2019/8/12 10:41

自身が選んだ『2代目ミスター・プロレス』はあの人!生涯のベストバウトは!? 巨星墜つ!故・ハーリー・レイスとNOAH

閲覧数:2426

自身が選んだ『2代目ミスター・プロレス』はあの人!生涯のベストバウトは!? 巨星墜つ!故・ハーリー・レイスとNOAH
5.0

8月1日、肺ガンによる合併症で逝去。


『ミスター・〇〇』という呼び名がつけば、それはその分野の代表的な人物。『ミスター・プロ野球』は長嶋茂雄だし、『ミスター・ラグビー』と言えば2016年、逝去された平尾誠二氏。もちろんプロレス界にもこの呼称は多く、『ミスターIWGP』は永田裕志、『ミスターG1(クライマックス)』は5度の優勝を誇る蝶野正洋だ。そして、技名がついたものなら、その第一人者。『ミスター・セントーン』はヒロ斎藤だし、『ミスター・バックドロップ』は後藤達俊である。そして、多少のウィットを含んだ『ミスター女子プロレス』神取忍もいるが、『ミスター・プロレス』と言えば、天龍源一郎を指す場合が多い。1999年5月には、この通り名を賭けて武藤敬司と闘い、武藤が勝利したが、試合後、「やっぱりあの人の方がミスター・プロレスだよ」と武藤が脱帽したのは有名。ただし、これは日本での話である。

 世界基準での『ミスター・プロレス』、ハーリー・レイスが8月1日、逝かれた。その異名通り、昭和の最高峰ベルト、NWA世界ヘビー級王座に8度も輝く名伯楽だが、今世紀に入っても、NOAHとの関係も強固に、日本マットとの縁を保って来た。

 今回の当欄は、偉人の現役期を偲びつつ、後年の、NOAHを中心とした、日本マットとの繋がりを綴りたい。

腕には“美獣”らしく、孔雀と鷲の入れ墨が。


 2回目の東京五輪も近づいてきたが、(モスクワ五輪の日本不参加による)“幻の五輪金メダリスト”、アマレスの猛者、谷津嘉章は、プロレス修行にあたり、キラー・カーンにこう言われたという。「アマレスのように、猛スピードで動かなくていいから。アマレスの動きだと、早すぎて観ている客がついていけない。自分の中でテンポをとって、攻めたり受けたりするのがちょうどいい」。私見で恐縮だが、この言葉で常に思い出すのが、レイスの現役時のファイトだった。見やすいことは見やすいのだが、どちらかというと、スローモー。ニックネームは、“ハンサム”(日本では“美獣”)であり、こちらは、若き頃のタッグパートナー、ラリー・ヘニングの通り名、“プリティ・ボーイ”と合わせたものだった。だが、それを知らなかった子供時代の筆者は、レイスの動きが緩やかにも関わらず、当時の子供向けプロレス百科に書いてあった、以下の文言を信じていた。「ニックネームの“ハンサム”は、マフィアのボスに、色男としての愛称をつけるならわしから取ったもの」。つまり、それほど喧嘩が強そうに見えたのだった。実際、ある著名なレスラーが、こう語っている。「UFCに現役時のレイスを出したら優勝だろうね。理由?う~ん、何と言うか……。してはいけないようなことも、平気で出来ちゃう人だから」指折り、みぞおち突き、目潰しetc。喧嘩最強の話題となると、必ず出て来るNWA王者がレイスだった。

 パワー、スタミナも無尽蔵。アンドレ・ザ・ジャイアントをボディスラムで最初に投げたのはレイスだし、1979年5月7~9日にはNWA王者として3日連続で防衛を果たしたが、初戦が約30分の試合を戦い、2、3戦目が両方、60分フルタイムのドロー。底知れぬタフネスぶりだった。また、レイスが空港の税関を通ると、必ず金属探知機が作動すると言われたのは、当時のジョーク、プラス事実で、それほど頻繁に、NWA世界王座のベルトを保持し、ともに行動していた。まさに『ミスター・プロレス』の名にふさわしい王者の中の王者だった。

 1995年に現役を引退。その名が日本マットで懐かしく聞こえて来たのは、2001年の3月のことだった。前年、旗揚げしたNOAHが『GHCヘビー級王座決定トーナメント』の開催を発表。同王座の管理委員長をジョー樋口とされたが、その委員会のメンバーに、レイスが入っていたのだ。肩書きには、『WLW(ワールド・リーグ・レスリング)主宰』とあった。レイスは引退後、自らのプロレス・トレーニング・ジムを経営し、団体も興していたのだった。

後年、仲田龍に、自分の現役期のパンフレット・コレクションの進呈も。


 コネクションをつけたのは、NOAHのリングアナにして渉外部長・仲田龍。全日本プロレス時代から昵懇で、レイスが試合で不透明な決着に終わると、よくリングサイドの仲田龍を投げに来たという。なんと、場外フェンスを挟んで、得意のブレーン・バスター(レイスがおこなう場合は、『バーディカル・スープレックス』と呼ばれていたが)で持ち上げるのである。「10回以上はやられてる」(仲田龍)とのことで、レイスにとっては、ちょっとしたファンサービスのつもりだったのだろう。

 胸襟を開ける間柄から、レイスに連絡を取ったが、最初は信じてもらえず。日本でも知名度が抜群のレイスだけに、実は、当時、来日での協力を依頼するも、「飛行機代は後払い」というような日本の団体が後を絶たなかったのだという。仲田は積極的にレイスに飛行機チケットや来日を便宜し、信頼をGET。同年の6月には、さらに互いの距離が縮まる出来事があった。三沢光晴が、レイスのジムと、その団体、WLWの選手たちを視察したのだ。セントルイスから車で2時間の町、エルドンに同ジム『ハーリー・レイス・レスリング・アカデミー』を訪ね、約2時間、三沢は各選手たちの動きをチェック。希望として挙げていた3条件、「若く」「日本マットに興味があり」「アメリカのプロレスに染まり過ぎていない」を満たす選手ばかりで、三沢も大いにご満悦。同じ月に開幕の、『GHCジュニアヘビー級王座決定トーナメント』にWLWから2選手をエントリーした。その、マシュー・マーフィー、ベンジャミン・ホイットマーを始め、その後もこのWLWからは、有望な選手が続々来襲。ブル・シュミット、トレバー・マードックはもちろん、そのマードックやマーク・ゴディカー、スーパースター・スティーブは、その後、NOAHに留学。トレバーに至っては、この後、WWEのトライアウトに合格。この際、クリス・ベノワ(ワイルド・ペガサス)から、「ジャパニーズ・スタイルが出来ている」と、高評価されている。まさにレイスとNOAHの絆が生んだ快事と言えよう。

 2002年7月には当時のNOAH所属だった大森隆男が遠征。ケン・シャムロックの持つNWA世界ヘビー級選手権に挑戦も、ジャフ・ジャネットが乱入。するとそこに、ハーリー・レイスが登場。日本からやって来る大森の立会人を務めていたのだ。結局、レイスも乱闘に加わり、試合はノーコンテストだったが、この3日後、大森はWLWに登場。WLWヘビー級王座を王者、ワイルド・ウェイド・チズムから奪取している。これは大森にとっての、シングル初戴冠だった。

 因みに、WLWはあくまでレイス主宰のインディ団体。なので、リング設営や会場準備も若手やレイスの家族がおこなうのだが、この時期、同様に手伝っていた当時の大森夫人は、ある時、こう言われたという。「今すぐ、子作りに専念するか、リングに上がるか選んでくれ」出場予定だった女子選手の欠場で、長身の彼女に声をかけたのだった。もちろんジョークだったが、そのアットホームぶり、並びに親密ぶりは、2004年より1年に一度、WLWとNOAHによる合同のレスリングキャンプがおこなわれていたことでもわかろうもの。丸藤正道、KENTA等も(講師として)参加しており、特に丸藤に関してはレイスは、「日本の息子」として大変可愛がっていたとか。因みに、このレスリングキャンプからNOAHに留学し、プロデビューを勝ち得た一組が、ロス・フォン・エリックとマーシャル・フォン・エリック。そう、あの“鉄の爪”、フリッツ・フォン・エリックの孫たちであった。

2014年には新日本でおこなわれたNWA選手権の立会人も。


 そして、2005年9月、このキャンプの第2回への参加とともに、アメリカマット初登場を果たしたのが小橋建太。9月24日にはWLWの地元エルドン大会に出場し、前出のワイルド・ウェイド・チズムに勝利。代名詞のマシンガンチョップは66発連続で放ち、観客を大いに沸かせた。実は小橋の渡米は、先んじて地元の新聞が報じており、見出しは『Japanese legend coming to Eldon』。まさにレジェンドの登場に、地元っ子を大いに酔わせた結果となった。

 すると、試合後、サプライズが。ハーリー・レイスがリングに上がり、往時のNWA世界ヘビー級選手権のベルトを小橋の腰に自らの手で巻いたのだ。そして曰く、「ミスター・プロレスの座は、小橋に譲りたい」それは、リングに生きる者にとっては最大の栄誉と言って良かった。

 伏線はあった。この前日、小橋に会ったレイスは、自らのフィギュアをプレゼント。早くもその外箱に、「ミスター・プロレスの名は、小橋に継承する」と英語で書いてあったのだ。異名の禅譲を、既にこの時から決めていたのだと思われる。

 というのも、レイスの生涯観てきた中でのベストバウトが、2004年7月、東京ドームでおこなわれた小橋vs秋山だったのだ。「こんなに高いレベルのプロレスは、観たことがない」というレイスの述懐が残っているが、まさしく本音だったのだろう。

 だが、翌日、レイス宅でのパーティーに招かれた小橋は同ベルトをレイスに返却。その際、こう告げていた。「子供の頃の憧れのベルトですから、本当に嬉しかった。しかし、だからこそ、このベルトが似合うのは、レイスさんしかいません」……。

 逝去の報から3日後の後楽園ホール大会で、レイスへの10カウントゴングが鳴らされた。無論、主催はNOAH。そして最後にリングアナにこうコールされた。「NWA世界ヘビー級選手権者、ハーリー・レイス」と。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

コメント

    まだコメントはありません。

おすすめ記事

新しいコメントを投稿する

 [PCから画像ファイルをアップロード]

関連付けられたタグ

なし
[タグを付ける]

<< 一覧に戻る