2017/11/26 12:14

飯伏とHARASHIMAに幻の連係技が!? メジャーに挑むインディー出身の息子を心配した父!復活!そして、最後の開催!「ディファカップ」特集!

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飯伏とHARASHIMAに幻の連係技が!? メジャーに挑むインディー出身の息子を心配した父!復活!そして、最後の開催!「ディファカップ」特集!
4.7

老朽化と賃貸契約の満了により、ディファが閉鎖。


 11月28日(火)、伝説の大会が復活する。ディファ有明にて、まさにその会場名を冠した「ディファカップ・メモリアル 2017」が行われるのだ。「ディファカップ」と言えば、読者もご記憶にあろう。2003年、2005年、2007年と過去3回行われて来た、多団体参加によるジュニア・タッグトーナメント大会である。いわば、ジュニアタッグのオールスター戦で、当然のことながら、夢の顔合わせも多数実現。NOAHvsハッスル(丸藤&KENTAvsカズ・ハヤシ&レオナルド・スパンキー ※第2回)、DDTvsビッグマウスラウド(HARASHIMA&飯伏vs臼田勝美&原学 ※第3回)などなど、ファンの想像を超える顔合わせが、その胸を熱くさせてきた。

 今回が10年ぶり、4回目の開催となるわけだが、実は同時に、これが最後の同大会であることも決定している。来年6月にディファ有明が閉鎖の運びとなるためだ。

 今回の当欄は、過去3回の「ディファカップ」を回顧。知られざるドラマにスポットを当てたい。

河童小僧は、今大会でも、「メモリアルタッグマッチ」に参戦。


 記念すべき第1回(2003年2月8日&9日)は、大会こそ「NOAH中継」で地上波放映されたが、実は参加5団体の共催。NOAH、闘龍門、ZERO-ONE、IWA、WEWが、何から何まで5等分することで実現をみた。経費や収益の分割は勿論、大会運営の役割分担に至るまで。よって、会場自体が、一種の緊張感にはらまれていたのが忘れ難い。団体別に分かれたグッズ売り場も、「絶対に他団体には負けたくない」という意気込みと活気に満ちていた。(主催ではないが、DDTとフリー勢も参加)

 だが、共催という形を取ったためか、広報活動の足並みがそろわず、ジュニアのオールスター戦であるにもかかわらず、直前まで盛り上がらず。これに異を唱えたのが、参加選手かつ、ジュニアの重鎮、ウルティモ・ドラゴンだった。自団体の闘龍門のリング上やコメントルームで、「これでいいのか」「夢のある企画だろう?」「トップどころが出て来るかと思ったら、集まったのはくだらないメンバーだよね」「高岩が俺を、『昔の選手だ』と言ってる?俺の腕をへし折ってから言ってくれよ」etc。今考えれば、それは、他団体が大会発信に躍起がない上の、ドラゴンなりの決死の盛り上げ策だった。大会は、高岩竜一、佐々木義人(ZERO-ONE)を下し、ウルティモ・ドラゴン&YOSSINO(闘龍門)が優勝。試合後のマイクで、「くだらないメンバーと言ったのをお詫びします」と、深々と頭を下げたドラゴンだった。

 IWAから参加の河童小僧も、会場を大いに沸かせ、頭の上にある皿に、KENTAが踵落としを見舞うシーンも。だが、大会を通じて最も光ったのは、MIKAMI&KUDOのDDT勢。まだまだ一介のインディーと見られていた時期であり、「所詮はプロレスごっこの団体」と揶揄する声もあったDDT。さらに、大会前日には、その手合わせを心配したMIKAMIの父から息子のところに、「高岩選手を余り威嚇するようなことはやめるように」と、故郷・島根からメールが届いたという。事実、準決勝ではMIKAMIが高岩に、そのシースルーのTシャツをビリビリに破かれている。それも、「チャラチャラしやがって!」の怒号とともに。

 だが、DDT勢は、得意のラダーを持ち込んでの攻防で、しかもそれを必然視させる名勝負を展開。終わってみれば高岩に、「DDT、面白かった!何回でもやりたい!」と言わしめ、3位決定戦で勝ちを譲ったKENTAには、元キックボクサーのKUDOが、「NOAHではあんなに蹴り合える選手はいないから新鮮だったし、嬉しかった」と高評されたのであった。

「えべっさん」も、権利問題で、「えべ太郎」の新リングネームで参戦!(第1回)。


 第2回大会は、2005年5月7日、8日に、NOAHとの主催で開催。決勝では、NOAHの最強チーム、丸藤&KENTAが、ZERO-ONE MAXの日高郁人&藤田ミノルと対戦。丸藤らにとってはホームと言っていいディファ有明だが(NOAHの関係者が母体会社の役員に名を連ねている)、意外にもブーイングに包まれる。これは、当時のジュニア最強チームだった丸藤&KENTAへのやっかみもあったろうが、そのブーイングを逆手に取り、花道で藤田にキャメルクラッチをしかけ、花道脇のZERO-ONE MAXファンを煽る丸藤も堂に入っていた。

 結局、丸藤&KENTAが勝利したが、怪我でリハビリ中のZERO-ONE MAX、星川尚浩への優勝賞金の寄付を申し出、沖田ZERO-ONE MAXリングアナの号泣ともに、会場は感動に包まれたのだった。

 アパッチプロレス軍として佐々木貴と参戦したGENTAROが、丸藤が得意とする、隣コーナーまでのミサイルキック(フロムコーナートゥーコーナー)を披露するも、数10㎝届かない珍場面もあったが、この大会で何より目立ったのは、DDT勢としてKUDOと参戦した飯伏。実はこの時点でデビュー1年に満たなかったが、ご想像の通り、華麗な空中殺法を連発。客席後方で観ていた各団体関係者が、飯伏が舞う度に、「おお!」「素晴らしい!」と歓声を挙げていたのが思い出される。また、この大会が始まるにあたって、全体挨拶を務めたのが中嶋勝彦(健介オフィス・パートナーは村浜武洋)。今考えるとどうということのない人選だが、実は中嶋もこの時、まだデビューして1年4か月。しかも、挨拶は先輩に無茶ぶりされた挙句語ったものだった。振り返れば、次世代のスターが活躍した第2回となったのである。

NOAHからは金丸、太田一平組が参戦(第3回)。


 優勝者が疑義を呈したのが、2007年5月5日、6日、GPWA(グローバル・レスリング連盟)主催で行われた第3回。若手中心や、急造タッグの参加が目立つ中、決勝まで勝ち残ったのは、真霜拳號&円華(K-DOJO)vs飯伏&HARASHIMA(DDT)という、両団体の最強タッグと言っていい布陣。結局、K-DOJOサイドが優勝したが、試合前、真霜はこう語った。「勝つ気のないようなチーム編成が多くて……。それだけ見下されてる僕らも悪いのだけど。ディファカップって、その程度のものじゃないと思うんですが」そして、HARASHIMAは試合後、こう述べた。「他のチームは、本当に優勝を狙ってきてたのか、問いたいですね。僕らは団体を背負ったつもりで来てました」。記者が、「試合前、真霜さんも同じようなことを言ってました」と告げると、HARASHIMAは、「彼もですか。何か……良かった」と答えた。同じ気持ちを持った選手がいたという安堵感が、そこには見てとれた。一方で、飯伏は飯伏で、「披露できなかった、HARASHIMAさんとの幻の連係技が30はあったんです。全部、夢の中で考えたものなのですが」と、その神秘性を炸裂させていたが。

 最後の開催となる第4回は、ZERO1から高岩&ショーン・ギネスの強豪チームが参戦。他、中嶋勝彦&熊野準(NOAH)、竹下幸之介&上野勇希(DDT)、葛西純&平田智也(FREEDOMS)の、計4チームによるトーナメントで覇権を競い合う。

 2000年代のプロレス界に、確かな足跡を残して来た同大会。有終の美を飾る好勝負と、後世に輝く新鋭の出現を、願ってやまない。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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