2019/6/9 11:06

人生を決めた朝4時の杉浦戦!? 新日本初対戦の相手はアノ男。追悼・青木篤志

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人生を決めた朝4時の杉浦戦!? 新日本初対戦の相手はアノ男。追悼・青木篤志
5.0

享年41での急逝


「お前、やっぱり平田だろ!」どこかで聞いたことのある迷言が響いた。2009年8月13日、新日本プロレス・愛知県体育館大会でのことである。マイクを握っていたのは杉浦貴(ノア)。対戦相手に、スーパー・ストロング・マシンの名があったのである。試合後も、「あれは平田(淳嗣)だろ。俺は確信したよ、最初はジョージ高野かと思ったけどよ、やった感じは平田だよ」と、嬉し気に繰り返す話す杉浦。この試合を、事前から杉浦は大層楽しみにしていたのだが、なるほど、この伝説の迷言を自分でもリプライズしたかったのだろう。返す刀で、隣にいたパートナーに聞いた。

「平田だろ?」

「9割9分」

 その軽妙な返しに、報道陣数人が笑った。青木篤志であった。カードは杉浦&青木vsマシン&岡田かずちか(現オカダ・カズチカ)で、当時のノアと新日本による、純然たる対抗戦。杉浦はこの時開催されていた『G1 CLIMAX』に参戦中だったが、同シリーズに青木を帯同。パートナーとしても起用したことで、その実力への信頼も見てとれた。

 青木篤志選手が、6月3日、逝かれた。交通事故による急逝に、周囲のそのショックは計り知れない。今回の当欄は、プロレス界に確かな足跡を残した、故人をしのびたい。

2003年にはアマレス関東選手権も制覇。


 1977年9月、東京生まれ。高校よりアマチュアレスリングで活躍後、自衛隊に入隊。2000年には、全国社会人オープンレスリング選手権大会69kg級を制している。そして、2005年5月にノアに入団すると、同年12月24日、デビュー。とはいえ、クリスマス興行ならではの、ファンによるカード抽選企画による編成で、決まった取り組みはなんと、三沢&田上vs青木&太田圭則(ちなみに太田もこの日がデビュー戦)。当時より、新人のデビューが少ないと言われたノアだったが、それは、特に受け身を中心とした練習がことの他、厳しいから。その代わりに、デビューした以上は、もう一人前のレスラーとして扱うのがノア流で、この試合でも、青木は果敢な攻めを展開。三沢に、ブレーンバスターやフライングボディアタックを炸裂させていた。

 2007年12月からは、ノアで『青木篤志“閃光”十番勝負』が開催。初戦の秋山準より、KENTA、獣神サンダー・ライガー、丸藤正道、鈴木みのる等など、そうそうたるメンバーがラインアップ。前記のメンバーには全敗したが、KENTAには、「彼は立ち止まらない男」と、その日々の姿勢を絶賛され、それが怪我からの復帰戦だった丸藤には、「いや~、(復帰戦の)相手、間違えたわ」と、その実力の急成長ぶりを評価された。なお、丸藤がvs三沢用にとっておいた秘技、タイガー・フロウジョンを初めて炸裂させたのが、この時の青木戦だった(2009年12月6日)。

 にもかかわらず、翌2010年6月、プリンス・デヴィットの持つIWGPジュニア王座に挑戦を表明すると(※実際の挑戦は7月11日)、KENTAにこう言われた。「なぜ、(GHCがあるのに)IWGPに挑戦したいかがわからない」。だが、これには、青木なりの悔しさがあった。

 同月、KENTAが怪我から復帰すると、その前に丸藤、金丸が現れる。GHCジュニア王座を巡る熱闘を予感させたが、そこに青木の姿はなかった。この3人と青木では、実績的にもキャリア的にも、まだまだ余りにも熱い壁。その状況に、違う方向性で、自ら一矢報いようとしたのだ。「あの3人だけで(ジュニアを)面白く出来るの?あの人たちだけに話題をさらって欲しくない。下っ端には下っ端の意地があるから」(青木)。

 物怖じしない発言。実際、筆者の個人的な感覚かも知れないが、青木が俄然、その輝きを増し始めたのは、他団体との対抗戦時、中でも2009年より始まる新日本参戦時だったように思う。

BEST OF THE SUPER Jr.では4位に(2009年)


 初の新日本リングは、2009年5月5日。カードは杉浦&青木vs後藤洋央紀&岡田かずちか。若き岡田は青木の後塵を拝し、杉浦にやられ、「俺はライオン・マークを背負ってんだ!」と悔し気に咆哮した。そして、この決着直後、新日本ジュニア戦線への布告のマイクをしたのは、意外にもヘビー級の杉浦だった。

「新日本プロレス、次のシリーズに BEST OF THE SUPER Jr.あるだろ?プロレスリング・ノアで一番キャリアの短い青木篤志が優勝をさらってやるから、出場させろ!」

 この流れから同シリーズに参戦することになった青木は、業界の盟主に恐れることなく、挑発発言を連発。「ノアの新人が新日本のリーグ戦で優勝すれば、一番わかりやすい」「(優勝したら、その賞金で、)新日本の興行を買いたい。メインはヨシヒコ選手にしようかな?」と、奔放そのもの。開幕戦では、着用していたBEST OF THE SUPER Jr.の大会Tシャツを、これみよがしに脱ぎ捨てると、その下には、ノアのロゴTシャツが。他団体へ乗り込む気概と鮮烈な印象を感じさせた。激怒した4代目タイガーマスクが脱がれたそのノア・Tシャツを客席に投げ捨てていた姿が思い出される。

 ところがである。いざ、試合をしてみれば、新日本サイドからの絶賛の声が連発。「素晴らしい選手。ウチの若手よりもいいかも」と、4代目タイガーマスクは試合後、その腕を上げて称えようとしたし(青木がその手をはらって固辞)、4人残った決勝トーナメント1回戦で当たった金本浩二は、「お前の気持ちをしっかり受け取った試合だよ。その気持ちを引き継いで、俺は決勝に上る」と退けた青木にエール。先述の十番勝負で当たったライガーも、これ以上ない高評価。負けて悔しがる青木に、「納得いかねえなら、ノアでも新日本でもいい。お前となら(もう一度)やってやるよ」とマイクで語ると、コメントルームでも、「ノアも新日本も関係ない。いい選手はいい。凄い選手は凄い。だから(青木は)凄い」。

 負けん気の強さや気迫はもちろん、その技術についても、金本がこんな風に語っている。

「下地が自衛隊でレスリングやってんやろ? そうやってるからこそ、ここまで来たんやな」

 そこには、若手時代より青木が付け人を務めていた秋山準の、こんな助言があった。

「自分が自信を持っているところは、絶対に曲げるな」

自衛隊時代からの、“強い先輩”


 19歳で自衛隊体育学校に入った青木。アマレスを続けたが、この時、自衛隊で8歳上にいたのが杉浦貴だった。夏は北海道、冬は沖縄とレスリングの強化合宿があったが、杉浦とは同舟も多く、馴染みに。1998年のアマレス全日本選手権の決勝の夜のことは忘れられない。当時はいつも12月23日の天皇誕生日に行われていたのだが、2年目の青木に、先輩たちが妙なことを言う。「23日の夜は、気をつけろ」。はたして、寮の部屋でじっとしてると、朝の4時ごろ、闖入者が。布団で寝ている青木に、アマレスのスパーを仕掛けて来た。対応する青木だが、あっという間に決められた。杉浦だった。全日本選手権の夜は選手たちが泥酔し、後輩を決めてもいいというならわし(?)のようなものがあったのだ。

 プロレスをやろうと決めた時、「やるなら高いレベルで」と決心していた青木。思い浮かんだのは、あの夜、酩酊状態ながら青木を圧倒した杉浦だった。

 もちろん、ノアの入団テストに際しても、杉浦に相談。すると、こう返されたという。

「特別扱いはしない。その上でお前が合格すれば、それでいいわけだから」

 始まったテスト。青木のグループの審査をするのは本田多聞だったが、体力テストを終えると、別グループを審査していた杉浦と目が合った。

「大丈夫だよ(ニッコリ)」(杉浦)

 杉浦が青木の力を高く評価していたのは、これまで述べた通りである。

あいつのことを(ずっと)みてきたのは俺だけだと思うので(涙)」(秋山準)


「ピンチの時は、本当にぱっと現れて、助けてくれましたね」

 4日、訃報にあたり会見をおこなった、全日本プロレス社長・秋山準社長の言葉である。2012年末、2人は他の仲間、計5人とともにノアを退団し、全日本プロレスを主戦場に。その後、袂を分かつ選手もいたが、青木は所属選手として秋山を支え、団体を盛り上げて来た。アマレスの素地と、他人に教えるのが非常に上手かったことから、近年は全日本プロレスで若手のコーチ役に。こういった職につくと、得てしてリング上では一歩ひいてしまう選手が多いが、青木の選手としての意識は、なおさら高まって行った感があった。

「出るだけで満足みたいな奴がいるのが許せない」とは、2016年、ジョー・ドーリングの代わりに自身がチャンピオン・カーニバルに出場する時になった時のコメント。同じく参加する若手、野村直矢やジェイク・リーに向けた言葉で、同大会が始まっても、「経験のためとかいうなら、普通の試合をやってた方が勉強になるよ」と手厳しかった。事実、自身はジュニアヘビー級ながらリーグ戦3勝3敗の好成績を残した。

 そして、自らの階級である全日本プロレス・ジュニアヘビー級を愛していた。2014年、初の世界ジュニア王座に輝いた際は、「全日本に上がってるジュニアヘビーがこのベルトを狙わないとおかしいだろ!」とマイク。外部やフリー戦士でなく、所属選手たちの奮起を促した。昨年7月15日、まさに念願だった所属選手・岩本煌史の挑戦を退け、同王座を防衛した時のマイクが忘れられない。

「いつまでもヘビー級が面白い全日本じゃなくて、ジュニアヘビー級も面白い全日本プロレスにしたい。そのためにはお客様の厳しい目と厳しい指摘が必要だと思っています。なので、ダメなものはダメと、はっきり言って盛り上げて行きましょう!」直後の控室前の仲間たちとの乾杯では、「(今日の)メインがヘビー級の6人(タッグ)?うるせー、バカヤロー、(世界ジュニアの)チャンピオンシップの方が上だろ、コノヤロー……って、(佐藤)光留さんが言ってます」(青木)、「言ったかも知れないけど、なんでもいいや、乾杯!」(光留)とのやりとりが。2人は、6月18日に、世界ジュニア王座を賭けて激突する予定だった。「志のある奴とやりたい」という王者・青木の気持ちに、光留も声を上げた形だった。

 その名が意味する通り、本当に志の深い選手だった。後に残った者たちが、その遺志を引き継いで行くのを願ってやまない。

 心よりご冥福をお祈り申し上げます。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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