2019/2/24 11:33

小島&秋山より暴れたアノ選手!意外な秋山の劣等感!一騎打ちなるか!?小島vs秋山の歴史!

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小島&秋山より暴れたアノ選手!意外な秋山の劣等感!一騎打ちなるか!?小島vs秋山の歴史!
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秋山&大森&ケアvs小島&永田&西村で初顔合わせ!


 2000年代の前半に、小島聡と、あるスポーツ選手とのトークショーに出かけたことがある。記者とファンがごちゃ混ぜとなった席配置の中、小島が、プロレスラーになった理由を語り始めた。「好きな女性にフラれて……。プロレスラーになって、見返してやろうと思った。元々、夢だったし、活躍がテレビに映れば、きっと向こうは悔しがるだろうって」と、そこまで言ったところで、「男って、そういう気持ち、ありますよねえ?」と、急に筆者の方を向いた。筆者と小島は特に知己というわけではなかったのでビックリしたのだが、今、考えれば、会場に男性のギャラリーが少なかったこと、並びに、筆者が、いかにも何度かはフラれてそうな容貌をしていたからかも知れない……。プラス、その時のトークショー相手が、大変イケメンなスポーツ選手だったこともあると思うのだが(会場に詰め掛けた半分以上が、おそらく彼目当ての女性客だった)。

 さる2月19日の『ジャイアント馬場没20年追善興行~王者の魂~』の第7試合の6人タッグマッチにて、小島聡と秋山準が初対決。今後の対戦にも期待を持たせた。秋山と言えばアマレス・エリートとしてジャイアント馬場にスカウトされた逸材。そのプロレス人生の端緒からして、小島とは大分違う体だが、それ以上に、25年以上のキャリアを持つ2人がこれまで手合わせして来なかったことは驚きだ。

 今回の当欄は、この2人の入れ違いの歴史に触れるとともに、その闘いの横顔も比較。一騎打ちへの期待と致したい。

元サラリーマンvs非サラリーマン!?


 元々は東京ガスの社員だった小島。各家庭への設備取り付けや修理もおこなっていたが、最初からガス機器に詳しいわけでなく、小さな爆発は「結構起こしていたけど、笑顔で乗り切った」そう。そして失恋から、1991年2月、新日本プロレス入りに至る。入門テスト合格のため、アニマル浜口ジムでトレーニングを積んだのは知られるところだ。

 対して秋山のプロレス入りへの遠因が、就職活動中、疲弊したサラリーマンの様子を目の当たりし、「自分にはこれは出来ない」と思ったことからなのは、小島の道程を思うとなんとも興味深いところ。専修大学のアマレス部で活躍はしていたが、本人がプロレス入りを切望したわけではなく、むしろ恩師らが秋山をプロレスラーにさせたがっており、ジャイアント馬場に紹介。そこで合意に至った。1992年2月3日、専修大学での入団会見時の、馬場のこんなコメントが残っている。「今年、卒業するアマレスの選手の中では、最も良い素材と判断しました」。期待がかけられていたのだ。同年9月17日、小橋健太(現・建太)を相手にデビュー。実はデビューも相手も当日発表だったため、金看板としての発進というわけではなかったが、それでもこの日は全日本プロレスの『旗揚げ20周年謝恩祭』興行(後楽園ホール)。つまり、全日本ファンへのサプライズ・プレゼントであり、この辺りの配慮は、いかにもジャイアント馬場らしかった。

 小島はその前年の1992年7月16日に山本広吉(現在の天山広吉)戦でデビュー。さしたる格闘歴がないプロ入りの経緯からして大苦戦するかと思われたが、1994年3月には若手のみでおこなう歴史あるリーグ戦『ヤングライオン杯』で、史上初の全勝優勝。宴会での物真似芸を『ワールドプロレスリング』内で流されていたほど、その陽性のキャラは買われており、期待がかけられていたのだ。

 対して秋山は、同じ1994年の1月、こちらも若手主体のリーグ戦『あすなろ杯』で優勝。だが、それ以上に凄いのは、デビューした1992年の末の『世界最強タッグ決定リーグ戦』の最終戦で、メインを戦っていることである。カードは、三沢&川田vs田上&秋山。実は田上のパートナーのジャンボ鶴田が内臓疾患で欠場。デビュー2ヶ月の秋山に代役としての白羽が立ったのだった。完全にその名はプロレスファンに認知され、その後も傍から観れば、それこそ同輩の大森隆男らに比べ、高値安定が続いていたかのように思えた秋山。だが、彼の中では、秘かにライバル視する一団があった。

意外!? テンコジに挑戦表明!


「カシンさんだけじゃなくて、永田さん、中西さんもいましたからね。(中略)アマレスのキャリアは皆さんの方が全然上。僕はそうしたアマレス出身者が同時に大勢いるなかで、馬場さんから拾ってもらったという思いがあったから、ともかく3人には負けないように意識してました」(秋山準著『巨星を継ぐもの』より)。そう、新日本プロレスのアマレス出身者たちを意識していたのだ。確かに、アマレス時のタイトルや実績からすれば、秋山は3人に比べ、後塵を拝していた。

 では、小島についてはどうだったのか。意外な言葉が、秋山から発せられている。

「天山、小島!本当はオレのレスリングの技術にほんろうされるのが嫌なんじゃねえのか!オレはだれとやっても面白い試合になる。それくらいの技術はあるよ。向こうがこっちの技術についてこられればの話だけどな!」

 余りにも激しい挑発。時は2001年5月20日の北海道・北見大会。既に小島は新日本プロレスでトッップレスラーの一角を占めていた。対する秋山は、前年に全日本プロレスを退団し、新団体NOAHへ。同団体が当初、秋山を中心に回っていたのは有名なところだが、その視野に、もちろん新日本プロレスもあった。秋山としては、NOAHという団体の認知を上げるのに躍起だった時期だ。特に他団体に上がる際、『NOAH』と大書されたバスタオルを背中に広げる秋山の姿をご記憶の読者も多いだろう。こちらの挑発は、NOAHのリングから“テンコジ”に向けたもの。実は最初に秋山が同リングで相手に名指ししたのは永田だったのだが、その永田が、2人でタッグを組むことを提案。秋山&永田組の芽が出たところで、上記の挑発となったのだった。なぜこの2人かと言えば、同世代ゆえと言いたいところだが、実は2人がこの時期IWGPタッグ王者だったことがより大きい気がする。

 事実、この年の10月、秋山は東京ドーム大会で、新日本プロレス初登場。メインイベントが用意されたが、カードは、永田&秋山vs武藤&馳のドリーム対決。この時点ではIWGPタッグ王座も藤波&西村組に移動していた。いずれにせよ、秋山から、相手としての小島に言及があったのは、これが最初だと記憶している。

 勢いに乗る秋山は、2003年には何と『G1 CLIMAX』に参戦。「シリーズの中の1試合を参戦なんて、誰でも出来る。でも、他団体でG1にガッツリ参加するなら、話は別でしょ?」(秋山)。実にカッコ良かった。名勝負、名場面も続出。棚橋戦では勝利後、その素質を認め、「おい新日本、棚橋貰って帰るからな!」と一緒に退場。西村戦は、あの中邑真輔が、今まで観たベストバウトに挙げているほどだ。だが、この大会中、小島とはタッグマッチでの接触もなかった。この前年1月、小島は新日本プロレスを退団。全日本プロレスに移籍していたのだ。そう、2年前、秋山が退団した全日本プロレスへ。

その後もすれ違う両者


 そんな2人が公に顔を合わせたのが、2006年2月3日、東京・池上本門寺での節分会。当時、三冠王者だった小島と、GHC王者だった2人は注目も十分。2ショットで写真に収まった。もちろんマスコミも願望含め、「対戦が期待される」と付記。とはいえ、2人の間になされた会話は、小島「ブログ、見てます」、秋山「(笑)」という、交戦とはほど遠いものだったらしいが。

 そう、以降も両者は、リング上ではすれ違いが続いた。2010年に小島が全日本を退団し、新日本にフリー参戦する一方で、秋山は2011年4月、NOAH所属ながら全日本プロレスの春の本場所『チャンピオン・カーニバル』に参戦。2013年からは、前年12月にNOAHを退団し、全日本プロレスを主戦場に(同年7月には所属)。この時には既に小島は新日本所属になっていた。そして今回の『ジャイアント馬場没20年追善興行』で、初の手合わせになったのである。

 実はタッグ結成が一度だけある。2009年10月12日、新日本プロレスにおける『蝶野正洋25周年興行』で、以下のカードが実現したのだ。『蝶野&武藤&小橋vs小島&秋山&中西』新日本とは縁遠い、小橋と秋山が注目されるかと思いきや、事前会見で、中西が妙なことを言い出す。「自分にとっても記念すべき大会なんで」。どうにも中西のメモリアルディの類と符号しなかったのだが、ようするに、ここで頑張りますという意味だったらしい。実際、中西はそれを実践。権利がないのにリングを対角線に走ると、エプロンの小橋を襲撃。小橋も小橋で対応し、2人のチョップ合戦に大いに会場は沸騰。その後も、やたらと小橋を意識する中西。目立っていたが、その分、真面目な小島と秋山は、ちょっと割を食った感が……。トリオでのトリプルドロップキックを発射したり、蝶野に対し、秋山がエクスプロイダー、小島がラリアットと繋ぐ、2人ならではの流れもあったのだが。なお、試合後の秋山は、ノーコメントだった。

 なお、直接の戦いやタッグ結成でなければ、リングでの同舟は何度か実現している。例えば、2012年11月3日の『グローバル・リーグ戦2012』(後楽園ホール)では、タッグマッチに登場して勝利した小島が、「やる気、元気、聡!」と、時のGHC王者・森嶋猛のマイクアピールをパクる形で、GHCヘビー級王座への挑戦をアピールした(※12月の両国国技館大会で実現)。これをチクリと刺したのが秋山だった。「ウチは今、(GHC王座を最終目標とする)リーグ戦をやってるのに、小島はマイクでワープしてもうやっちゃうの?」団体側の舵取りへの疑義でもあったが、仰る通りの意見だった。

 19日の初の対決後も、小島の元気は認めつつ、「あんまりアタック来ると、若手に見えるから止めたほうがいいよ」とアイロニカルに語った秋山。そう、陽性の小島と冷徹な秋山だけに、その絡みは異色感も内包する期待がある。

 今後の展開を楽しみにしたい。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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  • タイトルと中身があってない
    何が言いたいのかよくわからない


    >小島&秋山より暴れたアノ選手!意外な秋山の劣等感

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