2019/3/6 15:38

ケニー・オメガが新日本プロレスに残した価値ある種と新世界秩序

閲覧数:7138

ケニー・オメガが新日本プロレスに残した価値ある種と新世界秩序
3.8
最新のコメントに移動

週刊プロレス1999号に、

「ケニー・オメガが新日本プロレスを焼け野原にした」

「ケニー・オメガが一元化しようとした価値観を散らすことができた」

との文章が載せられた。

筆者は今回の週刊プロレスのケニー・オメガ評に対して真っ向から意を表したい。

ケニー・オメガがヘビー級に転向し、新日本プロレスの第一線に飛び出したのは2016年のこと。当時の新日本プロレスは絶大な人気を誇っていた中邑真輔、世界一のプロレスラーと名高いAJスタイルズがWWEに移籍することが確定しており、棚橋弘至、オカダ・カズチカに並ぶ新たなトップ選手が求められていた時期だった。

LOS INGOBERNABLES de JAPONを率いていた内藤哲也のブレイクが新日本プロレスにとって嬉しい誤算だったのと異なり、ケニー・オメガの台頭には新日本プロレスにとって新たな外国人エース誕生への思惑が含まれていたように思える。

BULLET CLUBの新たなリーダーとなったケニー・オメガはヤングバックスと共にBULLET CLUB ELITEを結成。既存のBULLET CLUBメンバーとの関係性は不透明で、BULLET CLUBを率いていくというよりは自身のブランド力を上げていくことに注力しているような面は確かにあった。ファンを置き去りにしてしまう状態をミスと言うならそうだろう。

しかしケニー・オメガにとって外国人エースという役割は初めての経験。責めることはできないと筆者は考える。

棚橋弘至とのラダーマッチこそ中止になったが、代わりにマイケル・エルガンとラダーを巡る激闘を見せ、ファンは既存の新日本プロレスに無い戦いに熱狂した。自身の出したクリエティブプランを試合内容で完結させる成功に、ケニー・オメガは確かな実感を覚えたのだと思う。

そして2016年のG1 CLIMAX制覇でケニー・オメガは自他共に認める外国人エースとなった。

オカダ・カズチカとの激闘でさらにファンの支持を得て、IWGP USヘビー級王座の初代王者となったことも新日本プロレスがアメリカ進出の切り札としてケニー・オメガに期待していたことがわかる。

新日本プロレスの会社自体が、新日本プロレスのプロレスラーが対世間を相手にしていたように、ケニー・オメガは対世界を考えて動くようになる。

実はここで新日本プロレス復活の軌跡が絡んでくる。暗黒時代を経た新日本プロレスはアントニオ猪木に押し付けられた格闘技路線を捨て、プロレスリング・ノアに代表される四天王プロレス路線にも走らなかった。

WWEをモデルとし、各選手にフィニッシャーとなる技を持たせ一撃必殺を軸にした試合内容にシフトしていったのだ。最初こそ技が軽いと批判されたが、互いのフィニッシャーを巡る攻防がプロレス独特の緊張感を生み、プロレスをわかりやすい物に変化させた。それは新日本プロレスを復活に導き、新たな黄金時代を到来させることになった。

だが、ケニー・オメガは世界進出を考えた時にWWEとの差別化を考えたのではないか。WWEに無い物。それはストーリーに頼らず選ばれた者だけが魅せることができる身体能力を全面に押し出したアスリートプロレス。

シリーズを通してストーリーを追える日本のファンとは異なり、単発でしか新日本プロレスを見ることができない世界中の新日本プロレスファンを熱狂させるためには、リング上だけで完結する芸術が必要と判断したのだろう。

それが極まったのがケニー・オメガ vs Cody vs 飯伏幸太のIWGPヘビー級選手権での3WAYマッチであった。優れたアスリート達による善悪の無い、因縁の存在しないプロレスがそこにあった。

しかし、その改革に異を唱えたのが棚橋弘至であった。

「ここは新日本だから」

その一言に全てが詰まっていた。棚橋弘至はかつて新日本プロレスからアントニオ猪木色を消し、プロレスをポップで触れやすいジャンルに変えた。

しかしその反動で、ドロドロとした新日本プロレスを好んでいたファンは、アントニオ猪木イズムを消し去られた団体から去っていった。ケニー・オメガの作ろうとする海外に向けた世界観が今の新日本プロレスファンを置き去りにする危険性を含んでいることに、かつての改革者は敏感に反応した。

「初めてプロレスを見た人が、疑問に思うところがあってはいけない」

「なぜ仲間同士でテーブルを使って戦うのか」

ケニー・オメガの発案した方法論も、棚橋弘至の主張も間違ってはいなかった。だからこそイデオロギー闘争があった。このイデオロギー闘争は正しい者を決める戦いではなく、新日本プロレスの方向性を決める戦いだったのだ。

そして敗れたケニー・オメガは新日本プロレスを世界一の団体にするという夢ではなく、The Eliteとして作り上げてきた新しい道を確立することを選択した。

ケニー・オメガ、ヤングバックス、Codyの4人は新日本プロレスを主戦場にしながら、ROHを始めとしたインディー団体に参戦を続け「WWEに入団しなくてもミリオンダラーを目指せる」という実績を築き上げた。Codyは既にWWE時代の数倍とも言われる年収を手にしている。

これまで外国人レスラーにとって、特にアメリカ人レスラーにとってはWWEに入団するか新日本プロレスに来日する以外にプロレスで財を成す方法が無かった。

かつて新日本プロレスに所属し、頻繁に来日していたカール・アンダーソンはWWE移籍の理由として「一度来日すれば3週間のツアーがあり、家族との時間が取れなかった。日本に行く度に『パパ、いつ帰ってくるの?』と聞かれるのが辛かった」と話している。

そこにAEWという団体が設立された。WWEに行かずとも、新日本プロレスに行かずとも、生活の心配をせずプロレスに打ち込める新しい環境が作り上げられたのだ。

WWE、新日本プロレス、AEWによる選手獲得競争の激化はプロレスラーの待遇アップに繋がる。WWEはAEW移籍を警戒して選手の囲い込みに走り、ある選手は「他団体からのオファーの金額を言え。その倍のオファーを出してやる」と言われたそうだ。

ケニー・オメガが参加しなければ、AEWの設立はあり得なかっただろう。WWEが4億円とも言われるオファーを出すほどに、それだけの求心力を纏っていたのだ。

ケニー・オメガは新日本プロレスを世界に売り出すことに注力し、新日本プロレスは世界での知名度を高めた。WWEの聖地であるマジソン・スクエア・ガーデンへの進出もケニー・オメガの活躍無くしてはあり得なかったかもしれない。

ケニー・オメガは新日本プロレスという畑に種を蒔き、花が咲く前に去ることを選択した。そして新たな道を外国人レスラーに示した。ケニー・オメガが新日本プロレスで活躍した数年間は、決して何も残さなかったようなものではない。

この記事を書いたライター: シンタロー

コメント

最新のコメントに移動
  • ケニー達はとっくの前からAEWを準備してたし、新日本もROHも譲歩するものと高をくくっていたのだろ。思い通りにならなくて東スポに抜かせてたり、新日本への批判してみたりで跡を濁しまくりなのに、まだ参戦してやっても良いとか呆れて笑う。

    ID:9361291 [通報]
    (2019/3/8 0:13)
    0 0
    賛成:0% / 反対:0%

    Loading...


おすすめ記事

新しいコメントを投稿する

 [PCから画像ファイルをアップロード]

関連付けられたタグ

なし
[タグを付ける]

<< 一覧に戻る