2017/10/14 11:56

久々の再会に、キツイ秋山の手助け!「大森」コールにも辛辣な一言?デビュー25周年記念大会で世界タッグに挑戦!秋山&大森特集!

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久々の再会に、キツイ秋山の手助け!「大森」コールにも辛辣な一言?デビュー25周年記念大会で世界タッグに挑戦!秋山&大森特集!
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10月21日、関本&岡林の強敵王者に挑む!


 全日本プロレス、秋のビッグマッチ、10月21日、横浜文化体育館大会が近づいて来た。中でも注目されるのは、過去、2度の世界タッグ王座戴冠歴がある秋山&大森組の同王座再挑戦だ。なにせ大会自体が、秋山と大森の「デビュー25周年記念大会」。そう、2人は同期生であり、デビューした日も、秋山を先として丁度1ヶ月違い(1992年の9月16日と10月16日)。本2017年は、全日本プロレス創立45周年の記念イヤーでもあり、まさに捲土重来を期してのチャレンジとなる。今回の当欄は、名伯楽の域に近づいて来たこの2人のタッグを振り返りたい。

大森は、浅子覚を相手にデビュー戦


 同期ではある2人だが、ご存じのように、入団時の扱いはケタ違いだった。秋山は専修大学生時代の1992年2月、全日本プロレスに入団。ジャイアント馬場社長同席のもと、母校での入団会見もなされた(2月3日)。大卒アマレス経験者の入団はジャンボ鶴田以来19年ぶり。新人選手の入団会見が行われたのも、鶴田以来だった(他格闘技からの転向組を除く)。さらに1ヶ月後の日本武道館大会では、練習生にも関わらず、リング上で紹介(3月4日)。前後するが、入団にあたっての馬場の一言は、「何も心配する必要はない。安心してうちにいらっしゃい」。期待の大きさがわかろうものだが、馬場自身、秋山獲得にあたり、「今春、卒業するアマレス経験者の中で、最も良い素材と判断した」と語っている。

 片や、大森は、履歴書を書いて入門テストを受け、馬場と面接し、入団(因みにスポーツ歴はアメフト)と、秋山とは雲泥の差。ところがである、大森も、馬場に入団時、こう言われたという。「お前は、上の方で試合をすることになるから」 デビューすらしていなかった大森は、「言っている意味がよくわからなかった」と言う。だが、馬場も、その恵まれた体格と甘いマスクを見越していたのだろう。前述の秋山のデビューは、当日、いきなり発表されたものであったが(相手は小橋だったが、こちらも当日発表)、大森も1ヶ月後には追うようにデビュー。そこに、馬場の中での扱いの丹念さを見るのはうがち過ぎだろうか?

 そして、同期の2人は、デビューして4年目の1995年1月、自身たちの代名詞となるタイトルを保持することになる。王座決定リーグ戦を勝ち抜き、第62代アジアタッグ王者に輝いたのだ。

3本勝負の1本目の『5秒決着』はあり(1977年、ザ・バラクーダvsデストロイヤー)


 なにせこの王座を2人で連続12回防衛。これは同タイトルが全日本プロレスの管理下に置かれてからは最長の記録で、期間も丸3年(1998年1月に陥落)。挑戦者チームも、ロブ・ヴァン・ダム&サブゥー組、泉田純&ジャイアント・キマラ組など、手強い面子が並んでいる。“最強のアジアタッグ王者”、これが2人のタッグチームとしての最初の印象であった。

 しかし、同時に、このイメージが、2人を縛ってしまったことも否めない。現に、秋山は同王座陥落時、こう口にしている。「正直、ホッとしてる」 秋山は、アジア保持中の1996年には、既に三沢とのタッグで世界タッグ王座も保持していたのだ。ともすれば、大森がいることでのアジアタッグのチーム編成ということになる。事実、ほぼ同時デビューながら、2人の差は、なかなか埋まらなかった。大森のチャンピオン・カーニバルと世界最強タッグ初参加は、それぞれ秋山に遅れること1年と3年である。大森自身も、「この世界は、1日でも早く入った方が先輩。秋山さんのことを同期と見たことは一度もない」と言っている。この辺り、以前、本コラムでも紹介した天山と小島の間柄のようだが、そこに大森の人の好さを観るのは、筆者の思い過ごしだろうか。

 とはいえ、実際、大森はタッグですらなかなか秋山に勝利出来ず。1994年、シングルのリーグ戦「あすなろ杯」決勝で大森を下した際の、秋山の言葉は強烈だ。秋山のトロフィー授与のシーン、客席から大「大森」コールが起きるのだが、それについてコメント・ルームで一言。「お客さんは、随分、僕の方を上に見てるんだなあと感じました」。健闘した大森へのコールは、いわば判官びいきと捉えたのである。このコメントが記者のうなずきを持って迎えられるほど、2人の立場に差はあった。秋山は大森との関係について、90年代後半、こんなコメントを残している。「このまま行ったら、俺がトップを獲った時に、ライバルがいなくなる」

 転機が訪れたのは、アジアタッグから陥落した年の末、大森が高山善廣と共闘し始めてから。デビューから7年、ようやく6人タッグで秋山を初フォールし(1999年4月)、翌年3月にはシングルで、有名な試合開始7秒での(アックスボンバーでの)フォール勝ち。これは1981年3月、ブルーザー・ブロディvsウェイン・ファリスの16秒決着を超える、全日本最短の試合結果となっている。また、1999年9月には、日本武道館で一騎打ち。これは、三冠戦をメインに置かずに行われた興行で、事前発表された5つのシングルマッチから、ファン投票で試合順を決めるという試みもなされたのだが、同試合がトップの得票を獲得し、メインに。大森は惜敗したが、秋山の試合後の談話が甦る。「今までと別人かと思った」

「『立て』って嘘ついて、外に出しちゃいました」(秋山・2011年8月)


 2000年に、一時、全日本を離れ、NOAHで同舟した2人だが、2003年の大森のNOAH退団で関係は断絶。2011年8月、オールスター戦「ALL TOGETHER」で久々にあいまみえたが(秋山&佐々木健介vs大森&高山)、試合後、秋山がダウンした大森を「立て」と、助け起こそうとするシーンが。ところが起こした次の瞬間、場外へとほっぽり出したり、2012年3月、2回目の「ALL TOGETHER」では、それこそ久しぶりに2人でタッグを結成も、小橋&武藤組に完敗。この試合後、アナウンサーが「歓声はどうでしたか?」と大森に問い、「反省?俺が何で反省しなきゃいけないんだ?!」と返し、その後も聞き違いを認められず怒り続けるシーンは、近年にないプロレス迷場面となっている(秋山は、悪い予感の察知か、大森が試合から帰って来ると、すぐに立ち去っていた)。だが、この「ALL TOGETHER」の1回目の試合後、大森はこんな風に言い残している。「秋山準、お前はプロレス界で、俺が一番燃えられる相手だ」と。

 2人は、互いの全日本への復帰以降となる2013年8月より、本格的にタッグを再結成。2014年には、世界最強タッグに初優勝。それは、2人が最強タッグに初参加した2014年から数えて、20年目のことだった。優勝を果たした試合で、秋山はこう語っている。「横で大森の必死な姿を見て頑張れた」 大森は「新しい王道をオレたちが引っ張っていくという気持ち」とした。実は同年の7月、秋山は全日本の社長になったばかり。それは秋山へのエールでもあったに違いない。

 難敵である岡林と関本。2人の集大成が見られる大会となるに違いない。辿って来た歴史とともに、朗報を期待しよう。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

コメント

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  • 秋山にとって、大森はライバルの内の一人。
    されど、
    大森にとって、秋山は終生のライバル─。
    この二人を見ていると、藤波辰巳と木村健吾の関係を思い出しますね。

    ID:4812650 [通報]
    (2017/10/14 15:14)
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  • 七秒秒殺の試合を会場で観戦していたものとしては感慨深い。あの時は場内騒然だった。秋山の入場を通路まで見に行って一階ひな壇後方の自分の席に戻ろうとしていたら大森の奇襲で試合開始。慌てて席に戻ろうとしている間に試合終了。生で観たのか後日テレビで見たのかよく覚えていないくらいあっという間だった。いやーすごい試合を生観戦しました。

    ID:653816 [通報]
    (2017/10/14 23:15)
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