2018/4/8 12:41

プロレス好きにさせた選手とその技とは!? 戴冠直後の失踪の真実!レッスルマニアで王座に挑戦!アスカ特集!

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プロレス好きにさせた選手とその技とは!? 戴冠直後の失踪の真実!レッスルマニアで王座に挑戦!アスカ特集!
5.0

スマックダウン女子王者、シャーロット・フレアーに挑戦!


 会見でも試合後でもそうだが、選手が実際コメントしたのに、媒体によってはそれが載らない場合がある。例えば、2011年、猪木が、武藤の全日本プロレス社長辞任を受けて、こう発言したことがあった。「武藤も良かったんじゃないか、借金背負わずに済んで」筆者は割と普通にこれを報じたのだが、他の媒体にはなぜか載ってなかった(後から聞くと、某スポーツ紙の記者が載せないと言い出し、他も右にならえしたようである。※筆者はその時既に帰っていた)。これはマスコミサイドの事情によるものだが、他のケースも。

 同じ年、藤原、FUNAKIと、藤原の教えを請うた、ある女子レスラーがトリオを組んだ試合後のこと(6月13日)。3ショットを下から見上げるように撮ろうとした筆者に藤原が言った。「おい、大丈夫か?オッパイが大き過ぎて顔が見えないんじゃないか?」……このやりとりも、特に専門誌や新聞の類には載らなかった。まあ、こちらは何となく予期していたことだったが(苦笑)。

 さて、そういじられた女子レスラーこそ、SMASH(当時)の華名である。「何言うてはるんですか!」と得意の関西弁であの藤原を叱咤し、「恐ぇ!」と藤原が呟いていたのが懐かしい。

 その華名ことアスカが、いよいよ4月8日(日本時間4月9日)、WWE・レッスルマニア34に出場する。以前、「レッスルマニアに上がった日本人」や、中邑やAJスタイルズについても特集した当欄、今回はこのアスカについて、前リングネームの華名時代とともに、紐解いてみたい。

「『アスカ』とは、明日、未来のこと」(華名≪アスカ))


「人気女子レスラー華名 無期限で活動休止」そんな見出しが東京スポーツに踊ったのは、2015年7月上旬のことだった。曰く、同年9月15日の自主興行「カナプロマニア:パルス」を最後に、他団体参戦も含めた試合出場をすべて白紙にするという。「(9月16日以降に参戦予定だった大会および大会関係者の皆さん、ファンの皆さまには深くおわびします。(理由については)すみません。今はまだ話せません…」(華名)

 当時はさまざまな憶測を呼んだが、フタを開けてみれば、WWE入りを見越してのこと。9月8日にWWEが都内で会見を開き、新人育成プログラム「NXT」の一員として華名の獲得を発表。“獲得”としたのは他でもない。華名はあまたの日本人レスラーがそうして来たように、WWEのトライアウトを受けたわけではない。あくまでWWE側からスカウトされたのだった。

 接点を持ったのは2015年6月のこと。突然、WWE側から電話がかかってきたとか。華名自身が振り返るには、「一緒に仕事をしませんか?」という誘い方だったという。そして、入団の際のトリプルHの発言も、今ではよく振り返られている。「彼女のリング上のエキサイティングなファイトスタイルは、NXTの女子部門に大きなインパクトを与えることでしょう」なぜなら、この言葉通りの革命を華名(アスカ)が起こしたためである。

 蹴りと関節技を主体にしたファイトスタイル。2015年10月のNXTデビューから、2017年10月のWWE・RAWへの昇格を経て現在まで、無敗。240連勝以上しており、中には5秒でのギブアップ勝ちも(2017年11月27日・vsデイナ・ブルック)。その試合の密度の濃さやレベルの高さから、次第に、同団体の女子レスラーにも男子と同じ、“スーパースター”という呼称が使用されるようになってきた。ご存じのように、それまでは、“ディーバ”(女神)という呼称が一般的だった。すなわちこれは、男子プロレスラーに女子のそれが肉薄していることも意味する。

 リング上では、関西弁も披露。「なめんじゃねーぞ!」(2017年11月13日)、「(NXT王座防衛)記録更新中やで!」(2017年8月20日)等々。これらがそのままテレビで流され、評判も上々だそう。

 かように自分を押し通すところは日本での華名時代と変わってないわけだが、こと日本では、それが物議をかもしたことがあった。関係者が彼女に曰く、「本当は性格がいいのに、なんでそんなに嫌われるようなことをするの?」

 そう、2010年8月に「週刊プロレス」誌上で発表した、「華名のマニフェスト」である。

2004年6月、女子団体AtoZでデビューも……


 内容は、当時の女子レスラーの認知度の低さ、プロ意識の欠如、表現力の希薄さなどを徹底批判したもの。当然のことながら反論が相次いだが、華名は、「文句があるなら、それ以上のものをリング上で見せろ」というスタンスで意に介さず。自然、一部の怒りの火に油を注ぐことにもなったが、やはり華名は、どこ吹く風といった体だった。2011年9月には、初代SMASHディーバ王者に。SMASHの出だしの女子部門のエースは朱里だったが、こちらをトーナメント準決勝で下し、どこか「言ったもん勝ち」の強硬さも感じた。それは、例えが古くて恐縮だが、優等生の藤波に反旗を翻した長州力を彷彿とさせるものだった。そのアジテーションの強さに、「やりたい放題」の印象を受けたのである。

 高校生時代、お笑い芸人のファンで、出待ちもしていた華名。同業種にはプロレスファンが多いのは今も昔も変わらないが、その影響で武藤敬司の試合をテレビ観戦した華名はある技に衝撃を受ける。「『ええっ!? 何これ!? マジですか!?』と」(華名)それは、コーナーからの雪崩式フランケンシュタイナーだった。以降、武藤は、プロレス入りしてからも華名のプロレスのカッコ良さの象徴であり続けた。だが、それは同時に弊害も生む。華名は女子プロレスへの憧れなきまま、その業界に入ったのである。

 イジメもあった。「関西弁で喋るな!」という命令も。試合センスはあったため、専門誌に頻出したことも、やっかみの対象になり、2006年3月に一旦引退。一時はゲーム雑誌で働くが、その経験が華名を新たな方向に向かわせる。「私にしか出来ないプロレスをクリエート出来るのではないかと」(華名)新たな価値観の創造。それはまさに、ゲーム業界の発想だった。

 2007年にフリーとして復帰し、男子の団体からもオファーが。そこで出会った石川雄規から藤原喜明をも紹介され、技術の研鑽を積む。華名の中での男子と女子のプロレスへの差異への疑念が、更に大きくなって行った。曰く、「女子プロレスの練習というのが、プロレスリングという名前なのに、『レスリング』がないんです。(中略)ちゃんとレスリングを学べば、もっと見応えのある攻防ができるのに…」(『週刊プロレス』2010年9月22日号)

「日本に帰ると、お寿司と銭湯が楽しみ」(アスカ)


 華名が初代SMASHディーバ王者に輝いた日の試合後、追って取材しようと思った。ところが、スタッフに聞いても、「どこにいるかわからない」という。通りのいい気持ちがしなかったのは確かだった。女子の初代王者なら、女子部門の顔である。それが試合が終了したとは言え、現場をすぐ離れてもいいものだろうか。(帰っちゃったのかな……)と思い、後楽園ホールを1階まで降りた。人だかりが出来ていた。華名がリングコスチュームのまま、ベルトを肩にかけ、帰路につくファンとの即席かつ無料の握手会、及び記念撮影に応じていた。ファンを1階で待っていたのだ。「応援、ありがとうございます」「ベルトが獲れました」「またぜひ会場に来て下さい」と(大袈裟でなく)平身低頭に頭を下げる華名。普段、会見やマイクで聞く関西弁でない、標準語のイントネーションが、強烈なコントラストとなって印象に残っている。

 いよいよ頂点に手をかけた華名(アスカ)。今まで3回、日本への凱旋を果たしているが、その都度、こんな言葉を残す。「新たにこちら(WWE)に来たい女子選手がいれば、出来るだけ道を作ってあげたい。それが今の私の役目」

 雌伏の時を超え、日本と世界の女子プロレスを繋ぐパイオニアとなった彼女が最高の栄冠に輝く日を、期待して待とうではないか。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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