2019/2/11 12:31

実は2度目だった“顔面蹴撃”!長州はゲ〇?久々にリングで邂逅!長州と前田の軌跡!

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実は2度目だった“顔面蹴撃”!長州はゲ〇?久々にリングで邂逅!長州と前田の軌跡!
5.0

2月15日、後楽園ホールで“再会”


 前田日明さんのインタビューは過去数回しかしたことがないが、故・橋本真也さんほどではないにせよ、書けないような話を、面白おかしく話して下さることは多い。以下は数年前のインタビューでのやりとり。

「長州さんに何年ぶりかに東京ドームで会った時(2000年1月4日)、びっくりしたよ。耳にピアスしとった。ありゃ、アメリカじゃ、ゲイの象徴やで!(笑)」

 長州力と前田日明。日本プロレス史を形作って来た2人が、プロレスのリング舞台では、久々に邂逅することが話題になっている。2月15日(金)、武藤敬司がプロデュースする『プロレスリングマスターズ』のセミファイナルに、2人が登場するのだ。長州が選手として、藤波辰爾、獣神サンダー・ライガーと組み、藤原喜明、長井満也、冨宅飛駈と対戦。そして、前田が藤原組サイドのセコンドにつくのである。

 既に各種プロレス・ニュースでも報じられ、大注目されているこの遭遇。もちろん2人の間に“伝説のあの事件”があったためである。事実、2009年3月6日、新日本プロレスの「グレーテストレスラーズ」表彰式に出席した前田は、この事件にこうコメントしている。

「そういえば(あの事件で、新日本プロレスを)解雇になったんですよね(笑)」

 笑顔だった。冒頭の逸話含め、互いを笑顔で語れるほど忌憚ないメモリーとなったその伝説。では、自らが解雇されるほどの事件にもかかわらず、なぜ、そうすることが出来たのか?

 前田と、本年6月に引退を控える長州。今回の“再会”を記念し、2人のレジェンドの出会い、軋轢、そして重大事件から和解へと至る、その大いなる歴史を、今回の見どころまで含め、ぜひ紐解いてみたい。

意外にも、2回シングルで戦っている両者


 前田が新日本プロレス入りしたのは、1977年7月7日。事務所で手続きを終え、その後、試合のある箱根・小涌園に向かった。この時、会場に向かう車に同乗したのが、何を隠そう、長州力だった(※運転していたのが、アントニオ猪木の実弟の猪木啓介)。つまり、いささか大袈裟に言えば、前田がプロレス入りして最初に出会ったプロレスラーが、長州力ということになる。さて、注目の、その時の感想は言えば、「『なんちゅうゴツイ身体しとるんや!ゴリラやでゴリラ!』と……」(前田)。厚みがあり、横幅もある長州のその肉体。初めて見る体型だったという。

 若手時代は、8歳年下の前田が長州のイタズラの餌食にされることも。代表的な一つが、奄美合宿時のハブ事件。旅館で出た、前田の蓋つきの料理の中に、長州が事前にハブの死骸を投入。開けた前田は、「うわあ!」と叫び、ひっくり返ったという。他にも、書けぬイタズラが色々あるのだが、リング上ではやはり熱誠溢れ、生一本なのが新日本スタイル。特に1983年4月、前田が欧州修行から帰国してからはガンガンとやりあった。そして、同年11月には国内では唯一となる一騎打ち(※海外では1984年2月12日、フィリピンにて一騎打ち。前田が5分21秒でフォール負けしている)。この際、結局前田は長州の数分間に渡るサソリ固めに捕獲され、最後は放心の体で、口からヨダレを垂らしながらレフェリー・ストップ負けを喫するのだが、ここで、後の事件の予兆となる感覚を、前田は抱いている。

「シングルでやったときに、サソリ固めをかけられてギブアップしたのに離してくれなくて落ちそうになったんだよ俺。腰も痛めたし。それ以来ずっと、こいつはこういうことをやるから気をつけた方がいいな、というのがあって」(『ゴング格闘技』1997年10月号)

 いわば、長州を危険人物視していたということである。ただ、この国内唯一の一騎打ちについては、筆者も当時のテレビ放送を観ていたが、前田が随分と長くサソリ固めを耐えているなあという印象だったのだが……。もし、前田の言う通りなら、ロングタイムでのサソリ固めにも納得が行く。とはいえ、ギブアップの言葉は、普通、レフェリーに告げるものであり、この時、レフェリーが長州を止める仕草すら見せてないということは、ただ単に、前田が技を耐え続けたということであるとも思うのだが……。いずれにせよ、長州の攻めが、尋常でなくハードなものであるという記憶は刻まれたのだろう。

 前田は1984年3月に新日本を離脱し、1986年1月には同リング復帰。長州も1984年9月に新日本を退団も、1987年6月にはやはり同リングに出戻った。再び、新日本で同舟した2人は、1987年9月13日、神奈川・アイワールド相模原店特設リング大会にて、純粋な2人タッグも結成。相手も猪木&藤原という好カードだった(前田と藤原が両者リングアウト)。だが、この約2ヶ月後に、先般言い尽くして来た“事件”が起こる。これについて、前田は自らの15周年記念大会挨拶にて、こう表現している。

「純粋な気持ちを打ち砕かれた、長州力との一件」(1993年8月21日・リングス。横浜アリーナ大会)

 1987年11月19日、前田は6人タッグ戦にて、長州の顔面を蹴撃。長州を眼窩底骨折させ、自らは新日本を解雇の憂き目に遭った。

実は2度目だった、“顔面蹴撃”!


 概況はよく知られるところだ。前田&木戸修&高田延彦vs長州&マサ斎藤&ヒロ斎藤の試合中、木戸へのサソリ固めに入った長州の顔面に、前田がキック。これが長州の右目を直撃し、長州は骨折までの大怪我。見る見るうちに右目が腫れあがる様子が、今、動画の類で観られる同試合で確認出来る。両サイドの選手たちもリングに入り騒然とした状態。後の述懐の類をまとめてわかったことだが、マサ斎藤は前田に「落ち着け。なんでこんなことしなきゃいけないんだ?」とチョップをしながらまくしたてた。長州は前田に殴りかかるが、前田は自身のアゴを指さし、「ここを殴らないと効かないぞ」のアピール。これにはレフェリーのミスター高橋まで激怒。前田に「何やってんだ!」と激怒する様子が見てとれる(試合は、長州が高田にラリアットでフォール勝ち)。

 他選手の反応も、よく知られるところで、猪木は「相手に怪我をさせる行為は、プロレス道にもとる」と前田の行為を批判。これに対して、全日本プロレスのジャイアント馬場が、「リング上では、何をしても構わない」と正反対のスタンスの意見を公言したのも興味深い。なお、前田さんにインタビューしたところによれば、馬場はこの時、前田に非公式に、「何かあったら(身柄を)引き受けるから」と打診したようで、全日本プロレス入りを容認する懐の深さを見せている。

 先述のように長州は骨折により約1ヶ月の欠場となり、前田はこの後、無期限での出場停止処分となり、結局、翌年3月1日に新日本プロレスを解雇。その2ヶ月後には前田は新団体「(第2次)UWF」を発進させ、一大ブームに。その後の総合格闘技ブームの礎を築くものとなった。つまり、この長州への顔面の一発は、大袈裟でなく、日本のリング史を変えたのである。恐れを知らぬ、前田という男のカリスマ性形成にも、一役も二役も買ったと思う。今回のプロレスリング・マスターズにおける絡みが注目されて、然るべきだろう。

 さて、前田がこのような行為に至った理由は大別して2つあり、大事件ゆえあまたのプロレスムックで書き尽くされた感もあり、今ではよく口の端に上るものである。1つは、前田が、当時の全日本プロレスの天龍源一郎と輪島大士の絡みを上回る攻防を、長州とやりたかったというもの。時の天龍と輪島は、張り手といい、蹴りといい、「ナマの打撃で、ガンガンやり合っていた。あれこそ本当の“過激なプロレス”。それを視た瞬間、『俺たちはこの上を行かなきゃいけない』と思った。それが出来るとすれば、UWFの仲間以外では、頑丈な長州選手しかいなかった。右目は狙ったわけでなく、ヒットの瞬間に、長州さんが、横を向いたから」……そんな前田の述懐が残っている。

 もう1つは、新日本側が、一枚岩と思われたUWF勢に切り崩しにかかっていたこと。この年の秋、藤原と木戸は、新日本と個人契約を結んでしまっていた。自身の理想のプロレスと、そのための新団体を作るため、実は別会社を作り、そこに資金をプールしていた前田にとっては、これは相当ショックだったようで、リング上で存在感を示さなければならないという焦りがあったようだ。

 対して、この蹴撃自体に対する長州の見解は、例えば2012年におこなわれた、長州と高田延彦のトークショーから引用すれば、こうだ。「俺、いつもアキラに、『お前、あれ、マジで怪我させるつもりで蹴っただろ。今なら許してやるから正直に言え』と言うんだけど、アキラは、『違いますって!兄さんが変な風に、体をひねるから!』って」

 最初から右目を狙った悪意ある行為か、それとも偶然がキラー・ショットになったのか、食い違う両者の言い分だが、大変生意気にも私見を述べさせて頂ければ、筆者の中では明確な結論が出ている。拙著の類で書いたこともある事実なので恐縮だが、昔のプロレスビデオを何の気なしに見返していた時だ。カードは1983年9月22日、福生市体育館における、前田&星野勘太郎vs長州力&アニマル浜口。観ていると、星野を長州がサソリ固めに捉えた。すると、前田が出て来た。長州に背後から近づく。覚えのある光景だ。嫌な予感がする。その通りとなった。前田が長州の顔面に向け、思い切りハイキックを見舞ったのである。ただ、長州は瞬間、上手く上体をひねった。蹴りは今回は、左腕に当たった。テレビ解説の山本小鉄の声がかぶさる。「(あそこは、)腕の一番痛いところなんですよね」。

 結局、UWFに入る前から、前田は長州の顔面を狙って蹴撃していたのだった。前田にとっては、この攻防は、別段、普通のことだったのだ。

4年半ぶりの再会!


 経緯が経緯だけに、2度と新日本プロレスとの復縁はないと思われていた前田。ところが、その機会は、意外にも早く訪れた。1992年3月13日、京王プラザホテルでおこなわれた、新日本プロレス創立20周年記念パーティーに、前田が訪れたのだ。なんとも前田らしく(?)、30分遅刻して現れると、先ずは入口近くにいた同期のジョージ高野と会話。すると、そこに、一直線にグイグイと近づいて行く影があった。

 長州力だった。そして、こう、声をかけた。

「アキラ、元気か!?」

 笑顔だった。そうして、自ら右手を差し出した。前田も笑顔になり、これに応え、ガッチリと握手。その後、談笑し、分かれた後、マスコミの直撃を受けた前田はこう言った。「長州さんとの会話?『飲みに行こう』とか、そういう感じ」そして、記者の聞きたいことを察してか、こう言った。

「(過去のこと)別にこだわってないよ。シャモの喧嘩じゃないんだから」

 だが、多少の照れ笑い。やはり、自ら握手を求めた長州の行動が、わだかまりを氷塊させたと見ていいだろう。長州は後に、こう語っている。

「面白いもんで、アキラもあの試合が“伝説”になるなんて思ってなかったけど、あれでアキラのキャラができた。僕にとってもいい経験をしたんですよ」(『週刊大衆』2013年3月11日号)

 その時代にあり得た激しさに対してお互い、逃げることをしなかった2人だからこそ生み出せた伝説。長い時を経ての邂逅を、当日、大いに噛みしめてみたい。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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