2018/9/30 9:31

KIDとの最後の会話は?ただ一度だけスパーした、那須川からの評価は?那須川天心と世紀の一戦!堀口恭司特集!

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KIDとの最後の会話は?ただ一度だけスパーした、那須川からの評価は?那須川天心と世紀の一戦!堀口恭司特集!
5.0

9月30日、19時57分より、フジテレビ系で中継も!


 9月18日、残念過ぎる訃報が入った山本“KID”徳郁だが、その後年のファイトぶりを知る読者は、00年代のそれよりは少ないことだろう。ご存じのように、2011年より、アメリカ・UFCと契約していたためである。エキシビションを除けば、そのKIDの日本での最後の試合となったのが、2012年2月26日の『UFC 144』、さいたまスーパーアリーナ大会。ここでKIDはヴァウアン・リー相手に優勢に試合を進めるも、腕十字に、生涯初の一本負け。この際、弟子の中に、こう言った者がいた。「あの場で金網の中に入って、相手を倒したかった」ご存じ、堀口恭司である。

 一時の所属を、KIDが主宰する『KRAZY BEE』とし、KIDのスパーリングパートナーも務めていたKIDの一番弟子。その堀口が、9月30日(日)、大勝負に挑む。「RIZIN.13」にて、“神童”那須川天心と、キックボクシング特別ルールで戦うのだ。まぎれもなく、格闘技界における、今年最大の注目カード。各種報道では、早くも「新世代の魔裟斗vsKID」という煽りが目立っている。

 昨年末、那須川を取り上げた当欄。今回はもう一方の雄、堀口恭司をクローズアップしたい。

寸止め空手の流派ながら、その踏み込みスピードを長所に躍動!


 1990年、群馬県高崎市出身。5歳時、空手をやっていた父の勧めで、松濤館流の「一期(いちご)倶楽部」道場に通うことを強要される。と、書いたのも、「当時は、泣きながら『嫌だ!』と抵抗した」という堀口自身の発言があるから。その後も、「辞めたくてしょうがなかった」と振り返る。実際、中学2年まではサッカーも部活でたしなんでいた。しかし、中3になって空手一本に絞ったのは、「高校受験で、空手の特待(生)で採ってくれるという話が出てきたので」と言うから、この辺はなかなか現代っ子か。因みに中学時の空手の最高戦績は、3年時の、関東大会準優勝だとか。
 栃木県の作新学園に進学後はその頭角もさらに突出。県大会での優勝を果たし、上京。プロ格闘家を目指し、『KRAZY BEE』入門となった。

 そのプロデビューのきっかけは、伝説化している。2009年12月20日、『第6回東日本アマチュア修斗オープントーナメント』に参加。すると、その日、5試合を勝ち抜き、いきなり優勝。これが修斗初体験にもかかわらずである。その鮮やかな勝ちっぷりに、大会のMVPも獲得。いみじくも、当時の日本修斗協会事務局長、並びに、アマチュア修斗普及委員長、若林太郎氏曰く、「他のアマチュア・シューターとは、レベルが違い過ぎる」その場での協議で、プロ昇格が認められたのだった。

 ところで、堀口と言えば、2013年10月の、自らのUFC初参戦前までは、「修斗は踏み台。UFCでベルトを取りたい」が口癖でもあった。どこか非礼な表現に聞こえなくもないが、それもそのはず。なんとこの堀口、『KRAZY BEE』に入るまで、修斗という競技の存在を知らなかったのだという。では、なぜ、されど、キックボクサーではなく、プロの総合格闘家を目指し、上京に至ったのか。

『KRAZY BEE』に、KIDがいたからである。KIDこそ堀口がプロを目指す、憧れの的であった。

「恭司は飲み込みが早い」(KID談)


 その勇姿を知ったのは、K-1中継にて。KIDに惹かれたのは他でもない、そこに自らと同じファイトスタイルを感じ取ったからだった。「小さな体で、大きな敵を、バッタバッタとなぎ倒して行く姿が、自分と重なった」。ところが、先述の通り、修斗の存在を知らなかっただけあり、実は寝技についても経験ゼロ。だが、「やるなら総合格闘技だ」と決めていた。繰り返すが、KIDへの憧憬からだった。

 しかし、上京しての初対面では、KIDの方が驚いたという。「当時(2009年)の恭司はでかくて。しかも顔を見て25歳くらいだと思ってたら、『18です』って言われて……」後半は堀口の若干の老け顔が言わせた可能性があるが、身長はKIDより2cm高いだけの165cm。しかし、上京したての堀口は、全体的に、体が絞れていなかったようだ。

 その証拠に、『KRAZY BEE』で鍛錬を積むと、堀口はみるみるうちにスリムに。ステップを使いながら、相手の隙をうかがって強打をぶちこむというファイトスタイルもKIDと通底しており、そのスパーリング・パートナーになるのに、時間はかからなかった。

「身長、体重がほとんど同じなんです。ラッキーにもすぐに指名されて、いつもやられながら成長しています」(堀口・『ゴング格闘技』2011年3月号より)

 その後、2013年10月より、UFCを主戦場に。だが、2016年7月、UFCが、米大手芸能事務所WME-INGに買収されると、様相が一変。実力重視のタイトルマッチより、市井の人にヒットしがちなスーパーファイトが中心に組まれるようになってきた。また、PPV戦略のためか、以前にも増してアメリカの選手が重用される傾向になった。こういった背景もあり、2017年2月より、堀口はフリーに。同年4月にはRIZINに初参戦、及び初勝利をおさめ、記憶に新しい今年5月の、イアン・マッコール戦では、左フック一発で、戦慄の9秒KO勝利。それは、かつて宮田和幸に飛び膝蹴りから4秒KO勝ちしたKIDの衝撃をも彷彿とさせた。

魔裟斗vsKIDの瞬間最高視聴率は、31.6%だったが、果たして……。


 さて、対戦相手の那須川と言えば、キックボクシング、総合、ミックスルールの試合含め、現在まで31戦無敗という、まさに神童そのものの戦績を誇るが、堀口も負けてはいない。現在までプロとしての戦績は、25勝2敗。この2つの負けも曰く付き。2012年1月、修斗のトーナメント決勝で、13歳も年長の上田将勝に判定負けした際は、『ゴング格闘技』が、終了のゴング直後の、笑顔の堀口と、無念の表情の上田の写真を掲載。暗に、「判定でも、堀口の勝ちだったのでは?」と、示唆する内容で、実際、上田の試合後コメントも、「負けたと思っていた」というものだった。もう一つの負けは自身、UFCでの唯一のタイトルマッチとなった、デメトリアス・ジョンソン戦(2015年4月25日)。最終ラウンド、残り1秒で腕十字にタップアウト負け。もとより、那須川戦はキックルールであるし、この2つの負けは参考にならない。

 技術面で言えば、伝統空手をベースにしている堀口は、通常の立ち技の選手より、距離を空けるタイプであり、その分、相手に飛び込むスピードが異常に早い。「自分が飛び込むタイミングに反応できる選手はほとんどいないですね」(堀口・前出『ゴング格闘技』より)

 ただ、実は那須川と堀口は、4年前、那須川がプロデビュー仕立ての時、1度練習しており、その際の那須川の感想は、やはり、「(堀口選手の)距離が異常に遠く感じた」んだそう。当然、この時の記憶は那須川に残っており、堀口の距離の遠さを意識した練習や対策も積んだという。

 堀口にとってみれば、空手が何よりものベースとはいえ、プロとしては初の立ち技参戦となり、ここだけ見れば、やはり本職に那須川と比べて不利には映ろう。だが、その堀口があえて立ち技に挑む理由も、師匠・KIDにあった。

「(KIDさんが)あこがれだったので、日本を盛り上げる選手になりたいというあこがれ。(キックルールで那須川と戦うのも)それが、もちろんありました」(堀口・9月27日の公開練習より)。それはまさにあの2004年10月、魔裟斗に「2人で試合でもして、日本を盛り上げましょう」と、リング上からマイクで呼びかけ、同年大晦日に伝説の名勝負を実現させたKIDの思いのトレース(敷き写し)だ。

 生前、KIDから、「日本の格闘技界を盛り上げてよ。君なら出来るよ」とエールを送られていた那須川。対して、堀口とKIDの最後の会話は、約1年前。ジムで教えを請おうとすると、「恭司、いいじゃん。いいじゃん」と、褒めるばかりだったという。

「自分のやりたいように、自分のスタイルを崩さないように」という意味に受け取ったという堀口。前人気が高く、RIZIN史上最多の観客動員達成が確実とされる今大会。新たな伝説が生まれる瞬間を、楽しみにしたい。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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