2019/6/30 11:27

長州vs大仁田が上場へ追い風!? 猪木には上場は天敵!? 祝・ブシロード新規上場!プロレス団体・上場チャレンジの軌跡!

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長州vs大仁田が上場へ追い風!? 猪木には上場は天敵!? 祝・ブシロード新規上場!プロレス団体・上場チャレンジの軌跡!
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7月29日、東証マザーズへ新規上場へ!


 今現在も、世界最大のプロレス興行会社であり続けているWWEは、読者もご存知のように、世界で唯一、株式上場を果たしているプロレス団体でもある。そのWWE、実は今年は上場してから、ちょうど20年が経つ記念イヤー。もうそんなに経つのかと思うのだが、その20年前、1999年10月19日のナスダックでの初公開の翌日、一般紙に報じられた見出しは以下だった。

『生活関連情報株がプロレス株フォール』(『静岡新聞』1999年10月20日・夕刊)。

 何かと思えば、注目されたWWE(当時WWF)の株は、公募価格の1株17ドルに対して、8.25ドル高の24.25ドルを記録。約1.5倍という大幅上昇を見せたのだが、記事の本論はこの後。同日、ニューヨーク証券取引所に上場した、生活関連情報を提供するメディアの株が、1株18ドルの売り出し価格に対し、35.44ドルと、2倍近い上昇率を見せたのだという。曰く、記事の締めは、『WWFは株価上昇率ではフォール負けとなった』


 こういうことにそれほど明るくない筆者でも、どこか釈然としない記事であった。2つの銘柄は特に関係がないし、上場先も違う。にもかかわらずの結び付けは、『プロレスよりも生活関連情報の方が大事でしょ?』という、一種の揶揄にも思えたのである。誇大な表現で言えば、プロレスに対する世間の目のようなものを感じたと言えなくもなかった。

 6月24日、新日本プロレスの親会社であるブシロードの、東証マザーズへの新規上場が発表となった。子会社も上場する親子上場はかなり審査が厳しくなるため、新日本プロレス自体の上場も間近であるとか、そういうわけではないが、まさに朗報には違いない。なにせ、同時に公開されたデータによれば、同社内で、新日本プロレス(部門)の占める売上高は、トレーディングカードゲーム、モバイルオンラインゲームに次ぐ第3位。新日本プロレス現社長であるハロルド・ジョージ・メイ社長は、主要株主の持株比率で5位となっている。ブシロードの成長とともに、新日本プロレスの成長も、また望まれるのである。今後、さらなる好循環が期待出来よう。

 今回の当欄は、このグッドニュースを鑑み、プロレス団体による、過去の上場チャレンジの歴史を紐解きたい。

「猪木新日本」は、2001年に上場計画!


 先ずは00年代の新日本プロレス。こちらは当時のオーナーである猪木の関連で、Y証券のOなる人物が上場を推奨。大変、プロレス、格闘技界に精通した方で(単純に、それらが好きだった部分もあったのだろうが)、理想は「母体となる新会社を作り、それが全ての団体を抱え込む。その代わり、各団体は新会社の株を受け取る」という形だったという。しかし、これが夢物語であることは、同氏も十分承知だった。当時の2大メジャーである新日本と全日本からすれば、今でも十分食べて行けるのに、なぜ、他の団体も入れて、そんなことをしなければならないというのかというわけだ。そこで現実的な、「新日本プロレスの株式上場」という計画に着手した。形としては、選手全員を株主にするといった体で、これは、当時、かなり複雑というより、時にないがしろにされていた、選手個人の権利(特にキャラクター権)を守る算段もあった。

 2001年4月から、新日本プロレスがナスダックへの上場を視野に入れたというニュースが、それこそ日本経済新聞や各経済誌に登場。早ければ来年秋にも実現とされた。2002年で創立30周年という歴史、年間130試合以上を行って来た実績などなど、信用性は十分で、上場に問題なしとされた。実は新日本はこの前年(2000年)より、CS放送に力を入れており、2001年3月期の経常利益が、なんと前年同期比で3倍の、約1億8千万。このCS放送というのは、約4万件もの視聴があった長州vs大仁田のPPVも含んでおり、こちらが利潤に寄与する追い風もあった。

 一方で、現場には向かい風も。そもそも1980年代の新日本プロレスは、年間200試合以上おこなって来たのだが、それを90年代に減らせたのは、いわゆる、“ドーム興行”の開催があった。ところが、「数年前ならいちばん高い3万円の席が先に売り切れたのに、最近は逆なんです」(藤波辰爾・(当時)新日本プロレス社長。『Venture Link』2002年1月号より)。不況や、K-1やPRIDEなど、他の選択肢も広がったことでの危機感もあった。

 しかし、結局、この時の上場計画は、実現に至らなかった。筆者が数年前、同団体の当時の経理だったA氏にお話しをうかがったところ、「上場計画をみだりに藤波社長が口外することで、随分軌道がずれてしまった」と、あくまでやんわりと述懐。確かに、当時の報道を見ると、藤波社長は、「常打ち会場の建設」や、「コンビニとタイアップしてのプロレス弁当の発売」等、かなり“盛った”青写真を語ってはいる。とはいえ、これだけで上場が不可能になるわけもなく。先述のO氏に以前、お話しをうかがったところ、当時、新日本の筆頭株主だった大手配送会社の株(全体の46.3%)は、猪木に権利が渡っていたのだが、こちらの譲渡を猪木が最後まで拒んだというのが真相だったようだ。

退団劇を生んだ、猪木新日本の上場未遂


 さて、こちらの上場計画失敗が、意外な道行きを見せる。新日本プロレスの一派、選手、社員含め8名が、新日本プロレスを退団。そして、全日本プロレスに移籍したのだ。理由の一つには、「株式上場の夢よ、もう一度」との画策もあったのは今では知られるところだ。ところが、そもそもの全日本プロレスのオーナーであったジャイアント馬場が、経営については全てポケットマネーでまかなっていたため、銀行との付き合いが皆無。2002年9月、武藤は全日本プロレスの社長となるのだが、“馬場マネー”をあてにすることも出来ず、銀行との1からの信用も含め、随分苦労したそう。「猪木断言!『全日潰れる』」なる大意の見出しの東京スポーツを盾にされ、融資を断られたこともあると言うから、銀行側の対応も、なんともという気がするのだが。

 前出のA氏は、この時、武藤と一緒に移籍したが、同氏によれば、移籍して早々に、「上場は無理」と悟ったという。「まあ、他人(他団体)を当てにした時点で、私たちも、間違っていたと言えば、間違っていたんですけどね」と、極めて達観した笑顔を見せていた。ただ、実はこの時、全日本への移籍組へ「全日本で上場は可能」と吹き込んだ人物の中には、2013年6月より、一時期、全日本プロレスの社長を務めたS氏がいた。この時、それこそ10年ぶり以上にS氏の名前を聞いた筆者は、(この人、あの時の……!)と思ったのだが、A氏に、このS氏のことを聞くと、「ああ、いましたね、確かに……」と、その時ばかりは、やや渋い表情を浮かべていた……。

上場の夢は、大阪プロレス→沖縄プロレス


 次に株式公開にチャレンジにしたのが、2000年代の大阪プロレス。旗揚げ3年目の2002年の時点で、既に上場の願いを社長(当時)のスペル・デルフィンが語っており、2006年9月には具体的なアクションに出る。公に株式の募集を始めたのだ。1株42,000円、10株単位からと具体的で、釣果もあった。そこで、日本証券業協会が証券会社による非上場会社の株式等を公平・円滑に売買するためにスタートさせた制度『グリーンシート』による株式公開を計画。同協会より選手個々人まで調査が入り、クリアしたが、翌年、最終的には、同協会の、以下の見解でおじゃんに。

「プロレスだったら、他の団体で反社会的勢力と繋がってるところがあるでしょ?」

 デルフィンはこの時、「だったら、“プロレス”という言い方も変えます」としてまで粘ったが、結局は中止に。大阪プロレスの興行形態からしても、その可能性はないことはわかりそうなものなのだが……。冒頭の新聞見出しではないが、まだまだ厳しい世間の偏見が残存していたのであった。

 諦めないデルフィンは、沖縄県産業振興公社が募集した「ベンチャービジネスサポート事業」に「沖縄プロレス」という案を応募。これが採択され、2008年7月、同団体を旗揚げ。その上で、福岡証券取引所が開設する、比較的審査が緩いQ-Boardでの上場を企図したが……こちらも色よい報告は、未だ入って来ない。

「地方興行をやる団体は、いまでも興行ビジネスを握る反社会勢力と一定のつながりを持つ(中略)イメージが、他の団体にもかぶせられている」(元新日本プロレス社長・草間政一。『AERA』2008年11月3日号)

 世間の偏見とも戦って来た良質なプロレス団体。親会社の上場という形ながら、今回の新日本プロレスが、こういった風潮に一矢報いることを、願ってやまない。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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