2018/1/22 10:19

もしかしたらのプロレス史「ぼくせん 幕末相撲異聞」 【多重ロマンチック的ぼくらのプロレス】

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もしかしたらのプロレス史「ぼくせん 幕末相撲異聞」 【多重ロマンチック的ぼくらのプロレス】
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時は幕末、文久3年(1863年)。明治という時代が足音を立てて近づき幕末志士が活躍する時代。現代でいう大相撲は勧進相撲と呼ばれ、江戸相撲と大阪相撲に分かれ、本所回向院で行われていた。薩摩島津家のお抱え、三峰山(みつみねやま)岩蔵と、松江松平家お抱えの陣幕久五郎の一番、この相撲で岩蔵は、禁じ手の髷つかみをしてしまい、反則負けとなってしまう。

進退問われた岩蔵は、行司を辞めてきたという式守庄吉に誘われる。『これまで相撲は独自の美を追い求めてきました。ですが、世は乱れに乱れています。そろそろ相撲も、独自の美という殻を打ち破っていいころではないでしょうか』(46頁)。

ウウン、なんだか現在取りざたされる相撲周辺事象も重なるこの流れ。

小説『ぼくせん 幕末相撲異聞』は幕末の大相撲を描いた一大フィクション絵巻。庄吉は『本来の相撲を取りもどす』ために口八丁。相撲節絵(すまひのいちえ)での野見宿禰(のみのすくね)と当麻蹶速(たいまのけはや)の取り組み(蹴りあった末に腰の骨を砕いて殺し、宿禰の勝利)を持ち出し、古来相撲には蹴りも殴り技もあったと、オランダにある“観客に魅せるための格闘技”「ぼくせん」を立ち上げるのです。そうだ、相撲の基本に立ち返れば、かちあげもエルボースマッシュもアリなのだ。登場人物は以下の通り。

■三峰山岩蔵 - 武州の生まれの力士。思い悩んだ末に「ぼくせん」に転向。投げ技は天下一品だが、力士時代の癖が抜けきらず思わぬことになる。
■式守庄吉 - 元・山響部屋付きの行事。逃げ道を立って、「ぼくせん」を立ち上げる。戦略的に設定付けや“出来山相撲”を行うことで興行を盛り上げるシナリオ作りに長ける。
■春乃海磯助 - 上方相撲の看板力士。巨漢。看板力士とは見栄えするというだけの理由で肩書を与えられた力士。強くなるために江戸にやってきた。さっぱり芽が出なかったが、殴る蹴るの才能はある。

いわゆる土俵は使えないため、干し草を敷き詰め茣蓙(ござ)を被せた特製の土俵を作る。歌舞伎などに倣い前口上を付けよう。土俵入りの時演奏を付けよう。当初は力士2人と行事1人、観客から対戦を募っても1日2,3試合しか組めなかったが、評判がかかるとともに、江戸っ子で火消しの「弘彦」。草相撲の大関「栄太郎」。妖艶だが腕っ節の強い女「お滝」。さらに磯助の彼女「さくら」も一座に加わり、庄吉は取組みの組み合わせによって次々物語を作っていく。

アレだ。もうアレだ! ラストなんか155年後でも通用する立派なアレだ! 作者は『慶応三年の水練侍』で朝日時代小説大賞を受けた木村忠啓さん。「ぼくせん」はフィクションではあるのだが、作者の綿密な時代考証に基づき、巧みにノンフィクションが織り交ぜてある。背景となった時代は、ペリー提督が黒船で来航(1853)し、「相撲VSレスリング」や「相撲VSボクシング」という異種格闘技戦が実際に行われ、1875年にはヤマダサーカス・スモウレスリングショーのため、元力士が多数ロシアにわたり、1880年代には日本初のプロレスラー、プロボクサーとされるソラキチ・マツダや浜田庄吉が日本を離れた激動の時代。

当時の正史の外側はあまり記録に残っていないから、傍らでこんな歴史があったとしてもおかしくはない。こんな妄想を広げるのは全然アリだ。

「ぼくせん 幕末相撲異聞」 木村 忠啓(2017年11月7日、朝日新聞出版)

この記事を書いたライター: 漁師JJ

コメント

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  • 大砂嵐がプロレスに出てきたらエドモンド本田よりインパクトあるかも?

    ID:6290688 [通報]
    (2018/1/22 20:13)
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