2018/5/27 10:12

長州が秋山に竹刀攻撃!? デビュー前の中西に馳惨敗!? 遂にプロ初激突!長州vs秋山!

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長州が秋山に竹刀攻撃!? デビュー前の中西に馳惨敗!? 遂にプロ初激突!長州vs秋山!
4.7

長州、ヨシタツ、関本大介vs秋山、橋本大地、黒潮“イケメン”二郎で激突!


「少ない記者さんの記者会見なんですけど、久しぶりに自分が高揚していますね」18日、都内でおこなわれた会見での発言である。(おや?)と思った、発言の主が長州力だったからである。

 喜怒哀楽で言えば、最初と最後の感情を、そうは口にしない長州。他の選手への評価も辛辣だ。今年1月、自身初のプロデュース興行に出場したDDTの伊橋剛太に、「お前はダメだ。もうプロレスやろうと思わないほうがいい。死んじゃうよ」とダメ出ししたのは記憶に新しい。この姿勢は昔から変わっておらず、1986年の立命館大学における講演会では、こんな台詞も。「プロレスデビューする輪島選手については、そう思われますか?」「手遅れだね」「同じく、ジョン・テンタ選手については?」「もっと手遅れだね」(場内爆笑)

 しかし、他でもない、そんな長州に冒頭のように言わしめた男こそ秋山準。7月10日、後楽園ホールで行う長州プロデュース興行「POWER HALL 2018-Battle of another dimension-」において、両者の初の対戦が決定したのだ。

 秋山ですら既にデビュー25年以上を数えながら、今までただの一度もプロでの接点がなかった2人。それだけに長州も会見では、「秋山が今、どういうものを背負っているのか見てみたい。今までの自分の形が秋山と向かい合った中でなくなるんじゃないか」と、口調も熱い。その高評価がうかがわれるが、この2人、専修大学レスリング部の先輩後輩で、実は秋山の大学生時代、既に邂逅を果たしていた。今回の当欄は、当時の逸話を中心に、2人の元来の素顔に迫ってみたい。

「中西先輩がテレビ観ながら『オー、イェー!』とか言い始めたから、何かと……」(秋山)


 そもそも、高校時代、最初は柔道部に所属していた秋山。それがレスリングを始めるきっかけとなったのは、ある時、「助っ人として試合に出てくれないか?」とレスリング部に頼まれたから。同部に重量級の選手が足りず、団体戦が組めない状態にあったという。1、2週間、レスリングの練習をして臨んだが、その大会(関西地区のジュニア大会)で、秋山はあれよあれよという間に決勝に進出。ところが、その決勝で敗れ、猛烈な悔しさを経験する。気づけば完全にレスリングに没頭。当時の専修大学レスリング部監督の松浪健四郎(元衆議院議員)からも見初められ、スカウトで専修大学に進むことに。

 ところが、同じくスカウトされた同じ高校の選手が秋山より優秀だったことで、専修大学のレスリング部の先輩からは、こう言われる。

「お前は、オマケなんだろ?」

 関西大会の決勝で一敗地にまみれた時のように、秋山の負けん気に火が点いた。そこでパワーとなったのが中西学だ。同大レスリング部で、3年先輩だった中西。秋山と合宿所の同部屋に入った際、洋モノの大人向けビデオを観ていたというか、「一緒に観ないか?」と誘ったエピソードが知られ(あくまで1年生、秋山の緊張をほぐすため……)、2人の関係というと先ずこの話が出てしまうのだが、実際のところは、スパーリングパートナーの仲。

 当時、既に“野人”の馬力を有していた中西。彼が4年の時、同大レスリング部OBの馳浩がスカウティング活動兼、練習のために訪問し、そのスパー相手も務めると、馳は靭帯を損傷。中西のタックルにふんばり切れなかったのだった。

 その相手を務めることで、秋山も実力がメキメキ上達。「オマケだ」と揶揄した先輩は入学後半年で倒してしまった。1年生時に全日本選手権で3位に輝くなど、頭角をいかんなく現し、遂にレスリング部の主将に。そんな大学4年のある日、顧問の先生に、こう言われる。

「今日、俺、練習行かないから、お前が上手くやっておいて」

 OBの長州力が、専修大学レスリング部にやって来るのだった。

だらしない先輩は一喝することもあった、レスリング部時代の長州


 逃げ出した(?)顧問は大学時代、長州の直属の後輩で、その恐怖を知っていたからの措置。実を言って、秋山が1年生時からよく来訪していた長州。顧問が逃げ出したエピソードではないが、怖さは(表現が正しいかどうかはわからないが)流石だった。

 竹刀片手に熱血指導。秋山とは18歳差になる長州だが、彼が大学3年時に主将になると、道場から、長い棒状のものが次々となくなったという。竹のホウキ、モップetc。要するに、それで後輩を叩いてしまうので、柄が折れ、使い物にならなくなってしまったのだ。しばらくすると道場には、どこかで拾ってきた木の枝が並んでいた……。

 自分に厳しいことでも知られ、先輩が自分だけを殴らないと、「なぜ、私だけ、殴ってくれないのですか!?」と詰め寄り(それは優秀だから殴らないだけなのだが)、殴打させたことも。なお、当時の長州の体は既に鋼のようだったため、手で殴ると、相手が拳を痛めてしまうことも。やむなく、靴で殴ることも多かったとか。

 そんな“長州先輩”を、大学で間近に観て来た秋山。一度、こんなことがあった。長州が野上彰(現AKIRA)を連れてきてスパーさせたのだが、野上がやや押され気味。野上は以前、講演会で船木誠勝に「スパーの弱い人」として挙げられた過去もあり、展開は不利と見られた。すると、長州が激怒。「ちゃんとやれ!」。野上でなく、相手の方を怒ったのだった。野上に対して、遠慮してるのがわかったのだ。野上に対して、胸を貸しているようなファイトをすること自体を許さなかったのだった。逆に言えば、それはプロレスラーに対する矜持でもなかったか。

 なお、秋山自身は、長州に竹刀を食らったことは、2、3度。それも、小突かれる程度だったという。

「今年卒業するレスリング界の素材の中で、最も良いと判断しました」(ジャイアント馬場・1992年2月3日)


 秋山は大学4年時、ある企業の内定をもらう。だが、ジャイアント馬場のスカウトで、結局1992年、全日本プロレスに入団することに。新日本のスカウティング活動もしていた馳浩は、この時、長州にこう言われたという。

「馳!なんで秋山、獲らなかったんだ!?」

「すいません。内定をもらって、就職すると聞いてました」

「……なら仕方ないな……。逆にそれを翻意させても、馬場さんも秋山が欲しかったんだな……」

 長州の表情は、悔しそうだったという。

 それから26年。遂にプロでの初遭遇を果たす両者。ほとばしる気持ちは、長州の方が大きいのではないか?その思いを、楽しみにしたい。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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