2018/1/6 11:21

初の「ダー!」は猪木の説明付き!無口な川田は言葉より行動で!東京ドーム・締めのマイク特集!

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初の「ダー!」は猪木の説明付き!無口な川田は言葉より行動で!東京ドーム・締めのマイク特集!
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「特にありません」の決めフレーズは、今は昔。


 今年も大きな盛り上がりを見せた新日本プロレス“1・4”東京ドーム大会。だが、ガッカリした観客も少なからずいたかも知れない。それは、「東京ドームでの『トランキーロ』の大合唱、すごく楽しみにしていますよ」と自身で予告していた内藤が敗れ、その大合唱がならなかったこと。しかし、そんな空気をある意味一掃したのが、内藤に勝利したオカダ・カズチカだ。「内藤さーーん。東京ドームの、メインイベントどうだった?最高に気持ちいいだろう。勝つとな、もっと気持ち良いぞ!東京ドームのメインエベントでまたやろうぜ!」とマイクで切り出すと、「(客席に)空いてるところまだまだある、レインメイカーに任せなさい!(中略)俺は、俺のプロレスで、全~員満足させてハッピーに!してやります(中略)2018年、感動の雨、驚きの雨、幸せの雨、色んな雨を降らせていきたいと思います」……相手を遠回しに讃える懐の深さや新味はもちろん、軽妙さすら感じさせるマイクで、観客を大いに沸かせたのだ。また一歩、スーパースターへの階段を登ったという実感があった。

 今回の当欄は、この東京ドーム大会の成功を祝し、「東京ドーム大会における、締めのマイク」にスポットを当てたい。

「道」の詩は、「猪木酒場」のコースターのデザインにも(持ち帰り可)。


 先ずは何と言っても、アントニオ猪木だろう。引退試合(1998年4月4日)最後の挨拶での「道」の誌の朗読は伝説化している。「迷わず行けよ。行けばわかるさ」の締めでお馴染みの同詩だが、当時はナインティナインやロンドンブーツなど、(猪木物真似芸人以外の)お笑い芸人がこぞって真似していたものである。因みに、この詩の朗読を最後に、猪木はリングを背にし、花道を帰るのだが、姿を消す寸前で振り返り、「1、2、3、ダー」を披露。現役最後の「ダー」の見せ方も、猪木らしく意表をついたものだった。余談だが、2009年1月4日、武藤に勝利した棚橋も、同じように姿を消す寸前で、「待ってくれ!1個忘れてた!帰るのはまだ早いぞ!(中略)東京ドームの皆さん、愛してま~す!」と、同じく決め台詞。こちらは棚橋らしい茶目っ気たっぷりだった。

 しかし、これより凄かった東京ドーム大会の猪木の締めは、やはり1990年2月10日のそれ。この日、坂口征二と組んで橋本&蝶野組に勝利した猪木はマイクで、「私の勝った時にしかやらないポーズ、一発、気持ちいいのをやらせて下さい。1、2の3で、ダーです(場内笑)」。そう、記念すべき「1、2、3、ダー」の初披露をしたのだった(初めてなので、猪木自身がやり方を説明しているのがポイント)。もちろん初披露は成功に終わり、これ以上ない大団円となったが、実はこのマイクの寸前に、当時、国会議員でもあった猪木が、「私の夢である、スポーツを通じての世界平和、必ず実現させます!」と絶叫。橋本、蝶野の攻めで、目に青タンを作りながらのこの叫びが極めて感動的であったことも、「ダー」の印象を増した要因だったろう。

意外と盛り上がらなかった?高田戦後の武藤の絶叫。


 次に挙げたいのは、1995年10月9日の武藤敬司。ご存じ、UWFインターとの全面対抗戦のメインで高田延彦を下した武藤は、試合後のコメントルームでは「いやあ、新日本プロレス、凄い会社です。この組織の一員であることを、誇りに思いますね」と殊勝。しかし、リング上では、「俺がIWGPチャンピオンの武藤だ!」と絶叫。武藤の物真似をする神奈月さんが、「(物真似芸人が絡むタッグマッチ)F-1選手権で負けたら、『何でお前、俺の物真似してるのに負けちゃったんだよ』と武藤さんに怒られまして。どんだけ自分が好きなんだよと……」と仰っていたことがあるのだが、このマイクも、そんな武藤らしさがよく出てる?! ところで、武藤さんには何度かインタビューし、当然、この時の高田戦の話も何度も聞いているのだが、その時、必ず言うのが、「何よりもさぁ、当時、IWGPチャンピオンのまま、G1を制したのって、俺が初めてだったのよ。高田戦は、俺的にはそんな年の総仕上げって感じだったよな」なる内容のコメント。筆者からすると、何より対抗戦のメインで勝ったことに意味があると思いたかったのだが、改めて、選手自身と観る方の思いには、違いがあるものだと勉強になったものである。武藤の叫びも、まさにそんな気持ちを反映していよう。なお、マイクではないが。同じく東京ドームのメインでドン・フライを名勝負の末、下した際の、「アイム・プロフェッショナル・レスラー」なる試合後コメントもカッコ良く忘れ難い。

 1996年4月29日、同じく高田延彦を下した際の橋本のマイクも挙げておこう。「高田延彦、凄く強いです!何度でもやりたい!」新日本プロレスの若手時代、高田に可愛がられていた過去があっての言葉だったか。中学時代、柔道をたしなみ、高校時代は不良たちとの喧嘩に明け暮れた橋本だったが、そんな時、柔道の技は絶対使わなかったという。その橋本が、高田を下した技は、まさに柔道技の三角絞め。この一戦に賭けた思いも透けて見えよう。

 また、2000年10月の東京ドーム大会で佐々木健介を下した川田利明(当時・全日本プロレス)が、試合後、向かった先はジャイアント馬場のマンション。そこで遺影に勝利を報告したことは、試合後のマイクがなくとも付記しておきたい。

当時、全日本の総帥だった武藤に、背水の陣で挑んだ棚橋。


 そして、今世紀に入っては、やはり、中邑と棚橋のマイクだろう。

「今日からが新しい新日本プロレスのスタートです。これからも新日本プロレスはファンに夢と希望を与え、ますます強くなって行きます!」(中邑・2003年1月4日・高山善廣戦に勝利後)

「進化しなければ未来はない。ファンありき、ファン不在ではない、夢と希望を与える新日本プロレスでありたいと思います」(中邑・2005年1月4日・棚橋戦に勝利後)

「自分を信じて、プロレスを信じて本当に良かったです。プロレスには夢と希望がいっぱい詰まっていると思います。(中略)いちばんスゲェのは、プロレスなんだよ!」(中邑・2008年1月4日・棚橋戦に勝利後)

「俺が新日本プロレスを愛しているという気持ちです。リング上はもっと孤独な場所だと思っていましたけど、今日は皆さんの声援が心に染みました。(中略)こんなにもたくさんの人に集まって頂いて感謝しています。ずっとプロレスを支えて下さい」(棚橋・2009年1月4日・武藤敬司戦に勝利後)

 暗黒時代とも言われる00年代を支え続けた2人の新日本愛と、熱い思いが見て取れる。

 そして、2010年代の東京ドーム大会の締めと言えば、やはり棚橋の、以下の2つのマイクか。

「IWGPは、遠いぞ」(オカダに対し。2012年1月4日)

「オカダは、『時代というものは、変えて行くものだ』と言ったけど、俺は、『時代は、動かして行くもの』だと思っています。ファンの皆さん、棚橋時代に、もう少しお付き合い下さい」(2013年1月4日・オカダ戦に勝利後)

 先輩たちの後を受け継いだオカダがどのように時代を動かして行くか、期待したい。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

コメント

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  • 強すぎてブーイングが起こるくらい大成しちゃったな

    外道が喋れないオカダの代わりにマイクパフォーマンスしてたのも懐かしく思う

    ID:6202697 [通報]
    (2018/1/13 22:00)
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