2019/8/25 11:33

あのベルトの発案者!最後の試合は?あの大家族の父親!佐々木義人特集!

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あのベルトの発案者!最後の試合は?あの大家族の父親!佐々木義人特集!
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現在はバスの運転手として就労。


 2010年頃から、稀にテレビのお仕事もさせて頂いているのだが、最初に先方のテレビ制作会社に言われた言葉が忘れられない。

「視聴率が取れると言えば、何と言っても大家族ものなんだよね」

 全くこのジャンルに興味がなかった筆者だけに驚いたし、実を言って、今でもその理由がよくわからないのだが、テレビが扱うテーマとしては、非常に意味も価値もあるものだということだろう。

 8月11日、18日と、2週に渡り、フジテレビのドキュメンタリー枠『ザ・ノンフィクション』にて、その大家族が特集された。副題は『美奈子と夫と8人の子供』。あの“ビッグダディ”、林下清志さんの元妻・美奈子さんの新たな家庭を追ったものだが、少なからず、驚いたプロレスファンもいるだろう。その美奈子さんの現夫が、大日本プロレス等で活躍したプロレスラー、佐々木義人だったことに。この事実自体は、2017年5月放送のTBS『爆報!THEフライデー』で公表されてはいたが、それから2年しての今回の『ザ・ノンフィクション』ではその義人さんにもより密着。8人の子供を抱えて直面する苦悩や喜びの姿なども映し出されていた。そこで気になるのは、過去のプロレスラーとしての義人、その実態と、今に至るまでだろう。今回の当欄は、“プロレスラー・佐々木義人”を真摯に特集したい。

FMW→ゼロワン→大日本プロレスを経て


 1982年、埼玉県出身。高校時代はアマレスに打ち込み、関東大会で4位の実績も。その後、アニマル浜口ジムでの鍛錬を積み、2000年9月、FMWでのチョコボール向井戦でデビュー(サイドスープレックスからフォール負け)。2002年、同団体崩壊により、『ZERO-ONE』に移籍。この経緯より、入場曲は一時期、FMWのテーマ(『チームFMW』)を使用。2005年11月、後続団体の『ZERO-ONE MAX』にて松永光弘とメイン(名義は特別試合)で『ノーロープ有刺鉄線スパーダーネット&バリケードボードWヘルマッチ』を戦ったのも、この出自からの起用だろう。2006年12月には大日本プロレスの関本大介と組んで、BJW認定タッグ王座を初戴冠している(その後、計4度に渡り、同タッグ王者に)。

 とはいえ、本人はデビュー戦後のコメントで、「目標は田中将斗選手です」と明言。その通り、鍛え上げられた肉体とアグレッシブなファイトで観客を魅了した。上背がない分、例えば高山善廣との一騎打ち(2007年3月)では、その膝蹴りが、顎に入ってしまうシーンも。しかし、あの高山をアルゼンチンバックブリーカーで持ち上げるなどの見せ場も。因みに得意技は、この体勢からデスバレーボムのように相手を叩きつける『アルゼンチンコースター』であった。

 2005年10月8日には、新日本プロレスの東京ドーム大会で、同団体発出場(義人&高岩竜一vs金本浩二&井上亘)。文句なく1番の躍動ぶりで、その激しさは試合後、金本がマイクで「なんやコラ!バカヤローが!」と怒り、再び義人に突っ込んで行ったほど。2人はこの2日後、『ZERO-ONE MAX』の後楽園ホール大会で一騎打ち。金本が顔面パンチでレフェリーストップ勝ちしたとその結果を綴れば、同試合の壮絶さがわかって頂けるだろうか?試合後、金本がマイクで、「佐々木義人、やるやないか。オマエの気持ちは胸に響いた!」と評価したことも含め。この突貫ファイトへの高評価か、義人は新日本プロレスの別ブランド『LOCK UP』にも出場。2008年2月には、テングカイザーと組み、真壁刀義&矢野通と対戦している。

 常に相手にも観客にも火を点ける熱き姿勢。そのひたむきさは、義人が2005年、ゼロワンのジュニアリーグ戦、『天下一Jr』を制した際、大谷晋二郎をして、こう言わしめていた。「彼は、ゼロワンの宝」

 ところが2008年のことだ。義人は大日本プロレスに移籍してしまうのである。

結婚後は、新たに2人の子宝に恵まれ、計10人家族に。


 伏線はあった。この前年11月に、義人は関本大介を下し、ゼロワンの管理するNWA・UNヘビー級王座を獲得。自身初のシングル王座戴冠となったが、この試合後、意外な言葉を口にする。「プロレス、辞めようかとも思ってたんです」……。内実を口にしなかったため、マスコミ的にも、「人知れず悩んだ義人だが」というような切り口で報じられたが、翌2008年4月には、腰の怪我により、ゼロワンを長期欠場。10月20日に退団扱いとなると、次にリングに姿を現したのは、10月27日、大日本プロレスの後楽園ホール大会であった。リング上での挨拶後、バックステージでは、やはり、「もう、プロレス辞めようと思ってたんですけど……」と吐露。こちらは怪我のこともあったろうが、目に涙を溜め、「今日、後楽園ホールに来るのが恐かった……」という姿には、義人のプロレスに対する真剣さとともに、その、ややレスラーらしからぬ、ナイーブな性格をも感じとったものである。

 因みに、この際、義人の廃業を救ったのが、かつてのパートナーでもあり、ライバルでもあった関本や、2000年デビューで、いわば同期組でもある李日韓レフェリー。義人を勇気付け、「もう一度、やり直してみない?」(関本)と背中を押した。ゼロワンと大日本はホットラインもあったため、いわゆる円満退団、及び移籍という形にもなった。

 フリーとして翌月より大日本プロレスに参戦した義人だが、その初戦後より、試合後のリングの撤収作業にも参加。翌2009年には大日本に正式所属となり、2012年には、BJW世界ストロングヘビー級王座の初代王者に。しかも今に続くこのベルトの創設をそもそも発案したのが、当の義人自身。いわば同王座は、義人がプロレス界に残した宝ということにもなる。間違いなく、関本、岡林裕二とともに、“ストロングBJ”を代表する選手であった。

 しかし、2013年9月25日、後楽園ホール大会で伊東竜二と組み、ツトム・オースギ&ヘラクレス千賀と戦った後、膝の不調を訴え、靭帯の断裂や半月板の損傷が発覚。長期欠場となり、2015年1月から、自由契約扱いに、つまり、同試合が現時点で最後の試合になる。

 そして、6人のお子さんがいた美奈子さんとの結婚が同年の5月5日であった。義人からプロポーズ。当時は食品配送関連のトラックの運転手をしていたが、その際は、夜8時より早朝までの勤務。冒頭のようにバスの運転手となったのは、おそらく子供たちとの時間を少しでも確保したいという義人の心の表れだと思われる。

未だ高い、義人への評価。


 義人が繊細なハートの持ち主であることは上に若干述べたが、加えて思い出されるのは、その、余りにも真っすぐな性格である。例えば前出の新日本の東京ドーム大会への初参戦では、「金本以外はなにやってるんだ!」と凄み、その金本との一騎打ち直後、かつての新日本での好敵手、高岩竜一が出て来ると、「お前の出る幕じゃない!俺がもう一度(金本と)やる!」と絶叫(※高岩の方が8年先輩)。ゼロワンのUNヘビー級を奪取した際は、その3ヶ月前、『G1 CLIMAX』を制した後藤洋央紀との対戦希望も口に。関本が全日本プロレスのアジアタッグ王座を保持していた際は、「外にばかり目を向けやがって!」 因みにこの義人のアピールから大日本でのシングルリーグ戦がおこなわれ、ひいては、BJW世界ストロングヘビー級王座誕生に繋がったのである。しかし、デリケートな部分がある義人だけに、これは決して恐れ知らずな発言というわけではない。ただ、自分の気持ちに素直なだけなのだ。

 つまり、現在、別の仕事に就いているのも、自分の夢より、家族との生活を守ることを優先したい義人の気持ちの発露と見られる。しかし、この義人のその魂の入った戦いぶりと、ストレートかつ純粋な人間性に対して、業界の評価は未だ高い。『週刊プロレス』2017年6月14日号のコラムを引用させて頂きたい。「公式発表がない限り、佐々木義人は(プロレスを)引退したのではなく、『現在は休養して家族のために頑張っている、いまは別の仕事をしている現役プロレスラー』と考えるべきだ」

『ザ・ノンフィクション』内で、やりたいことが見つからぬ長男に対して怒り、そして父親として悩む義人の姿が映されていた。個人的な見解で恐縮だが、一度、長男に義人の過去のファイトぶりをビデオで見せてみてはどうか。夢を実現することの大変さとその輝き、そして、そのリングを降りてでも家族を守りたいのだという義人の果てしない愛情は伝わるはずだ。

 今回の制作会社は別だが、幸いにも冒頭で述べたテレビの仕事の中に、この『ザ・ノンフィクション』も入っている。筆者も微力ながら提言してみようと思う。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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  • ザ・ノンフィクションの義人(美奈子)特集は今年の2月に第一弾が放送されてますよ。8月の放送はその続編です。

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    (2019/8/26 16:33)
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