2017/11/11 11:47

邪道との怪しい仲?! マスクマン転向が一瞬で失敗した理由!新日本登場!「日本における、クリス・ジェリコ」特集

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邪道との怪しい仲?! マスクマン転向が一瞬で失敗した理由!新日本登場!「日本における、クリス・ジェリコ」特集
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ケニー・オメガの、IWGP・USヘビー級王座に挑戦!


 最近、KENSO(鈴木健三)選手とお仕事で会う機会が多いのだが、関係者が、こんな風に聞いたことがあった。「奥さん(千葉県船橋市議会議員の浩子さん)がWWEで、KENSO選手のマネージャーを務めていた時の画像、借りられませんかね?」「無理ですね」渋い顔をしつつの、即答だった。

「WWEはねえ、本当、何でも厳しく自分たちで管理しちゃいますから。外に出すってこと自体が考えられないんですよ」(KENSO)

 11月5日、新日本プロレスのエディオンアリーナ大阪大会で、まさかのBIGカードが発表となった。来年の、恒例“1・4”東京ドーム大会「レッスルキングダム12」におけるケニー・オメガの相手に、クリス・ジェリコが大型ビジョンから名乗りを挙げたのだ(翌日、対戦が正式決定)。ジェリコと言えばWWEにおいては、史上3人目のグランドスラム(WWE王座、インターコンチネンタル王座、WWE世界タッグ王座、ヨーロピアン王座の4タイトルを体感したことのある選手)を達成した、まさに同団体の要人。冒頭のKENSOさんの言葉からすれば、それは、ジェリコとWWEの関係が、現時点で切れていることを意味する。新日本は、来年3月15日にアメリカ・ロサンゼルス大会の開催を決定しており、ここにまでジェリコが絡んでくれば、それはすなわち、新日本の箔付けとなり、WWEを震撼させる動きになろう。

 今回は、そんなきな臭い背景はさておき、1990年代を席巻した、日本におけるクリス・ジェリコの活躍をご紹介。同選手と日本とのリンクの深さに焦点を当てたい。


ジェリコの愛称は、“Y2J”だが……。


 2005年7月1日のことである。日本における、WWEファン向けイベントにジェリコが出席。その際、こんな質問が飛んだ。「ハリウッド映画への出演は?」既に好敵手だったザ・ロック(ドウェイン・ジョンソン)が映画の主演を務めていた時期だった。ジェリコは答えた。「そうだな……。アダルトビデオに出たいね。そして、日本人の大金持ちの男性と結婚するんだ」ニヤリとしたジェリコに、場内は爆笑。この3年前の2002年3月1日、WWEの本格的な単独日本上陸興行となった横浜アリーナ大会、ジェリコはメインで戦ったロックに試合後、マイクで、発音もそのまま、(男らしくない)「オカマ?」と挑発される。すると、会場のあるファンが即座にボードに「Y2ゲイ」と書いて掲げ、それがビジョンに大映しになり、場内は“Y2ゲイ”コール一色に。それをしっかり覚えていての軽妙な返答だった。

 実際、ジェリコの親日家ぶりは際立っている。WWEが来日公演をする度に、「俺は行かなくていいのか?」と、メンバー入りをアピールするほどなのだ。

 その日本好きの裏には、1990年代の、彼の戦い模様があった。

「ライオン・ハート」として、WARに登場。


 初来日は1991年。FMWに、ランス・ストームとのタッグ「サドン・インパクト」として上がったが、さしたる印象を残せず。やはりブレイクのきっかけは1994年2月24日からの、天龍源一郎率いるWARへの登場だった。同リングでの初陣はリオ・ロード・オブ・ジャングル戦で第1試合(後楽園ホール)。さして期待されていたわけではなかったのだ。ところがこの試合が非常にウェルメイドな内容となり(相手のジャングルも好選手だった)、最後は得意のロープ2段目からムーンサルト、「ライオン・サルト」でフィニッシュ。この模様は一瞬だがテレビ東京でも放送され、続く後楽園ホール大会では、「WAR軍vs反WAR軍」の5vs5シングル戦に、WAR軍として登場。早くもその存在とスター性が認知される。しかも、この時、後の盟友となる邪道とシングルを行うのだが、場外への三角飛びケプラータという荒技を披露。今では飯伏もケニーも使うが、この時期のジェリコ(ライオン・ハート)のそれは、その2人とは難易度が桁違いで、リング内からコーナーポストの最上段に飛び乗って、そのまま場外へケブラーダをするというスタイル。飯伏もケニーも、同技をやる際は一旦エプロンに出てから主にコーナーポスト2段目を足場にして飛ぶことを考えると、ジェリコの破天荒ぶりがわかるだろう。事実、目測を誤ることが多く、このスタイルでは1年ほどしか飛ばす。以降は、やや振り向きざまに三角飛びプランチャやドロップキックをすることが多くなった。

 そういえば1997年、新日本の「BEST OF THE SUPER Jr.」に出場した際、「コーナー最上段からの雪崩式フランケンシュタイナーを考えてるんだ。『ライオン・スパイク』と呼んでくれ!」と予告。(それって、ライガーとかがもうやっているのでは?)と首をひねったのだが、実際の同技は、想像を超えていた。コーナー最上段に、相手も自分も直立してからの雪崩式フランケンシュタイナーだったのだ!ジェリコというと、WWEでのマイクの上手さや色男ぶりがもてはやされるが、日本では、命知らずの男という印象を加えて差支えないと思う、そんな1990年代のジェリコだった。

本家のライガーに似せたオリジナル入場曲も作られた「スーパー・ライガー」だが……。


 そのジェリコが日本において、より、水を得た魚となったのは、やはり1995年4月からの冬木軍入りだろう。冬木、邪道、外道と、鉄壁のトリオ編成だった同軍だが、邪道の負傷により、ジェリコが緊急加入。しかも「ライオン道」と名前まで変更。だが、この、本人にとって日本では初のヒールターンが吉と出た。「ヒールはやりたい放題だから気が楽」という選手は多いが、ジェリコもその類だったか。冬木がよくやる、相手をふんずけてからのマッスル・ポーズも、たいそう気に入ったのか、冬木本人以上に頻繁に披露。やや時を経るが、1997年1月4日、スーパー・ライガーという選手が突如として現れ、金本浩二を一蹴したことがあった。この選手は事前の予告では「X」とされており、全身コスチュームだった故、おそらく新日本としては「正体不明の強豪」として売り出すつもりだったのだろうが、このスーパー・ライガー、入場時の花道で、喜々として冬木ばりのマッスルポーズを何度も披露。初陣のロープをくぐる前にジェリコだと正体が割れてしまったことがあった。(なお、スーパー・ライガーの登場は、これのみで終わった。)
 かように、冬木軍の3人とは大変仲が良かったジェリコ。日本語は、会話どころか読み書きもある程度こなせるのはこの時の関係性によるもの。都内の試合では毎回、邪道の運転する車で会場入りしていたのが懐かしい。(なので、女性ファンが、「絶対、あの2人は怪しい」と言っていたのも懐かしいが(苦笑)。)

 大将の冬木が鬼籍に入ったのは残念だが、その昵懇ぶりがわかる試合としては、1995年12月13日、「第2回スーパーJカップ」決勝戦、獣神サンダー・ライガーvs外道を挙げたい。惜敗で準優勝に終わり、落ち込む外道に、「(ライガーは)どうせ裏から手を回したんだよ。準優勝くらいが、忙しくなくてちょうどいいんだよ」と、無骨に慰める冬木も泣かせるのだが、試合中、セコンドに立ち、大興奮しながら外道を応援するジェリコ(ライオン道)の姿も、ファンなら鳥肌もの。よく聞き取ると、外道が大技を返される度に、日本語で、「モウイッカイ!モウイッカイ!」と檄を飛ばしているのがわかる。

 そのジェリコ自身も、この「第2回スーパーJカップ」に出場。2回戦でクリス・ベノワ(ワイルド・ペガサス)と当たった。敗れるのだが、試合後には、目頭を押さえるジェリコに姿が。接戦だった故、悔し涙かと思ったのだが、昔からの憧れだったベノワと戦えたことの嬉しさからの涙であったことを、試合後のコメントで明かしている。

 2005年2月には、WWEの来日公演で再びベノワとジェリコが激突。第1試合ながら、その形式は、「サブミッション・マッチ」だった。日本育ちと断言していい2人。万感の思いを感じたのは、筆者だけではないだろう。2009年に来日し、公の場で邪道、外道と再会した際は、邪道が、こんな言葉を残している。「(ジェリコは、)本当に日本が好きなんだな……」

「今でも、邪道、外道、ウルティモ・ドラゴンとは、よく連絡を取るよ」というジェリコ。ケニーとの一戦は、紛れもなく世界のベストの1人を決める試合ではあるが、ジェリコは“日本愛”の意味でも先輩だという意識でいるかも知れない。注目のビッグマッチを、日本のファンとして、心から楽しもうではないか。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

コメント

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  • 動画の冒頭に自身のバンドFOZZYのJUDAS(裏切り者)を使用しているのも、WWEに対するメッセージなのかな?とかいろいろ無駄に考察できて面白いですね

    ID:4528093 [通報]
    (2017/11/12 20:17)
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