日本の礼儀や文化にすら精通していたデストロイヤーの、茶目っ気たっぷりのコメントであった。そのデストロイヤーの追悼興行は、来たる11月15日、大田区体育館にておこなわれる。

(現)天皇から弟へ、熱きプレゼント!


 さて、今回の天皇、皇后両陛下がご成婚されたのは、記憶にある読者もいるだろう、1993年6月9日のこと。婚約の内定が先立つ同年1月6日なのだが、その間、雅子さま(当時。以下同)に関する情報は、加熱気味なほど各紙誌を賑わせた。外交官として多数の外国語に精通していることはもちろん、その生い立ちについても触れられていたのだが、中でも目を引いたのが、その積極性溢れるスタンスと、大変なスポーツ・ウーマンだったという事実である。特に中学生時は、野球熱が高じ、巨人軍の練習風景を、多摩川グラウンドまで観に行くほどに。そして、なんと学校に軟式野球部の創設をかけあったのだという。許可がおりず、結局、ソフトボール部になったが、発案者の雅子さまはまさに先頭に立って活躍。部員は10人ほどだったが、エースで3番というクリーンアップを務め、中学3年の時は、世田谷区の大会で優勝したとか。

 では、小学校の時は、どんなスポーツが好きだったのか言えば、これはもう、当時の記事を読んだ方がいるなら、印象に残ってるかも知れない。大の女子プロレスファンだったという。ちょうど、ビューティー・ペア(ジャッキー佐藤&マキ上田)が出て来る直前あたりで、雅子さまの小学校高学年時は、充分に女子プロレス・ブームが芽吹いていた時期でもあった。2人の妹とともにプロレスごっこに明け暮れ、リングネームは「ナンシー雅子」。これは今ではレジェンドと言っていい美人女子レスラー、ナンシー久美から取ったものとされる。当時の女子プロレス人気もうかがわれよう。

 それではお相手の浩宮さま(当時。以下同)はどうだったのかというと、1983年11月30日の中日新聞に、こんな記事が出て来る。

「英国に留学中の浩宮さまから礼宮さまにこのほど、誕生祝いのカードと英語のプロレスの本が届いたという」。記事タイトルは、「礼宮さま、きょう18歳」。

 そう、浩宮さまの弟の礼宮さま(当時)、現・秋篠宮文仁親王こそ、皇族の方々の中でも大のプロレスファン。筆者が漏れ聞いたところによると、(古くて恐縮だが、)スティーブ・ライト等、欧州の技巧派(今で言う、ザック・セイバーJr.のようなタイプ)が好みだったよう。ご自身の留学中には、現地のプロレス会場にも足を運んだ模様で、いくつかの目撃談が当時の記者(特派員)の方々から残っている。浩宮さまがプロレス好きという情報は残念ながらないが、件のプレゼントに、弟思いな姿が透けて見えよう。新日本プロレスの元リングアナ、ケロちゃんこと、田中秀和氏によれば、選手の一団が秋篠宮さまと同じ新幹線になった事があったそうで、マサ斎藤の前で立ち止まられ、「マサ斎藤さんでいらっしゃいますね。いつも観させていただいてます。これからも頑張って下さい」と挨拶されたとか。冒頭の逸話の皇族も、おそらく秋篠宮さまの可能性が濃厚だろう。

 因みに、以前インタビューした関係者によれば、浩宮さまのプレゼントの話が出た時、一様に新日本プロレスの外国人選手は驚いたのだという。例えてイギリスで言えば、国王の皇子がプロレスファンということで、日本におけるプロレスの人気と地位の高さにも衝撃を受けていたとか。

 それから35年以上。元号も平成すら終わる今年となったが、変わらずリング上の盛り上がりを見せている新日本プロレス。令和になっても観る人の地位や格式を問わず、その心震わせる戦いを期待したい。


この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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