2019/3/17 12:13

視聴率64%のカラクリ!そのマスクの、意外な正体!追悼 ザ・デストロイヤー

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視聴率64%のカラクリ!そのマスクの、意外な正体!追悼 ザ・デストロイヤー
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3月7日、88歳で逝去。


 まだ記憶に古くない、プロレス・オールスター戦『ALL TOGETHER』(2011年8月27日・日本武道館)にて、感慨深いシーンがあった。中盤で行われたバトルロイヤルで、フリーの志賀賢太郎が優勝。コメントルームでの発言中に、あの、ザ・デストロイヤーが現れたのだ。志賀は全日本プロレスで1994年にデビューしているだけに、1993年に現役は引退したものの、来日は続けていたデストロイヤーとは知己。しかし、この時のように、直接会うのは10年ぶり以上であった。というのも、2000年6月に、志賀は全日本プロレスを抜けてNOAHに移籍。その後も全日本シンパを貫いたデストロイヤーとは距離が出来ていたのだった。

「久々の再会となった志賀選手に一言」と、記者が水を向ける。デストロイヤーが答える。

「う~ん、シガ、随分、大きくなったねえ」

 瞬間、数名の記者が含み笑い。志賀と言えば、痩身で知られる選手だったためだが、志賀自身もこれには大きく笑い、「いやいや(笑)」としていた。和やかなムードの中、同時に、新弟子時代から志賀を知っているデストロイヤーらしい、優しさも垣間見えたものである。

『白覆面の魔王』、ザ・デストロイヤーが逝かれた。前出のように、現役を終えたのは1993年だけに、選手としては知らない読者の方がもう多いと思う。では、なぜ、訃報にあたり、それこそ日本の一般マスコミが彼に多く紙誌面を割いたのか。

 その彼の偉大さを、今回は辿ってみたい。

マスクの頭頂部が尖っていた理由!


 プロレス好きとしても知られる放送作家の高田文夫さんが、切手に関するコラムで、こんな風に語ったことがある。「プロレスラーで5枚組を作るなら、力道山、馬場、猪木、ルー・テーズ、デストロイヤーだな」。また、朝日新聞が2015年、ウェブ上でおこなった『記憶に残る昭和の外国人レスラー』アンケートでは、ブッチャーに次ぐ2位を獲得(3位がハンセン。回答者数1378人。同年5月2日付け紙面より)。これだけでも彼の人気や現役期の衆望ぶりがわかろうものだが、それを生み出した一つの要因として、プロレスでしかありえない属性を持っていたことが挙げられるだろう。以下の徳光和夫アナウンサーの述懐が顕著だ。

「銀座を歩いていたら、見知らぬ大男が近づいて来て、気さくに話しかけて来た。誰かわからず怖がっていたら、連れていた男の子に見覚えがあった。よくスタジオに遊びに来てた子だったんです」

 それは、デストロイヤーの息子のカート・ベイヤーであり、ようやく徳光も得心したという。大男が素顔のデストロイヤーだったことに。そう、プロレスならではのマスクマンであったことこそ、彼の心象を強くした一因であった。

 1954年に素顔でプロデビュー。1962年1月、新天地のWWAに行くと、なんと本人の断わりなしにマスクが用意されていた。若ハゲであり、前歯も2本欠けていたデストロイヤーに、団体側がマスクマンとしての味付けを用意していたのだ。ところが、そのマスクは急場しのぎの毛糸性!しかも、虫食いの穴がいくつか空いており、素材ゆえ、かぶると痒くてしょうがなかったという。「これではとても続けられない」と思ったデストロイヤーは、2戦目には仲間のレスラー(オックス・アンダーソン)に覆面を借りた。するとどうだ。生地は薄く、着け心地も良く、通気性も良いのである。「これ、何で出来てるんだ?」と聞いて見れば、アンダーソン、「女性用のガードルさ」「どおりで着け心地が良かったわけだよ(笑)」とは、生前のデストロイヤーのインタビューでの本人の鉄板ネタだったが、翌日、妻と一緒に新マスク作成のため、デパートで女性用下着を1ダース買うと周囲の客から変態扱いされたというから、やはり先駆者というものは苦難の道を歩むものである。

 以降、その下着を先妻のウィルマ夫人がマスクに仕立て上げ、スターへの階段を一気に上がったデストロイヤー。詳述するのもなんではあるが、そのマスクの頭頂部が若干尖っているのは……そもそも、ガードルを逆さに被る仕様だったためである。

 さて、選手としては、もとよりアマレスの猛者であり、その地力への信頼と試合運びの上手さからヒールを演じることが多く、覆面を前後逆にされ、視界を遮られることも。とはいえ、実力は超一級品で、1962年、マスクマン初のメジャー世界王座に輝く(WWA世界ヘビー級王座)。ミル・マスカラス等の覆面デザインを脇に埋め込んだ「マスクマン世界一」のベルトも本人が保持。その知名度が日本のみならず全米にとどろいていたことは、9・11のテロ事件発生までは、マスクを被ったまま税関を通過出来たというエピソードだけで十分だろう。

 加えて、日本での人気を決定づけたのは、そのフィニッシュ・ムーブの4の字固め、プラス、1963年5月24日の力道山とのシングルマッチと言って差支えないと思う。そう、日本の全テレビ番組史上、4位の高視聴率、64%を記録した死闘である。

視聴率64%の真実!


 4の字固めに関しては、デストロイヤーのオリジナルでもないので、「短い足の方ががっちりはまってよく効く」というデストロイヤー自身の述懐と、上から見ると、4の字が逆になっている様式なことだけに留めたい。これは、そもそもアメリカのプロレスに左半身を攻める傾向があり、それにデストロイヤーがならって、左足を支柱に同技をかけていたためである。

 さて、視聴率64%の話であるが、1962年12月より開始されたビデオ・リサーチの調査によるこの数字。調査の黎明期とはいえ、全番組の中で4位なのだから、やはり燦然と輝く記録であろう。因みにこの年のプロレス中継の、第2位の視聴率は、同年3月29日の試合(力道山&豊登&グレート東郷vsジノ・マネラ&キラーX&パット・オコーナー)で、53.9%。好視聴率だが、これでも力道山vsデストロイヤーと、10%以上の開きがあった。ここで一つの疑問が沸く。「なぜ、この試合だけ、群を抜いた高い視聴率だったのか?」である。

 筆者にとってもこれについては長い間、疑問だったのだが、2015年、ある資料を手に入れてその謎が解けた。それは、当日の、『分刻み視聴率表』である。

 それによると、当日金曜日の夜8時から始まったプロレス中継では、8時33分より力道山vsデストロイヤーが始まり、28分後に、両者レフェリーストップで決着がついている。そして、分刻み視聴率は、8時52分から71.7%という高い数字を超え、それを試合終了1分前の9時00分まで維持。8時59分には、番組内瞬間最高視聴率の72.7%を記録している。……ん?ちょっと待て。プロレス中継が夜の8時からやってるのは良いとして、同番組は、1時間番組、もっと言えば、今の同時間帯コンテンツにあるように、8時54分ごろ終わるものなのでは?

 ここに高視聴率の鍵があった。実はこの時の力道山vsデストロイヤー、往年のナイター中継のように、放送時間を延長しての処置がなされたのだ。古株のマニアに言わせると、当時、プロレスの生中継においての放送時間延長は、ままあることだったという。

 つまり、他の番組が終わり、CMの時間帯になる8時54分近辺からも、この時、プロレス中継は続行。他の番組を観ていた他の視聴者も、一気にチャンネルを回し、視聴が集中。これにより、そもそも高値安定していたプロレス中継の視聴率の中でも、未曾有の記録が生まれたのだった。もちろん、デストロイヤーの名も、4の字固めという技の恐怖も、この時、国民の共有物となったのだった。

家庭においてデストロイ(破壊)した、唯一のものとは?


 その後、時は経ち、1972年に旗揚げしたジャイアント馬場率いる全日本プロレスでは、大型日本人選手が手薄だったこともあり、日本サイドについたデストロイヤー。これにより、1973年から1979年までは日本に在住。これまた常時視聴率30%を超える日本テレビの人気バラエティー「うわさのチャンネル」にも出演し、まさに国民的な人気を得た。これは、当時、デストロイヤーが日本で住んでいた家が日本テレビの裏にあり、「ちょっと出てみませんか?」と持ち掛けられたのがきっかけだったとか。

 以降、日本との縁を大事にして来た。気づけば長男のカートは日本の英字新聞社で働き、長女のクリスは日本の外資系商社での要職を務めるようになっていた。

 先述のように、マスクを前後逆にされ、視界が遮られた試合の時だ。にもかかわらず、試合は沸き続けた。デストロイヤーにもそのわけがわからず、マスクを元に戻すと、リングサイドにいた僅か6歳の子供がリングにあがり、敵レスラーに挑みかかっていたという。そう、長男のカートだったのだ。「どうしてもパパを助けたくて」と泣く愛息に胸を熱くしながらも、「素人がリングに上がっちゃダメだ!」とデストロイヤーも怒らざるをえなかったという。

 1992年5月、31歳でカートは仕事を辞め、全日本プロレスの新弟子に。半年後にデビューし、1993年7月のデストロイヤー引退試合では、ジャイアント馬場を含んでのトリオを結成。父の4の字固めでの有終の美をサポートした。試合後、カートは語った。

「この夜のために頑張ってきた。苦しい練習や、今までの痛みは、今日の試合で奇麗さっぱりと流れたよ。いつか、プロのリングで、お父さんを助けたかった。子供の時からの夢を叶えた今夜は、神様からの贈り物だよ」

 カートはほどなくして引退。その事実こそが、父をリングで助けることこそ、彼の大願だったのだと感じ入らせた。娘のクリスは語る。

「彼が家庭においてデストロイ(破壊)したのは、その悪役のイメージだけですよ」

 デストロイヤーは3月7日、その家族に見守られて逝去。死の直前まで、東京都にも認可された非営利団体『フィギア・フォー・クラブ』を主宰し活動。健全な青少年の育成に、その余生をささげた。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

コメント

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  • 素晴らしい記事でした。
    デストロイヤーさんのご冥福をお祈りします。

    ID:10492128 [通報]
    (2019/3/18 14:13)
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