2017/7/30 12:28

棚橋の“チャラ男”開眼会見?! えっ?! 川田が武藤社長にダメ出し?! 祝・本間リング登場記念。プロレスラー、復帰宣言特集!

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棚橋の“チャラ男”開眼会見?! えっ?! 川田が武藤社長にダメ出し?! 祝・本間リング登場記念。プロレスラー、復帰宣言特集!
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約4か月ぶりのリング登場!


 さる7月26日、嬉しいニュースが入った。中心性頸髄損傷で欠場中だった本間朋晃がリングに登場。復帰を誓う、力強い挨拶を行ったのだ。「みなさん、こんばんは。まだ首から下がしびれてる状態なんですけど、一日も早くリングに戻れるようにリハビリ、頑張ってます。絶対戻ります!」トレード・カラーの黄色を全面に出した(自らのグッズである)Tシャツ姿に、テカテカに光るほど油が塗られたその腕は、まさに“レスラー・本間朋晃”。そのプロ意識溢れる出で立ちとマイクに、会場の仙台サンプラザホールの観客からは、大声援が飛んだ。

 まだまだ復帰までは長い道のりだろうが、元気な姿を見せてくれたことは喜ばしい。とはいえ、焦って無理をするのは禁物だろう。今回の当欄は、怪我や事故からの復帰を見事に果たした各先輩レスラーたちの、その復帰宣言を特集。本間へのエールと致したい。

「俺が出来るのは、リング上でこの感謝の気持ちを返すこと」(内藤・復帰戦後)


 先ずは感謝の念を前面に出した2人を。古くなるが、90年11月の「世界最強タッグ決定リーグ戦」中に左大腿骨を骨折し、入院したジャイアント馬場は、同シリーズの最終戦の日本武道館大会に、“声のみ”登場。録音されたものが場内に流された。出だしは、「本日は、ご来場、ありがとうございます」と、全日本プロレスの社長らしい挨拶。続いて、同年5月から6月にかけては、選手の大量離脱に見舞われた同団体だけに、「今年ほど、ファンの方々の温かみを感じた年はありません」。そして、「もう少し、時間を下さい」。馬場らしく、決して大上段に構えない復帰の決意表明に、場内はドッと沸いたのだった(翌年6月に復帰)。

 同じく、ファンへの感謝をストレートに表したのは、13年の内藤哲也。前年に膝を怪我し、翌年6月22日に復帰。その前月、5月3日の福岡大会で復帰挨拶に臨む内藤は、内心、不安でしょうがなかったという。(俺を待ってくれている人なんて、本当にいるんだろうか?)

 理由は新日本プロレスの時代の流れにあった。前年にオカダが帰国し一気にスターダムに。棚橋との抗争が核となり、かつては“天才”と謳われた内藤は蚊帳の外。そして、怪我による長期欠場。一方で、自分がいなくても急激に上昇して行く新日人気。今まで自分が頑張って来たのはなんだったのか?という無念があった。

 だが、「この欠場期間中にため込んだものを全てをぶつけます。宜しくお願いします」と挨拶に臨んだ内藤を待っていたのは、ファンの大声援。「『お帰り』という声が聞こえた」と、挨拶後、コメントルームで目を潤ませた内藤。「ようやくわかったんです。ファンは俺を信じてくれていたのに、俺の方がファンを信じていなかったんだって……」。内藤は当時を振り返り、「ワールドプロレスリング」内で、そんな風に語っている。

「生きてるよ!」(高山善廣・06年7月16日・試合後)


 お次は、レスラーらしく、闘志溢れる復帰宣言を。02年の10月27日、武藤敬司の全日本プロレス社長就任挨拶がリング上で行われたのだが、そこに右膝の怪我からの復帰を目指す川田利明も登場。マイクで言うには、「自分が帰って来てからが、本物の全日本プロレスだと思っています!」……何も、これから頑張って行こうとする武藤の社長就任挨拶の時に、そんなことを言わなくてもいいと思うのだが、逆に言えば、実に川田らしい復帰宣言であった。(翌年4月に復帰)

 06年6月、ガンが発覚した小橋は、同年12月10日の日本武道館大会のリングに、入場曲「GRAND SWORD」で、客席通路から登場。「これから先のことはまだ何も決まってませんが、必ずこのリングに戻って来ます!」とマイクで熱く宣言した。コメントルームで「テーマ曲で入ったのは、ファンのみんなと時間を少しでも共有したくて。みんなの声が、一番勇気づけてくれます」とした小橋が、その本懐を見せたのは、こんな質問が飛んだ時だった。「客席を観た時は、どんな気持ちでしたか?」小橋は答えた。「こういう形じゃなくて、試合で帰って来たいですね」。「花道(からの入場)は、復帰した時に残しておこうと思って」とも話した小橋は、見事に翌年12月2日、復帰したのだった。

 中途のリング上での復帰宣言はなかったが、(脳梗塞からの)復帰戦の前、こんな発言をしたのが高山善廣。「同情で応援されるようになったら、プロレスラー・高山善廣は消滅する。ファンが(相手の)三沢コール、秋山コールを起こすような闘いをしたい」果たして、試合は最後、三沢が高山にエメラルド・フロウジョンを、続けて秋山がリストクラッチ式のエクスプロイダーを炸裂し、終了。唯一無二の必殺技を連続で出させたことは、何より2人からの復帰の合格点だったはずだ。そして、試合を見た記者に、ある質問をされた高山は、こう答えた。「試合前に言ってた、三沢コール、秋山コールを起こせなかったのが、一番悔しいわ」と言いつつ、どこか嬉しそうに照れ笑い。記者の質問は、「大『高山』コールが起きていましたが?」だった。(16年7月16日)

「入場時の声援には、ションベンをちびりそうになりました」(棚橋・03年2月16日)


 そして、事件からの復帰となったのが棚橋弘至。02年、交際女性に背中を刺され、半ば意識を失うながら自分が運転するスクーターで病院に駆け込んだ棚橋は、復帰への会見を「背中に傷が残ってしまいましたが、これは僕が一生背負って行かなきゃいけない傷」と、坊主頭で開始。(02年12月20日) ところが、神妙だったのはここまでで、次いでは、「今回の事件で猪木さんに名前を憶えて貰いました」「朝起きたら、坊主になってました(笑)」「(スクーター)運転中は、ウィンカーも出しましたし、法定速度も守りましたよ(笑)」、挙句の果てには、「今まで自分は色んな意味で無難だったんですが、これで一皮剥けて、アクが出るかな?と」事実、棚橋は以降、“チャラ男”キャラとして、一気に頭角を表して行く。

 復帰戦は03年2月16日の中西学戦。試合を終えた棚橋は、会見でのユーモアはどこへやら、こう語った。「これからは俺、1試合も休みませんよ。俺が死ぬなら、新日本のリングの上です」この姿勢が、現在の新日本の隆盛を導いたのは、言うまでもないことだろう。

 本間の復帰後のコメントを、楽しみにしたい。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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