2018/6/24 12:23

武藤との一戦で作った伝説!ライガー絶賛のベストバウト!三沢に見せた男気!追悼・ビッグバン・ベイダー

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武藤との一戦で作った伝説!ライガー絶賛のベストバウト!三沢に見せた男気!追悼・ビッグバン・ベイダー
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享年63。肺炎で死去。


 数年前、時を置かずして、棚橋弘至、博多大吉さんにインタビューし、同じ質問をしたことがあった。「今まで観たプロレスの試合の中で、一番の名勝負は?」2人の答えは一緒だった。1996年1月4日、東京ドームでおこなわれた、猪木vsベイダー。「プロレスの全てが詰まっている」という棚橋の返答が、特に印象に残っている。

 その1人の立役者、ビッグバン・ベイダー(本名レオン・ホワイト)さんが6月18日、亡くなられた。同試合は、投げっぱなしジャーマンや超重量級のムーンサルトでベイダーが攻めに攻め立て、最後に猪木が逆転するという結末だったが、晩年(※この2年3ヶ月後に引退)の猪木を一切の遠慮なく追い込んで行ったベイダーのプロの闘争心が生んだ名勝負だとも言えるだろう。

 今回の当欄は、日本での彼の戦いを特集し、追悼したい。

甲冑からの白煙で、攻撃したことも(1988年8月8日・vsビガロ)


 その日本への初登場からして衝撃的だった。1987年12月27日、新日本プロレスの両国国技館大会に、あのビートたけし率いる『たけしプロレス軍団』(TPG)の刺客として降臨(素顔での登場)。数日前の東京スポーツ1面に、後頭部だけが映り、大々的に『これがTPGの刺客だ!』と煽られていたが、特徴的なダブルモヒカンだったため、「ホーク・ウォリアーではないか?」と思ったファンが少なからずいた。また、たけし軍団らしく、『マスクド・メロン』という命名も最初は候補に挙がっていたとか。

 試合は長州と戦った後の猪木とシングル。つまり、猪木は2試合目だったが、前の長州戦でもさしたる動きを見せてなかったにもかかわらず、ベイダー相手に何も出来ずフォール負け。タイムは2分49秒で、猪木相手に、まさに秒殺勝ちと言っていい快挙だったが、余りにも一方的だったため(今、思うと、それが実力だったとわかるのだが)、場内は白けムード。こちらの不満もあり、観客による暴動禍まで至ったのだった。

 翌年1月より新日本にレギュラー参戦するが、変化が。先ず、マスクを被った。さらに、杖を持った(これは程なくして姿を消したが)。そして、何より、あの特徴的な甲冑姿となった。ベイダー自身の合図ととともに白煙が上がるこの甲冑は、望外の大人気を呼び、ベイダーがCDラジカセのCMに起用されることに!重低音をフィーチャーした同機種(SONYのDoDeCaHORNシリーズ・CFD-DW95)にはピッタリで、ベイダー人気と知名度も上がることとなった。なお、私見では、この年の4月より、藤波辰爾による“飛龍革命”が始まったこともベイダーの強さを印象付けたと思う。ベイダーより2回りは小さい藤波が必死に向かって行く姿で、彼の怪物性も強調された感があった。

 ところで、あの甲冑からの白煙、一度、止まらなかったことあったこと、知ってました?(1990年8月16日、橋本&武藤&蝶野vsベイダー&ビガロ&ソウルテイカー。※白煙がしばらくすると尽き、自動的に終わった)マスク越しにも困惑が見えたベイダーが懐かしい。

プロレス界初の東京ドーム大会で、ドロップキック披露(1989年4月24日)


 特筆したいのは、その名勝負の多さだ。先の猪木戦はもちろん、藤波とは、ほぼ全て名勝負だった記憶が(白眉は1991年1月17日の横浜での一戦か)。互いに通じ合った2人は、この年、コンビを組み、『第1回SGタッグリーグ戦」に出場。見事優勝を遂げた後、ベイダーが藤波を肩車した姿に、果てなきリスペクトが見えた。

 長州とも死闘が事欠かない。中でもドロップキックから回転エビ固めに繋いでIWGP王座を奪取した試合には、観客も唖然(1989年8月10日)。テレビ解説、山本小鉄の「体重160kgの人間が、ドロップキックしたり回転エビ固めしたり、出来るわけがないんですよね。それをやってしまうベイダーって選手が、やっぱり凄いってことですよね」という言葉が、強く印象に残る。

 闘魂三銃士とも名勝負が続出。1990年1月25日の蝶野vsベイダーは、まだG1に優勝する前で、“地味な選手”との評価が先に立った蝶野がベイダー相手に下半身を崩して行く巧みな攻めを見せた好勝負。武藤との一戦は、第1回G1クライマックスの最終公式戦(1991年8月10日)が伝説的。丸め込みで3カウントを奪い、ベイダーに初勝利した武藤に、両国国技館の座布団が乱れ飛んだのだ。翌日の蝶野vs武藤の決勝戦での座布団乱舞が余りにも有名なため、これがオリジナルかと思われがちだが、最初に座布団を舞わせたのは、武藤とベイダーだったのだ。

 そして、ライバルとされたのが橋本。どれがベストバウトかとされると難しいが(実は2004年1月、『ハッスル』の旗揚げ戦でも一騎打ちしている)、あくまで個人的には、シングル2試合目を挙げたい。ベイダーが白煙噴射のパフォーマンスをした直後、橋本が甲冑をわざと手ではらい、倒してしまうシーンがなんとも痛快で、未だ色あせない(1989年8月8日)。激怒したベイダーが橋本にパンチを見舞うと退かずに「なんだこら!」と橋本もやり返し、気骨を見せていたのが懐かしい。天国でもぜひやり合って欲しい。

 ベイダーは2011年3月27日に、橋本の遺児・大地ともタッグマッチで対戦。試合前、「君の父親とは、お互いの身体が壊れるまで戦った。君もプロとしてデビューしたからには覚悟を持ってリング上がってこい」としていたベイダーだが、その通り、厳しい攻めを見せ、自ら大地から3カウントを奪い、完勝。「父親とは本当にいい戦いをした。先は長いし、彼ならできる」と柔らかにエールを送った。なお、この日は東北大震災が起きてまだ半月だったため、ベイダーは喪章をつけてファイト。「橋本(真也)に頼まれたのさ」と、粋な返答をしている。

 UWFインター参戦時は、神宮球場大会のメインで高田延彦と激突(1993年12月5日)。全日本プロレス参戦時には、2度目の東京ドーム大会のメインで三冠王者として三沢光晴と対戦(1999年5月2日)。どちらも惜敗したが、団体を変えるごとに、その団体では、『ストップ・ザ・ベイダー』が眼目となったのだった。

 そして、1990年2月10日・新日本プロレスの東京ドーム大会でおこなわれたスタン・ハンセン戦も忘れてはならないだろう。この2日前、ほぼ同時刻に成田空港へ降り立った2人は鉢合わせ。ハンセンの隣で「アイ・アム・(日本語で)ガイジン・No.1!」と失礼にも連呼していたベイダーだけに燃えていた。いきなりの顔面パンチの連打でハンセンをたじろがせ、目を負傷してからは、自らマスクを脱いで応戦。勝負どころのウェスタン・ラリアットで倒れなかったベイダーの姿にはどよめきが(結果は両者リングアウト)。これもあってか、同年6月の再戦では、ハンセンが開始2分で早くも場外でラリアットを爆発。超強敵と認めた何よりもの証だった。東京ドームでの試合は、セコンドで観ていたライガーに、「プロレスラーになって良かったわ。あの試合がリング下から観れたんだから」と言わしめたド迫力バウトだった。

 そういえばあの、北尾光司とも一騎打ちをしているが、意外にも(?)こちらもなかなかの好勝負に(1990年5月24日)。最後はベイダーが勝つのだが、事前のタッグマッチで、「ブレーンバスターを受ける時は足から落ちちゃダメだ。背中から受けないと。内臓に来ちゃう。北尾は自分で自分の体を傷つけてるよ」と、真剣にアドバイスしていた姿の方が、心に銘記される。その受け身の未熟さに、警鐘を鳴らしていたのだ。結局、北尾のプロレスラー生活は1年半持たず、その後は『格闘家』という肩書となったのだった。

三冠は、田上との王座決定戦で初奪取(1999年3月6日)


 その(日本での)タイトル歴も、燦然と輝いている。IWGPと三冠の2冠を最初に制したのが、誰あろうベイダーなのだ(2人目が天龍)。さらに、GHCのシングルヘビー級王座こそ獲ってないが、タッグ王座は、IWGP、世界タッグ、GHCタッグの全てを手中にしている。なお、同じ経歴を持っている選手に、高山善廣もいる。

 ところで、この難敵2人を、三沢光晴が、一夜にして1人きりで迎え撃ったことがあった。1999年9月4日、当時彼らが所属していた、全日本プロレス日本武道館大会でのことである。

 御大・ジャイアント馬場が逝去し、三沢体制となって7ヶ月目のこの大会では、新趣向が取られた。それまで武道館の定番だった三冠戦を行わず、「5大シングルマッチ」をラインナップ。更にはその試合順は、ファン投票で決める、と呼びかけたのだ。そして、結果は以下となった。

・秋山準vs大森隆男:1,425票
・川田利明vsベイダー:1,424票
・小橋健太(建太)vsザ・グラジエーター:1,176票
・三沢光晴vs高山善廣:288票
・田上明vs馳浩:216票

 三冠戦抜きながら、前売りも上々だったこの大会。だが、悲劇が襲う。大会10日前に川田に眼球障害が発覚。手術のため、長期欠場とあいなったのだ。川田の代打に名乗りを上げたのは、この新企画で全日本に新しい風を吹かせようとしていた、他ならぬ三沢だった。「(他選手を使う、)安易な方向に持っていきたくなかった」(三沢)

 どうみても無謀なシングル2連戦。初戦の高山をエルボーで料理した三沢だが、ベイダー戦は10分持たずにビッグクランチに完敗。だが、嬉しい報告も入る。『当日券が伸び、チケットは全席種、完売』。ベイダーもこう言って、三沢を称えた。

「日本のファンよ、今夜の三沢に大きな拍手を送ってやってくれ。誰しもスーパーマンにはなれないのさ。うん、俺もそうだよ」

 だが、大会後に事態は紛糾。「5大シングルは全日らしくない」「三冠戦の方が馬場さんは喜んだ」と、内部の人間が執拗に噛みついたのだ。

 翌年6月の武道館大会。全試合終了後のコメントを取ろうと記者が控え室をノックすると、答えがない。開けてみて驚く。中は既にもぬけの空になっていたのだ。

 その時いなかった選手達の名は、後日発進した新団体、ノアの中にあった。

 その中には、ベイダーの名もあった。

 プロレスラーとしての、己の美学に殉じた人生だったと思う。本当にたくさんの思い出をありがとう。今はただ、安らかに。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

コメント

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  • ベイダーは死にたい時に死ねたのかなぁ
    そうだったらいいなあ

    ID:6900541 [通報]
    (2018/6/25 15:08)
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  • プロレスを全うして終わったのならいいなと思います。少なくとも我々ファンはそう願っております。
    お疲れ様でした!ありがとうございました!

    ID:7563330 [通報]
    (2018/6/27 20:10)
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  • ベイダーさん大好きだったよ。グレートで強すぎるプロレスラーとしても、本当の横顔の子供大好きな人間性も、残念でならないけど、安らかにお眠り下さい。

    ID:6038472 [通報]
    (2018/6/28 1:12)
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