2019/1/27 15:05

初使用で川田が強烈なダメ出し?!“帝王”のデビューに、あのベテランの初マイク!3月に閉館!ありがとう博多スターレーン!

閲覧数:3031

初使用で川田が強烈なダメ出し?!“帝王”のデビューに、あのベテランの初マイク!3月に閉館!ありがとう博多スターレーン!
3.4
最新のコメントに移動

本年3月末を持って閉館。


 故・橋本真也についてインタビューするため、福岡県まで足を向けたことがあった。取材のお相手は、高島宗一郎・現福岡市長。元はKBC(九州朝日放送)のアナウンサーだったが、そのあり余るプロレス知識を買われ、地方局初の『ワールドプロレスリング』実況アナに。その過程で橋本とも昵懇となったため(※橋本の亡骸が出棺する際、最後のコールを務めたのが同氏)、思い出話をお話し頂ければとなったのだった。

 さて、取材場所の市長室は市役所の上階にあるのだが、その前に秘書の方にご挨拶することになった。相手が相手、場所も場所だけに、筆者も大変緊張したのだが、そんな空気を察してくれてか、秘書の方が言う。

「実は私もプロレス、大好きなんですよ。市長には負けますけれど(笑)」

 聞くと、市役所から遠くない距離にプロレス会場があり、そこでよく、生観戦をしたのだという。

「中でも、忘れられないのは、三沢(光晴)さんが亡くなられた翌日の大会でしたね(※2009年6月14日)」

 試合前に行われた10カウントゴング、体調不良でその日のGHCヘビー級戦に出られず、涙ながらに挨拶した秋山準、リングサイドの三沢の遺影に向かって土下座した齋藤彰俊etc……。筆者個人としては、セミの6人タッグに出た小橋が試合前、珍しく(パートナーの田上、谷口と)円陣を組んだのが強く印象に残る。

 大袈裟でなく、この一日だけでもそのプロレス史に名を残す名会場、博多スターレーンの閉館が決まった。プロレスファンには“西の聖地”として親しまれた同会場を、その名場面とともに振り返りたい。

西日本最大のボウリング場としても有名だが……。


 博多スターレーンは、1974年4月に開業。その名の通り、80レーン以上を有する8階建てのボウリング場として建てられた。ただし、ボウリング場となるのは6階より上階であり、他は、事務所や展示場として使用。その展示場が、プロレス興行の際は会場に早変わり。1650平方メートル、収容人員約3000人を誇る器となり、ファンたちを楽しませて来たのである。

 その名が業界で注目されるようになったのは、1988年9月24日、第2次UWFの大会でのこと。それまで所属選手6人で試合を回して来た同団体に、マレンコ道場で腕を磨いた内藤恒仁なる選手が“逆輸入”。一種のトライアルマッチとして、同団体所属の中野龍雄(現・巽耀)と戦ったのだが、期待とは裏腹、2分7秒、ほぼ何も出来ずに完敗。そのインパクトから、中野は“博多男”と呼ばれるようになり、ひいては、同会場が、“西の聖地”されるようになったである。なお、この呼称の前には「UWFの」という修飾語が隠されており、もともと、北海道の札幌中島センターが「UWFの北の聖地」と呼ばれていたことからの表現、及び造語であった。

 よって、当初はU系団体の名場面が多かったのがその特徴と言って良いだろう。1990年4月には、船木誠勝と鈴木みのるが、後のパンクラスに繋がる、実験的な試合を敢行。高山善廣がプロデビューしたのは、1992年6月、この会場で。その高山が所属のUWFインターを離れ、今後は全日本プロレスを主戦場にして行くことを明言したのも、1996年12月、この会場でのことだった。

 しかし、UWFの聖地としてだけの認識なら、それこそ同会場閉館のニュースが、各種プロレスニュース・サイトを駆け巡ることはなかっただろう。博多駅から徒歩4分という好立地。そして、熱狂的な博多っ子の気質とあいまり、博多スターレーンは、九州を代表するプロレス会場となって行く。その舞台に団体の隔てはなく、1996年9月には、大日本プロレスにて、ロープに電球を吊るした『月光闇討ちシャンデリアツリーデスマッチ』(松永光弘vs中牧昭二)が開催。1995年12月には天龍源一郎率いるWARにて、身長199cmの北尾光司と、231cmのエル・ヒガンテがタッグを結成(相手は天龍&嵐)など、様々な心象を残して来た。だが、特に1990年代を振り返るに、そのメモリアル多き団体と言えば、1991年4月12日に同会場を初使用した、以下の老舗になるだろう。

 その日、記者が博多スタレーンに行くと、言われた。「やる気なくしたわ。これは、手を抜いていいってこと?」怒りの口調でそう愚痴ったのは、川田利明。カードは田上明とのシングルマッチ。ビッグカードだが、試合位置はセミ前の第6試合だった。

 川田の意見(批判?)が通り、試合は開始直前で、セミファイナルへと移行.激闘の末、川田は田上を下す。フィニッシュは川田としては余り見ない、フェースロック。そして、試合後にこう言った。

「そういえばここ、UWFが、よく利用したんだってね」

 なんとも粋な決着の付け方であり、コメントだった。そう、90年代の博多スターレーンは、全日本プロレスの名勝負の記憶とともにあったと言って過言ではなかった。

天井の低さから、小橋が開場前、ムーンサルトの試し打ちも(後に天井はくり抜かれ、高めに)。


 その盛り上がりを示すかのように、チャンピオン・カーニバル以外でも、シングルの好カードが頻出した。川田vs小橋、三沢vs秋山、川田vs秋山、小橋vs秋山etc。とりわけ印象深いのは、1995年7月に行われた小橋vs菊地毅。1987年の同期入門かつ、1988年2月26日に同日デビューした2人だが、なんと一騎打ちは、この時が初めてだったのだ。試合は“四天王”として確固たる地位を築いていた小橋の勝利ではあったが、ゴング前、小橋から差し出された握手の手に応じ、そして、それをいつまでも離そうとしない菊地の姿が印象的だった。なお、試合後の菊池のコメントは、「(入門からの)自分の9年間をぶつけて行った割には、自分の9年間というのはモロいものだった。一番、小橋に対して言いたいのは、『今日は本当にありがとう』ということ」というものだった。

 そんな往時も過ぎ、全日本プロレスは2000年6月、NOAHへの大量移籍により、言うなれば“分裂”するわけだが、実はこのNOAH一派と、全日本プロレスが最後に同舟したのもこの博多スターレーン。離脱前に三沢が入れていた4大会には、三沢らも出場。そのラストとなったのが同年7月20日の博多スターレーン大会だったのだ。

 主催はもちろん全日本プロレスなのだが、ポスターは、残留した川田を中心にしたものと、移籍した三沢らを中心にした2枚が並べて当日券売り場に貼られるという、かなり貴重な場面も(※三沢らのものは、まだ脱退が決まってない時に作られたもの)。とはいえ、数々の名勝負を展開して来たよすがか、NOAH勢には温かい声援が集中。『魂のエルボーを放て!三沢光晴』という応援幕もかかる中、三沢が入場する際には、「三沢」コールも。これには、「嬉しいよねえ」と笑顔の三沢だった。プラス、こんなコメントも……。

「声援は、“これから(新団体)頑張れよ”って意味もあるんじゃん?だから、期待されてるプレッシャーもあるね。ありがたいというか」

 事実、例えば2004年2月に、武藤敬司が代表となった全日本プロレスにより、博多スターレーンで『武藤祭』が行われたこともあったが、1990年代に同会場をヒートさせた全日本プロレスの熱気は、そのままNOAHが引き継いだ感もあった。

NOAHでは同会場にての2連戦も(2015年10月、2010年4月他)


 2008年1月には、癌からの復帰3戦目を、小橋が同会場で戦い、6人タッグで激勝。パートナーの本田多聞と潮崎のアシストのもと、新技、“玄海灘落とし”も初披露。超満員2800人が詰めかける中、珍しく退場時の最後に振り向き、両手を大きく掲げ雄叫びを挙げた姿が印象に残る。

 2006年4月には、齋藤彰俊に井上雅央が勝利し、日本武道館でのGHCヘビー級王座への挑戦権をゲット。デビュー15年目にして初めてリング上でマイクを握り、「武道館でも勝ちます!」としたが、試合後は、既に万感極まったか、「自分には夜逃げする勇気もなくて、ここまで来た」「新弟子時代、三沢さんに『続けていればいいことが必ずあるから、負けずに頑張れ』と言われたのを心の支えにして来た」としんみり。挙句、同期であり、首の怪我で既に現役を引退していた浅子覚トレーナーが現れ、「僕の分まで頑張って」。これ以上ない、温かな祝福に包まれた。

 2014年10月、グローバル・リーグ戦で丸藤に勝利した小島聡は、「私は新日本の一員ですが……このグローバル・リーグ戦に賭ける思いは、福岡ドームよりも大きいです!」と、なんとも心意気溢れるマイクを披露。それは、やはりこの博多スターレーンに集まるファンのプロレス愛が言わせた言葉ではなかったか。

 地元・福岡生まれのお笑い芸人、博多大吉さんに、「心の名勝負」について聞いたことがある。大吉さんの答えは、以下だった。

「博多スターレーンでやった、NOAHの6人タッグトーナメント(02年10月14日)。それがとても凄絶だったんですけれど、専門誌には殆ど載らなかった。観客も沢山入っていて、凄く盛り上がったのに。全国の人が知ってるわけじゃない。あっ、これもプロレスなんだなって」

 会場は消えても、激闘の記憶は消えることがない。さまざまな思い出を残してくれた同会場に、「ありがとう」の言葉を送りたい。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

コメント

最新のコメントに移動
  • 各団体で新しい選手が台頭しベテラン選手が第一線から引いたり、マット界から去り新陳代謝を行うかの如く、“聖地”と呼ばれる会場も、良い意味で移り変わりがあると良いですよね。

    ID:9657985 [通報]
    (2019/1/28 20:03)
    0 0
    賛成:0% / 反対:0%

    Loading...


  • 新しい会場できるといいね。

    ID:9887315 [通報]
    (2019/1/29 1:07)
    0 0
    賛成:0% / 反対:0%

    Loading...


おすすめ記事

新しいコメントを投稿する

 [PCから画像ファイルをアップロード]

関連付けられたタグ

なし
[タグを付ける]

<< 一覧に戻る