2019/9/1 12:34

あの伝説的男優もお気に入り!愛妻の前ではAKBも披露する猪木!猪木妻・田鶴子さん死去

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あの伝説的男優もお気に入り!愛妻の前ではAKBも披露する猪木!猪木妻・田鶴子さん死去
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享年62で永眠。


 3年ほど前だったか、仕事で“平成の仕掛け人”と言われる永島勝司氏(元新日本プロレス渉外担当及び企画宣伝部長)にお会いした時のことだ。妙にニヤニヤしていた同氏は、筆者が席に座ると、切り出した。「実はさあ、昨日、凄くいいことがあったんだよ」「なんでしょう?」「猪木から電話が来て、喋ったんだ」

 何のことはない会話だが、思うところがあった。猪木は、ここ数年、義理の息子のサイモン・ケリー猪木(元新日本プロレス社長)や、実弟の猪木啓介さんですら連絡が取れない状態が続いていたのだ。懇意な女性が、猪木の携帯電話をも管理しているためであつた。無論、永島氏も言うに及ばずであった。

 その状態を打開しようと、一計を案じたのが、筆者の知る編集者だった。猪木が出席する「シュートボクシング協会創立30周年記念パーティー」(2015年7月21日・六本木ヒルズクラブ)の招待状を、出席予定だったUWFインターナショナルの関係者から2枚入手。それを用い永島氏と会場に突入し、そこで直接、猪木に携帯番号を渡すという手段に打って出たのだ。

 目論見は成功。ホットラインが復活した上での、前述の言葉であった。ただ、この時も、その女性が一瞬、永島氏の接近を止めようとしたとは聞いていた。しかし、後述するが、猪木の様子を見て、その後は穏やかな応対に戻ったともうかがった。

 その女性であり、猪木の4番目の妻である(旧姓)橋本田鶴子さんの逝去が8月27日、猪木のSNSで報じられた。実は90年代より、偶然ながら田鶴子さんを知るところにもなっていた筆者。今回の当欄は、故人を紹介しつつ、猪木の今後についても、推考してみたい

当初は俳優、タレント中心のカメラマン


 田鶴子さんは、日本大芸術学部写真科卒。もともとは、TBSテレビの番組宣伝写真を主に扱う「竜カンパニー」に所属していた。そちらに7年勤めた後、独立したのだが、フリーとしての契機となったのが、1989年に公開された東宝映画「あ、うん」のスチールカメラを手掛けたこと(田鶴子さんの名前も、同映画にクレジットされている)。筆者が後年、出入りすることになる東宝でも伝説化している出来だったようで、とにかく「雰囲気がよく出ていた」との関係者評がある。このことから、(主演の)高倉健さんご指定での撮影も何度かあったと聞いている。その後、90年代中盤、偶然ながら、お仕事を拝見する機会がいくらかあった。外から見た性格については、個人的見解になってしまうが、とにかく、「バイタリティのある女性」で、例えば女優の島田陽子さんに、ロココ調の衣装を着せ撮影したのを拝見したのだが、後から聞くに、衣装は田鶴子さんがヨーロッパに行った際、自ら調達したものだったそうである。仕事熱心さが垣間見え、渡瀬恒彦さんなども大変彼女の腕を気に入っていると聞いた。自前の機材は、ドイツ製の大判カメラに国産一眼レフ、合わせて5台以上。それに交換レンズ群、ストロボやバッテリーを常に持ち歩いていた。ゆうに25kgは超える重量で、関係者がふと、「重くないですか?」と聞くと、「いつも右肩にかけるから、そこだけ骨が変形して飛び出た感じになってるの」と笑っていた。テキパキとした仕事ぶりで快活ながら、撮影の時、連写が可能なモータードライブを使わないのが意外だった。シャーターボタンでの1押し1押しを大切にしたかったらしく、そこに一種の職人気質的なものを感じ、また、良い表情を一瞬のうちに閉じ込める腕は確かだという心証も残った。

 その田鶴子さんが猪木と出会ったのは、1995年のことであった。

北朝鮮が、2人の縁に。


 きっかけは、TBSの関係者が永島氏に、「猪木さんを撮影したいのだが」と頼み、それではと永島氏が指定したゴルフコンペに、(TBSとは依然、交流が続いていた)田鶴子さんが現れたことである。要するに仕事だったが、猪木がこの時、田鶴子さんを大変気に入り、同年4月の北朝鮮興行に、彼女を同行させたのである。この時、驚いたのが、田鶴子さんに北朝鮮の知り合いがおり、同国での振る舞いも堂に入っていたこと。永島氏は、「北朝鮮と、何か関係があるのでは?」と怪しんでいたが、実は田鶴子さん、撮影で既に同国に何度か入国があったようで、手慣れたものだったようである。逆に言えば北朝鮮との関係を深めたい猪木にとっては、これまた切望するような人材と知己を得たことにもなったのだった。

 その後、猪木の写真集2冊(『闘魂伝説』『人生のHomeLess』)を手掛けた田鶴子さん。特に後者はメインクレジットで、出版会見にもしっかり猪木とともに出席。そこからの猪木の写真は、ほぼ全てに、「©橋本田鶴子」とある。やり手ぶりを思わせると同時に、永島氏がよく言っていた。「猪木は男まさりな女性が好きなんだよ」という言葉も思い出された。因みに、小柄ながらグラマラスな女性で、「それも、猪木の好みにピッタリ」(永島氏)との情報も、ファンには有名かもだが(?)、付記しておく。

政治家も辞めた猪木の行き着く先は?


 その後、六本木6丁目のビルの2階に、自らの愛称を店名にした会員制のバー、「ズッコ」をオープンさせた田鶴子さん(現在は閉店)。猪木ももちろん常連になり、筆者の知り合いの記者など、猪木に「ボトル入れろよ」と乗せられ、ロマネコンティを入れさせられたことも。猪木と特別な仲になったのは00年代からとされるが、よく覚えているのが2010年の暮れに、猪木が「ズッコ」でAKB48の「会いたかった」を猛練習していたこと。年末の格闘技興行「Dynamite!!」で、猪木に同曲を熱唱させるという計画が、なぜかあり、こちらの準備だった。結局、進行上の都合で時間がなくなり幻となったが、これには田鶴子さんもガッカリ。猪木に歌のてほどきもしていたからである。

 2007年の旗揚げされた猪木の団体「IGF」の役員にもなり、2016年からは、猪木の肖像権を管理する会社の役員も務めていた田鶴子さん。毀誉褒貶の多い人物だったのは確かで、実を言ってプロレスに詳しくないにも関わらず、IGFでは現場にも口を出し、うち、役員を退任させられている。また、冒頭のように、猪木の携帯電話を管理。連絡を取れなくした。生前、猪木に寄って来る人間は、金儲け目当てで信頼出来ないとこぼしており、これが理由だったか。それはごく一部では真理ではあるかもだが、応対に度が過ぎていた部分はあったかと思う。事実、先述で、永島氏との接触を防ごうとした田鶴子さんだが、永島氏を認めた猪木が、「おお」と涙を浮かべ、永島氏もそれに対して涙を流すと、何も無かったかのように、その場を退いている。

 糖尿病等、数々の体の不調に悩む猪木を献身的に田鶴子さんがサポートしたのは確かで、これについては、連絡を絶たれたサイモン・ケリー猪木も感謝の念を表明。筆者個人としては、IGFのバックステージで、田鶴子さんが、猪木に、いわゆる“手かざし”をしているのを観たことがあり、かなり仰天するとともに、なんとも、波長の合うカップルなのだなあと思った記憶がある(同行為は、猪木もやるのが得意なため)。

 長い付き合いながら、田鶴子さんとの実際の結婚は2017年の2月20日(猪木の誕生日)。そして、そこから2年半の今回の訃報。猪木が特にここ2ヶ月、元気のない発言を繰り返しているのも気にかかった。

「元気を売る人間が、元気を売れなくなった……」(猪木。本年6月26日。国会閉会にあたり、7月の参院選への不出馬を明言して)。これはあくまで推測に過ぎぬが、特にここ数ヶ月は、田鶴子さんの闘病生活があったのではないか。とにかく、精神的な落ち込みを、特にここ最近の猪木には感じていたのだが。

 数々の夢を見せて来てくれた猪木。その猪木を心から好きな人間が沢山いる。改めてその心身の快復に、エールを送りたい。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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