2018/9/15 12:26

新日での初パートナーは意外なアノ人!天龍と長州、どっちが苦手?IWGPヘビー級王座に、2度目のチャレンジ!石井智宏特集!

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新日での初パートナーは意外なアノ人!天龍と長州、どっちが苦手?IWGPヘビー級王座に、2度目のチャレンジ!石井智宏特集!
5.0

9月15日(土)、広島でケニー・オメガに挑戦!


 本年6月に引退した、“マシン”と言えば、スーパー・ストロング・マシン。だが、新日本には、今もって、“マシン”と呼ばれる日本人選手がいる。

 それが石井智宏。実はかなりの酒豪で、夜通し飲みまくり、昼の移動中のバスの中では爆睡。会場入りとともに目覚め、読者もご存じのド迫力ファイトを展開。その姿を観て、外国人勢曰く、「彼はマシン(機械)か!?」どうやら酒を飲んでる姿、寝ている姿(※一時期、中邑真輔がSNSにアップする、定番写真だった)、そして。熱い闘いぶりの落差が激しいことから、こう呼称されるようになったようだ。

 その石井が9月15日(土)、自身2度目のIWGPヘビー級王座挑戦を果たす。相手は、これまた、“ベストバウト・マシーン”の異名を持つ、ケニー・オメガ。石井も“名勝負製造機”と呼ばれることは多く、それだけに内容に期待が持てよう。だが、少し気になる側面もある。過去、石井から、こんな強い台詞が出ているのだ。

「俺の一番嫌いな言葉は、“あれもプロレス、これもプロレス”。クソ食らえだよ!俺は絶対に認めない!」

 初出は、2013年2月の田中将斗戦後と記憶するが、その後も、インタビューの類でも口にしており、この考え方は透徹されている。実際、前後するが、自らがインディー団体の主戦場としていた2000年~2002年もこの考えを曲げず、記者との言い争いが絶えなかったとか。

 然るに、ケニー・オメガこそ、この、“なんでもありプロレス”の泰斗。路上プロレスに自販機の上からの空中殺法。パートナー、飯伏とのキスの同士討ちもあれば(2009年12月31日)、ヨシヒコとの一騎打ちも(2010年5月5日)。DDTから新日本に移っても、少なくともリングでの縦横無尽さは変わらない。水と油とまで行かないが、石井とは根本的にプロレスの考え方も違うと思われる。

 今回はこの、石井智宏のプロレス観に、その成り立ちから迫ってみたい。

『鶴田&天龍vs長州&谷津』を観て、プロレスの虜に。


 公式の記録では、1996年11月に、天龍源一郎率いる団体『WAR』でプロデビューとされている石井だが、実はこの前の1994年に入門していたプロレス団体があった。それもWAR。そう、新弟子の段階で、一度辞めさせられているのだ。理由は、当時、栗栖正伸の主宰する『栗栖ジム』からの新弟子、田村忍が入って来たため。当時、同団体にジュニア戦士は1人しか要らなかったため、スポーツ歴が野球しかなかった石井は切られたのだった。

 だが、石井自体に咎はないため、WARの北原光騎や平井伸和が石井を励まし、ようやく2年後に再入門となったのだった。「真壁が雑草?ちゃんちゃらおかしいわ」という石井の発言も、この労苦だけで頷けなくもない。

 念願のプロデビューは、1996年11月2日(vs超電戦士バトレンジャーZ)。初期は、水色にピンクのストライブの入ったロングタイツで躍動。美しいジャーマンスープレックスを見せる選手だった(本人が言うには、デビュー3戦目あたりから使い始めたとか)。初勝利は翌年の4月9日。なんと相手は多留嘉一。そう、現TARUであった。実はこの日、癌を罹患していた石井の母が死去。だが、石井はその夜の試合を欠場せず。当時、一介の若手に過ぎなかったとはいえ、プロレスに懸ける思いは、凄まじい重みがあったと言えよう。

 なんとこの半年後の10月12日には、安良岡裕二とのタッグで、WARのジュニアタッグ王座を奪取(IJタッグ王座。vs青柳政司&三浦博文)。デビュー1年に満たぬ戴冠だけに、本人も後年、「少し驚いた」と述懐しているが、嬉しくてベルトを肌身離さず持ち歩いていたというから微笑ましい。

棚橋、真壁、柴田らと一緒に練習した新日本道場時代


 その後、WARは1998年2月に団体の機能を停止。その後、天龍の付け人をやっていた石井は、1999年11月を持ってフリーとなり、みちのくプロレスのディック東郷が率いるユニット、FECの一員に。構成員に外道、カレーマン(クリストファー・ダニエルズ)を擁していたため、本人的にも勉強になることは多かったようだが、それ以上に密な時間となったのが、WARの団体停止からフリーまで。この時期、新日本に参戦した天龍がブラックキャットに口を利き、石井は試合前の、新日本の練習に参加させて貰えることに。それどころか、果ては新日本の道場での練習にも参加。当時の道場長は飯塚高史で、石井は主に、ケンドー・カシンとスパーをしていたというから驚き(カシンの方から石井を誘うことが多かったとか)。よって、かなり腕を上げた上での、みちのくプロレスや、その他インディ団体への参戦であり、冒頭の記者との考えの軋轢も、むべなるかなだったかも知れない。しかも、基底が天龍の、「どんな技でも受け、こちらも同様に返す」スタイル。なにせ天龍の教えは、「ハイキックが来るとわかっていても、避けるな」。身体的なリスクも大きいため、あるインディ関係者には、こう言われたという。「石井くん、そういうスタイルは、インディでは要らないんだよ」しかし、そもそも天龍のファイトが好きでこの世界に入って来た石井も、そこは譲る気はなかった。

 ところが、そこまでの石井のプロレスを、全否定する男が現れたのである。長州力であった。

03年には天龍と、07年には長州と一騎打ちも。(いずれも惜敗)


 長州と石井の出会いはよく語られる。新団体WJの旗揚げに向けてのサイパン合宿の練習パートナーを探していた長州に、『週刊ゴング』記者が推薦したのだった。もちろん、鶴田&天龍vs長州&谷津に憧れてプロレスラーを目指した石井に、異存があろうはずがない。ところが、石井は、長州との最初の会話で、出鼻をくじかれる。「お前、今、プロレス、楽しいか?」「はい。楽しいですね」「楽しい?そんなに甘い世界じゃねえよ!」さらに驚いたのが、石井を、新団体WJに出場させるか否か、長州が石井の過去の試合ビデオを観始めた時だ。なんと、5秒で長州がそのビデオを停止させてしまったではないか!曰く、「全然ダメだ!」

 とはいえ、5秒で何がわかるというのか?長州は言った。

「あのさあ、何で敵に真っ直ぐ向かって行かないんだよ。プロレスは闘いだろ!」

 ビデオは、ゴングと同時に、リングをさりげなく半周する石井を捉えていた。

 先述の石井の言葉、「俺の一番嫌いな言葉は、“あれもプロレス、これもプロレス”。クソ食らえだよ!俺は絶対に認めない!」は、こう続く。「そこに闘いがなきゃ、プロレスじゃないんだよ!」

 その後、天龍の、相手の技から逃げぬ受けと、長州の闘志むき出しの攻めの両方を取り入れた石井。WJ時代は、この両人の付け人をしており、2人の一騎打ちの時は、試合後、互いの控え室を忙しく行き来していたのが懐かしい。因みに石井自身が言うには、「長州さんはWJの時、毎日、一緒に飯食べてたけど、天龍さんは、そういうのなかったから」と、どちらかというと、天龍を苦手にしている模様だ。

 その後、長州のパートナーとして新日本に上がることが増え、ついに2006年1月29日より、新日本にレギュラー参戦。その際のパートナーは、なんと棚橋だった(vs真壁&矢野)。曰く、「やられても目が死んでない。さすがは長州さんの弟子。嫌な感じはしませんでした」

 既に今シリーズ、熱い闘いを繰り広げているケニーと石井だが、特にケニーは、持ち前の自在なファイトのみならず、得意の膝蹴りに磨きをかけており、これはまさに石井の好むプロレスに自らをアジャストして行く意気込みととれる。石井自身も、「どっちが壊れるか、どっちが最後までリングに立ってるか」と、ケニーの持つ多彩な技から、逃げない覚悟だ(9月13日・大阪)。

 3年前、ある媒体で、新日本プロレスの選手たちに、アンケートをおこなった。その中の項目、「今まで受けた、一番効いた技は?」に対する、石井の答えは以下だった。

『どんな技でも効く。一番ふざけた質問だ』

 プロレスの醍醐味を体現する石井を、目に焼き付けたい。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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