2018/12/9 20:48

小橋が受けたプロの洗礼!三沢に見せた唯一の表情!さらば爆弾小僧!追悼 ダイナマイト・キッド!

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小橋が受けたプロの洗礼!三沢に見せた唯一の表情!さらば爆弾小僧!追悼 ダイナマイト・キッド!
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1996年10月の来日を最後に……。


 2010年末より、いわゆる「タイガーマスク運動」と総称される慈善行為があるのを、読者の方々もご存知だろう。主に児童養護施設の玄関前に、人知れず篤志家が寄付金や贈り物を置いて行く。その差出人の名が、「タイガーマスク」となっている、あの活動である。まさに漫画「タイガーマスク」で、主人公・伊達直人が(タイガーマスクである)自らの正体は隠しつつ、孤児院の子供たちを支えるために戦うという設定そのもの。何とも心温まる話である。

 ところで、全国で頻発するこの運動、差出人の名は、「タイガーマスク」に限らない。「仮面ライダー」や「星飛雄馬」の名で、寄付が行われることもある。2011年1月、徳島県徳島市の児童養護施設「阿波国慈恵院」でなされた寄付も、そんなうちの一つだった。同月13日朝、出勤して来た職員が、金銭の入った封筒と菓子を玄関前に発見。差出人の名には、こうあった。

「ダイナマイト・キッド」。

 初代タイガーマスクvsダイナマイト・キッド。往年のファンにはたまらない好カードであり、おそらく、当時、その死闘に胸を熱くさせたファンが置いたのだろう。「タイガーがやるなら、キッドだって!」という心持ちだったか。あるいは、もっと深読みすれば、「キッドという好ライバルあっての、タイガーマスクだ」という気持ちだったかも知れない。初代タイガーとキッドの通算対戦成績は、タイガーの8戦6勝1敗1分。タイガーが圧倒している。だが、勝ち負けではない、キッドはそれほどまでに、観た人に強い心象を残すレスラーだったのだ。

 そのダイナマイト・キッドが、さる5日、自らの60歳の誕生日に逝かれた。キッド自体は1991年12月に現役引退も、1993年7月より一時的に復帰を果たし、1996年10月には、みちのくプロレスの両国国技館大会に出場しているが、どちらかというと、それは副次的な要素。やはり最初の引退までで、目いっぱい生き抜いたという印象が強い。

 今回の当欄は、歴史こそ古くなり恐縮だが、この不世出の名レスラーの偉大さを書き記してみたい。

『爆弾小僧』『カミソリファイター』の異名宜しく……。


 1958年12月、イギリス生まれ。父のビリーは炭鉱夫だったが、元プロボクサーでもあり、キッドは12歳より、先ずこちらの技術を学んだ。それが後述する腕っぷしの強さに繋がるわけだが、プロレスのトレーニングもその翌年より開始。カール・ゴッチやビル・ロビンソンを輩出した“蛇の穴”、ビリー・ライレー・ジムにも通い、17歳でプロデビュー。1977年、初来日の国際プロレス時代から、その技術は際立っていたが、当時、注目されたのがその美男子ぶりとか。ブロンドの長髪をなびかせた風采は、特に女性ファンに人気だったと、プロレス評論家の菊池孝さんがよく仰っていた。

 ところが、1980年に新日本に初参戦すると、スキンヘッド姿に変わり、ファイトスタイルも、当時の外国人レスラーにしては珍しく、厳格かつストレートなそれに。例えば、相手をロープに振ってラリアットをする際、そのまま相手が返って来るのを待って同技を炸裂させる場合が多いが、キッドは、さらに自ら飛び込んでラリアットを見舞って行く。観てるファンには、気っ風が良く映り、全力ファイトを印象付ける。相手をキャンパスに寝かせてのコーナー最上段からのダイビングヘッドバッドは、その相手から遠い方のコーナーを選ぶ。攻めや受けだけでなく、試合の見せかたにも妥協がないのだ。

 余りにも有名な初代タイガーマスクのデビュー戦(1981年4月23日)が行われたシリーズでは、序盤に藤波のタイトルに挑戦して敗退。件のタイガー戦で敗れている。ところが、キッドの人気は下がらなかった。それだけ観客の胸に熱く残る、全身全霊のファイトが出来ていたということだろう。

 思い出は枚挙に暇がない。筆者自身、動画でも5例ほどしかみたことがない、WWFジュニアヘビー級王座を奪取した際のフィニッシュ、コーナーからの雪崩式サイドスープレックス(1984年2月)、ジャイアント馬場をあの高速ブレーンバスターで投げたシーン、マレンコ兄弟のサブミッションで渡り合った場面(1989年1月)etc……。1982年1月の初代タイガーとの試合は、WWF(現WWE)の要人が観ており、ニューヨーク・MSGでの同一戦(同年8月)を即決したというエピソードも、日本のファンとしては誇らしく感じたものである。

 その男気や義侠心も有名。デビューして間もなくの頃、アメリカの空港で猪木を見かけ、嬉しくて握手して貰ったことがあるという。ところがその数年後、ある程度リングに馴染んで来た際、再び猪木を空港で見かけると、キッドは握手せず、むしろその場を去った。曰く、「猪木さんと今の俺では、格が違い過ぎて、握手したりそばにいるのは、むしろ失礼」。だが、こんな、どこか日本人的な謙虚なスタンスも、数年後、彼を一流のレスラーにならしめたのだろう。

 新日本での巡業の際、外国人選手の行きつけの店でナンパを繰り返した某レスラーを、コテンパンにのしてしまった逸話も有名。驚くのは、その選手がボクサー上がりだったにもかかわらず、キッドがパンチでKOしてしまったこと。父からボクシングの手ほどきを受けていたという経歴に、なるほどと思ったものである。

 最も印象深かった逸話は、プロフィール写真で笑顔で写っている後輩レスラーを観た時のこと。「プロとしての気構えがなってない!」と、その後輩を怒ったという。

 そう、キッドは、自分は勿論、他人にも厳しいレスラーだった。

引退は、当日の試合入場前、急遽、マイクで告知。


 入場時も退場時も、ファンに握手はおろか、タッチすらしない。リング上からのサインボール投げでは、客席に向け剛速球!一歩間違えれば大怪我だ。キッドが好きだった筆者も、内心ビビッたものである。極め付けは、ファン時代の小橋建太の述懐。サインを求めようと、色紙を渡すと、それをビリビリと破かれたという。80年代前半、古舘伊知郎アナが付けた異名、及びは、「カミソリファイター」「全身これ、鋭利な刃物」。まさにファンに対しても、そんな接し方だったキッドだったのだ。

 伝説とされる初代タイガーとのデビュー戦は、タイガーの素顔時代も含めて、実は初の手合わせ。試合前、レフェリーはタイガーに呼び出され、こう言われたという。「僕は今までにない、横に動くファイトをします。ですから、(当たらないように)気をつけて下さい」。いわゆる、足を使ってグルグル回る、タイガー・ステップのことだが、レフェリーは当然ここで、一つの不安を抱いた(そんなことで、初めて戦うキッドと噛み合うのだろうか……?)もちろん、実際に戦う2人の中にも、試合への不安はあったに違いない。

 ゴング前、両者がかなり密接に向かい合う。すると、僅かだが、キッドの口元が動いた。何かを、タイガーに向けて話しかけたのだ。カメラがすぐ切り替わるので、どの程度の会話か、動画ではわからない。キッドの自伝によれば、この時、タイガーは、明らかに浮かぬ目つきをしていたという。キッドは、小声で聞いた。

「……どうした?」

 小声で聞くキッドに、タイガーは、苦しそうに、こう答えたという。

「マスクが……」

「わかってる。最悪だな」(キッド)

 今観ても、急造だということがわかる稚拙なマスク。しかも、マスク職人でなく、デザイン会社に制作を依頼したため、模様は刺繍でなく、手描き!そして何よりも、タイガー自身が言うように、そう、小さかったのだ。現に、タイガーマスクとして5戦目となる、1981年5月12日(名取市体育館)の試合で、タイガーは新マスクを着用。しかし、粗野なデザインは変わらず、ただ、目のところが大きく開いたバージョンだった。それもその筈、佐山はこう振り返る、「あれは僕自身が、デビュー戦のマスクをハサミで切って、改良したの。サイズが小さくて、皮膚が引っ張られて痛いし、何より、見えにくかったから」。

 その見えにくいマスクでのデビュー戦。だが、試合は最上のものとなった。出だしのタイガー・ステップからの威嚇のソバットに、大きく、いや、大袈裟なほどのけぞり、アピールするキッド。以降も、タイガーのキックをとらえれば、タイガーはもう片方の足でのスピンキックで反撃。出だしの名場面である、腕の取り合いから互いに回転し、立ち上がるムーブも、キッドがきっかけを与えている。いたずらに打撃に入ることなく、距離を取ってから、組み合い、チェーン・レスリング(体を密着させての攻防)に持ち込む。エルボー・パットを打ち込むシーンがあるが、これもかなり大振りだ。

 タイガーマスク自身が、そのライバルたちを評した文章には、こうある。「ブラック(タイガー)の特徴はパンチにしろキックにしろモーションが小さいのです。だからキッドに比べて1発余分にパンチをくり出せるわけです」(「月刊プロレス」1982年12月号)。ブラックタイガー(マーク・ロコ)は、タイガーが、イギリス遠征時代、「一番手が合う相手」として、新日本に来日させることを熱望したほどの手練れ。(余談だが、猪木も大変気に入っていたレスラーだった。)しかし、視界の狭い中で勝負したデビュー戦。今では動画で見れる、キッドのやや大ぶりな動きかつ、チェ―ン・レスリング中心の展開と、前出のブラックタイガーのような攻め。どちらがよりこの時、向いていたかは、論を待たないだろう。そして、それが結果として名勝負を生みだしたことも。それは、ひょっとしたら優しさよりも大きなもの。それこそ、キッドのプロレス自体を愛する心であり、プロ意識ではなかったか。

 キッドは、1991年12月6日、引退。外国人控室ではハンセンがその手を挙げて讃え、違う控室にいたブッチャーもやって来て、握手で慰労した。だが、それよりも印象深かったシーンがある。

 ダイビング・ヘッドバットで3カウントを取り、現役生活を終えたキッド。直後、セレモニーがおこなわれ、2代目タイガーマスクとして凌ぎを削り、この時にはもう立派に若きエースとなっていた三沢が近づき、これまでの労をねぎらった。瞬間、キッドが穏やかにほほ笑んだのだ。

 それが、筆者が初めて観た、そして唯一の、リング上でのキッドの笑顔だった。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

コメント

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  • プロに徹していたキッドを知る貴重な話

    ID:9261332 [通報]
    (2018/12/10 15:21)
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  • 初代タイガーとの一戦は聖戦として語り繋がれてますが、全日本でブリティッシュブルドックスとしてヘビー級と渡り合っていた時代のキッドもまた魅力的でしたね。忘れる事のできない名レスラーですね。

    ID:9858744 [通報]
    (2019/1/26 18:04)
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