2018/8/26 12:32

好きな試合も同一!高山はデビュー時からの鈴木みのるマニア!?『TAKAYAMANIA』迫る!高山&鈴木みのるの軌跡!

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好きな試合も同一!高山はデビュー時からの鈴木みのるマニア!?『TAKAYAMANIA』迫る!高山&鈴木みのるの軌跡!
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8月31日、後楽園ホールで『TAKAYAMANIA』開催!


 一人の人間の声が、世の中を動かすことがある。2006年の大晦日に行われた『秋山成勲vs桜庭和志』で、秋山がTKO勝利。だが、その10日後、東京スポーツ(※以下東スポ)1面に、こんな見出しが躍った。『疑惑追及!』。記事には、『あれは一見、桜庭がボコボコにされて負けたように見えるが違う」という内部選手の具体的な声が。世にいう、“ヌルヌル事件”である。

 秋山選手が試合直前、保湿クリームを体に塗り、それによる滑りを、記事では極めて問題視。結果、この記事による世論の高まりもあり、秋山選手の行為はルールで禁止されているオイル等の体への塗布同様とみなされ、同選手は無期限出場停止処分。試合結果は、無効試合と変更された。

 実は、この秋山の行為については、試合中、桜庭が「何か塗ってる!」と叫んだシーンもテレビ放映されたことで、他紙も追及。当然のごとくネットも炎上したが、例えば、1月8日に同疑惑を取り沙汰した『スポーツナビ』の記事は1時間程度で削除され、同日、同様に報じた『デイリースポーツ』は、主催者側から抗議を受けている。にもかかわらず、件の東スポが発売となると、主催者側は翌日、記者会見。疑惑検証のもと、前述の裁定へと至ったのだった。記事の影響力の強さを、主催者が無視出来なかったのである。

 この東スポ1面記事の発信者であり主役こそ、高山善廣。記事では「あのタックルの切り方はおかしい」「桜庭自身の発言がある」「疑惑は徹底追及しないと」と熱い訴え。同時に、知己の媒体にも連絡を取っていた。「自分に喋らせてくれませんか?このままではサク(桜庭)がやられ損になっちゃう」(特に、『ゴング格闘技』がこの高山の言い分を全面的に支持。同様の保湿クリームで、どれだけ体が滑るかの実験もおこなった)。桜庭はUWFインターにおいて、高山の後輩であった。後日、高山は“ヌルヌル事件”について語っている。「なんとなく、うやむやのまま終わらそうという主催者側の空気を感じたんですよね。これはオカシイ、声をあげなきゃ!って」。疑惑を主張する東スポ1面の高山の写真は、もちろん、『ノーフィアー』ポーズだった。

 今月31日、頚椎損傷からの回復を目指す高山を支援する大会『TAKAYAMANIA』が行われる。この高山への支援の輪を広げた一人こそ、鈴木みのるだ。もちろんみのるだけの呼びかけではなかったが、昨年9月の高山の病状公表時より、同選手が先頭になって呼びかけたことの効果の大きさは、誰もが否定出来ないだろう。桜庭を救った高山のアピール同様、こちらも世の中に高山支援という波を起こしたのだった。

 互いを親友と呼び合う2人。今回の当欄は、『TAKAYAMANIA』開催間近ということも含め、高山善廣と鈴木みのるの歴史にスポットを当てたい。

第一次でも、二次でもないUWFに入門した高山!


 2人が実際の知遇を得たのは、2003年の6月以降。この月より鈴木は『パンクラス・ミッション』から、“古巣”新日本プロレスに復帰したわけだが、あくまで外敵であり、フリー選手扱い。当時、同じく外敵として新日本を闊歩していた高山と同じ控室に入れられることが多かったという。そこで、他選手の悪口を言っているうちに意気投合したという話もあるから、なんとも野放図なこの2人らしいが、いわば同世代。「テリー・ファンクvsアブドーラ・ザ・ブッチャーを観て、プロレスが好きになった」と鈴木が言うと、高山は答えた。「俺もだ」車の趣味も合った。互いに、カーレース・アニメ『サーキットの狼』が大好きだった。胸襟を開くのに、時間はかからなかった。

 だが、これは、実際に出会ってからの話。実は高山自身は、以前より、鈴木をライバル視していたという。それも、驚くほど昔から。西暦で言えば、1988年からだという。

(……ん?)

 昔過ぎる。鈴木が第二次UWF入りして、デビュー2年目の若手ながら注目され始めるのは1989年のことだし、その前年の1988年は、新日本プロレスでデビューしたばかりだ。それほど高山は、鈴木マニアだったということか。気になる存在だったのか。

 実はその通りなのだった。高山が最初に入門したプロレス団体は、第一次でも第二次でもない、1987年2月のUWF。つまり、その合間のUWFだった。当時の同団体(プロダクション)は、新日本プロレスと提携しており、高山はもし、順調にデビューしていれば、当然、新日本の若手を相手に戦うことになっていたのだ。ところが、1ヶ月後、肩の怪我で退団。最初のデビューは、幻と終わったのだった。

 一旦は夢を諦め、大学に戻り、それでも自宅でプロレス雑誌を読んでいると、翌年6月、新日本プロレスデビューした新人が。高山は思った。(本来なら、俺、コイツと前座でガンガンやりあって、ライバルになってたのかもな……)。そして、日々、その選手の活躍を追った。それが鈴木みのるだったのだ。

 高山は夢を諦め切れず、25歳で『UWFインターナショナル』入り。そして1992年、宿願のプロレスラー・デビュー。鈴木は『藤原組』の主力として、既にマット界に波紋すら起こせる立場になっていた。

 そんな2人が初の一騎打ちをしたのは、2003年9月21日。団体はなんと、新日本プロレス。しかも、新日本の至宝の一つにしてアントニオ猪木の代名詞である、NWFヘビー級選手権をかけての一戦であった。

相模原市立総合体育館で、初の一騎打ち!


 NWF王者、高山が鈴木を迎え撃った同一戦は異例ずくめ。新日本の選手がいるにもかかわらず、UWFスタイルを基底とした外敵2人によるタイトルマッチ。しかもメインであった。時のブッカーであり、強さを求めるマッチメイクを標榜していた上井文彦氏によるマッチメイクだったが、由々しき事態に、新日本本隊の、蝶野、永田がリングサイド1列目の席からその眼差しを送っていたのが印象的だった。

 試合は6分43秒、高山が膝蹴りでフォール勝ちも、まさに庇を貸して母屋を取られる状況に、本隊の面々が乱入。天山が高山を襲うと、なんと鈴木がそれを救出!2人の呼吸がリング上で合致した、初めての瞬間だった。

 約3週間後の、新日本プロレス・東京ドーム大会で、2人は『真・猪木軍』の10人タッグ・イリミネーションマッチで同チームとなり、勝利(高山、鈴木、藤田和之、中邑真輔、ボブ・サップvs永田、中西、天山、棚橋、坂口征二)。そして、2004年2月には、純粋な初タッグを結成し、天山、西村修組の持つIWGPタッグ王座に挑戦。事前会見では、「1分以内で終わらせる」(鈴木)、「じゃあ、自分の出番は20秒くらいでいいかな」(高山)と言いたい放題。対して「この世に時計がある限り、私は長期戦に持ち込んでプロレスの奥深さを見せてやります」とした王者・西村もさすがだったが、フタを開けてみれば、17分19秒、西村が鈴木に獲られる形で王座陥落。以降、王者、高山&鈴木組の快進撃が続いた。

 天龍&中西組、蝶野&村上和成組、さらにはNOAHの東京ドーム大会で『WILD II』(力皇&森嶋)を相手に防衛。蝶野&村上組を下した後には、リングサイドの猪木に高山がマイクで、「あんな弱い奴らがあなたの後継者でいいんですか!?」と凄み、NOAHでの防衛戦では「新日本に相手がいないから」とした鈴木。以降も健介&ライガー組を下したが、同年8月に高山が脳梗塞で倒れ、無敗のまま、ベルトは返上。実質、半年の活動期間ながら、この年のプロレス大賞ベストタッグ賞を受賞した。

 試合は、高山が鈴木に檄を飛ばす形だったとか。「殴られて帰って来たら、『何やられてんだ。殴り返してこい』って。それでタッチしたら、『あとは俺に任せろ』って出ていった」(鈴木。『週刊プレイボーイ』2017年10月9日号)。忘れられない言葉もあるという。それは、UWFスタイルが長かった鈴木が、受け身の習得に悩み、それを練習していた時だった。「なんで今さら受け身とってんの?鈴木みのるのプロレスに、受け身なんて必要ない。それでいいじゃん」(高山)以降、鈴木がその攻撃的なスタイルを貫き通し、現在もマット界の中心にいるのは、周知の通りである。

『ハッスル』では、vs川田&大谷(ハッスルあちち)も。


 以降もパートナーとして、時には対戦相手として交わった2人。鈴木の20周年興行では一騎打ちし、鈴木が勝利(2008年6月17日)。「オレとアイツにしか出せない、これがプロレスだというのを出せた。また共通の敵が現われたら、一緒にぶっつぶしに行こうぜ」(鈴木)とした。この時、高山は、「今度はオレの20周年記念の時に仕返ししようかな」としたが、いざその4年後、NOAHで『デビュー20周年記念試合』が組まれるも、高山は直前に右肩の負傷で欠場。すると、鈴木が代打に名乗りをあげたことも(2012年6月30日。鈴木&佐野&金原vs秋山&斎藤彰俊&潮崎)。一騎打ちとしては2009年5月30日、全日本プロレスで三冠王座をかけて激突。高山が勝利し、「本当に刺激になる男だね。みのるちゃんの友情をまた確認した。勝って握手できて最高だった」とコメント。鈴木も「アイツは最高の仲間だ」とした。

 前後し、『GURENTAI』で共闘したり、タッグで『ハッスル』に登場したり、メキシコ遠征にも出かけた2人だが、2015年にはGHCヘビー級王座を賭けて対戦。『鈴木軍』として王者に君臨していた鈴木に、もともとはNOAH所属だった高山が、同団体を代表して挑んだ一戦だった。流血を含む激闘となり(鈴木が勝利)、実はこれ以降、食事も会話も2人の間で途切れたという。

 再びの会話が復活したのは、今回の負傷で入院した高山を、鈴木が見舞った時。高山は鈴木の顔を見ると、こう言ったという。「『G1(CLIMAX)』、誰が優勝した?」

「あいつ、プロレスが大好きなんです」と振り返る鈴木みのる。その鈴木の音頭で、高山のためにおこなわれるプロレス興行『TAKAYAMANIA』。ぜひ期待したい。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

コメント

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  • 俺はいい時代のプロレス見れてよかった。
    少し金振り込もう。

    ID:8245351 [通報]
    (2018/9/5 16:57)
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