2017/8/12 9:16

えっ!? 内藤のテーマが甲子園に!? あのマー君とバッテリーを組んだレスラー! 「エース」でなかった棚橋の悲劇! 盛り上がり最高潮!「プロレスと高校野球」特集!

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えっ!? 内藤のテーマが甲子園に!? あのマー君とバッテリーを組んだレスラー! 「エース」でなかった棚橋の悲劇! 盛り上がり最高潮!「プロレスと高校野球」特集!
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「シートノック間の演奏は、武藤敬司から中邑真輔、そして三沢光晴です」(青木監督)


 今年も、8月7日に開幕となった「第99回全国高等学校野球選手権大会」。これに先立ち、全国各地で熾烈な予選が行われたのはもちろんだが、その中に、試合中、聞きなれた旋律が流れて来る学校が……。こ、これは、内藤哲也のテーマ曲、「STARDUST」ではないか! その他にも、よく聞いてみれば、中邑真輔のテーマ曲「subconscious」、オカダ・カズチカ「RAIN MAKER」、小橋建太「GRAND SWORD」まで! こちらは、今年の甲子園に出場も決まっている、神戸国際大附属高校の応援席。ブラスバンドで各レスラーの入場曲を奏でることで、今では有名なのだ。実に、応援曲の8割以上がプロレスの入場テーマ! なにせ、1990年、前校名だった八代学院時代よりこちらの野球部監督を務める青木尚龍(よしろう)さんが大のプロレスファン(※1992年に現校名に)。筆者も興味深くこちらの応援席をテレビで観ていたことがあるのだが、「ブルー」と書かれたボードが掲げられたので、(“ブルー・ジャスティス”、永田のテーマかな?)と思えば、ブルーザー・ブロディの「移民の歌」だったことも。今夏は、3年ぶり2回の出場で、8月12日(土)に一回戦を戦う同校。実は夏の甲子園は未勝利であり、ぜひ、その応援席とともに注目したい。

 というわけで、今回の当欄は、まさに今盛り上がる「高校野球とプロレス」を素材に展開してみたい。

独自のアレンジがほどこされがちな「サンライズ」。


 先ずはやはり「応援曲」。こちらの2大定番としては、アントニオ猪木の「炎のファイター」とスタン・ハンセンの「サンライズ」が挙げられる。しかし、2015年、「アメトーク」(テレビ朝日)が調査していた「甲子園応援歌ランキングTOP20」によれば、「炎のファイター」のランクインはなし。高校野球関連の雑誌を発行している某社の友人によれば、「最近は少なくなっているイメージ」だそう。

 逆に同ランキングで16位と健闘したのが「サンライズ」。本場所の甲子園でも数々の名勝負を彩って来たわけだが、中でも有名なのが、1996年の夏の大会決勝(松山商業高校vs熊本工業高校)で伝説と言われる「奇跡のバックホーム」の際、流れるシーン(アレンジが独自なので、ややわかりにくいのだが)。この名場面は、今までテレビで何度も特集されるほど語り草になっているので、今後もその機会があれば、ぜひ耳の方も集中してみたい。

 珍しかったのは03年、選抜での東洋大姫路。「UWFのテーマ」が得点好機用の曲となっていた。必ずしもタイムリーでないだけに、逆に原曲のすたれない勇壮さが光る。逆に、時代を映したのが、2004年、夏の大会予選の、鳴門第一高他。応援席で「ハッスル」ポーズが。当時、小川直也が「PRIDEグランプリ」で2回戦を突破しており、その影響だろう。

 同じく2011年には、地区予選の応援席から、三沢光晴の入場テーマ「スパルタンX」が。使っていたのは、三沢の母校、足利工業大学付属高校。2009年に逝去した「三沢さんの熱い魂のあやかって使い始めた」(朝日新聞・栃木版2011年7月26日)とか。ここ30年は甲子園出場のない同校だが、捲土重来を期待したい。

リングネームが、「苫小牧卓也」だったこともあるT-Hawk。


 当然、高校野球をやっていたレスラーも。関本大介は、名門・明徳義塾(高知)の野球部出身。子供の頃から野球はやっていたが、入部した理由がふるっている、物議をかもした、同校による、松井秀喜5打席連続敬遠事件(1992年8月16日)をテレビで観た父親がこう言ったのだ。「ここまで勝負に徹する監督はおらん。お前、ここに行け」。しかし、高2の頃には「自分の位置がわかるようになっていた」という関本は、代わりに筋トレに没頭。ただ、勉学もおろそかにせず、3年の時には、同部の名物監督・馬淵史郎氏に、プレイングマネージャーに指名された。

 驚くべきことに、大日本プロレスへの道筋をつけたのも馬淵監督。「プロレスラーになりたいんです」という関本に、「わかった。就職先は俺が見つけて来てやる」とした馬淵監督は、自らのつてで大日本プロレスのグレート小鹿社長(当時)を紹介。東京の喫茶店で面談し、即刻、快諾され、入団が決まったのだった。「3年間、『野球やれ、野球やれ』と言って来て、最後は自分らだけで決めろじゃ可哀そうでしょ」(馬淵監督)。希代の勝負師は、温情の人でもあった。

 あの、“世界のマーくん”こと、田中将大と、高校時代、バッテリーを組んだことのあるのは、ドラゴンゲートのT-Hawk。駒大苫小牧高校野球部時代、田中が2年先輩で、捕手だったT-Hawkは、紅白戦で2イニングだけボールを受けたことがあるという。「その時、三塁にランナーがいたんですが、パスボールしちゃって怒られまして。あと、サインにも首を振られたんですが、その時の表情が、とにかく怖かった」しかし、そんなT-Hawkが野球部に入部した理由は、「駒大苫小牧の野球部は名門だから、絶対に練習は厳しいはず。それならプロレス入りにも役立つだろう」というものだから、こちらの気骨も堂に入ったものだろう。

 棚橋弘至も、甲子園を目指した1人。中学まではライトを守っていたが、大垣西高校の野球部では、「どうしてもピッチャーをやりたい」と直訴。結果、2番手投手になれたものの、トリックプレーに気付かなかったり、打者としてもバントのサインを無視したり。「その頃から、チームプレーが苦手だったのでしょうか?(笑)」(棚橋)。だが、夏の最後の試合は、棚橋に大きな気づきをもたらした。7回裏の2アウトまで8-0で勝っていた、あと一死とれば規定でコールド勝ちだったが、そこから逆転されて、8-10で負け。しかもこの試合、棚橋は投げておらず、外野を守っていた。エースと棚橋との間に力の差があり過ぎ、マウンドを任されなかったのだ。「人に期待されるような男になりたい」という気持ちが芽生えたのは、その時からだったと棚橋は語る。その結果は、いわずもがなだろう。

 最後に、甲子園出場は果たせなかったがプロ入りしたのはジャイアント馬場(読売巨人軍)。08年、心温まるニュースが躍った。馬場の姉・武田アイ子さんが、馬場の母校となる新潟県央工業高校(旧三条実業)の、「新潟県央工業高校野球部を甲子園に送る会」に、10万円を寄付したのだ。実は同年、史上初めて同校は夏の甲子園出場を決めていた。「(馬場)正平の分まで頑張って欲しい。正平の人形と写真をテレビの前に置いて一緒に応援します」(アイ子さん)

 夢を賭けるのは四角いキャンパスも甲子園も同じ。リングに負けぬ熱闘にも期待しよう。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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