2017/6/26 10:41

急逝ミスター・ポーゴ、いいひと伝説【多重ロマンチック的ぼくらのプロレス】

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急逝ミスター・ポーゴ、いいひと伝説【多重ロマンチック的ぼくらのプロレス】
4.9

2017年6月23日、プロレスラーのミスター・ポーゴ選手が亡くなられた。腰の手術を行っている最中に血液が止まらなくなり、結果脳梗塞となったのが原因とも言われている。本当なら最後まで流血大王を貫いたということでしょう。

僕がミスター・ポーゴという選手を初めて知ったのは1990年頃だったろうか。顔にはペイント、見るからに極悪人。Tシャツ姿で戦い、迷彩パンツにブーツ姿。さらに手には鎖鎌。当時はライバル・大仁田厚選手ですらショートタイツにレオタード生地のタンクトップ。上半身裸にパンツ姿が当たり前だった当時のプロレスコスチューム界隈に、モロ売店で売ってる“ポーゴちゃんTシャツ”で闘う姿は衝撃的に映った。もしかするととしてTシャツ姿で闘うことをレギュラーユニフォームとした初のプロレスラーはポーゴ選手だったのかもしれません。

そして、ポーゴ選手のプロフィールを探ると出てくるのは、プエルトリコ遠征と新日本プロレス出身というスタイルとかけ離れたトラディショナルなルーツ。練習嫌いというポジションから鬼コーチ・山本小鉄さんに嫌われていたことは有名ですが、退団後ストロングスタイルまったく真逆のスタイルを確立し、ケンドー・ナガサキ選手と凱旋しIWGPタッグ王座に挑戦。過去を知っておったまげた記憶があります。

ポーゴ選手のスゴいところはIWGPタッグ挑戦すら一時の通過点だったところ。ペイントが今の形になるのもその後の話ですし、その後の遺恨劇にも新日本出身という過去は利用しませんでした(練習生時代を一緒に過ごしたヤミキ選手との一戦くらい)。出自をブランドとして利用する選手が多い中、ポーゴ選手はむしろ知らない人のほうが多いくらい。

ポーゴ選手と言えば、そのコワモテの顔、火炎を操るファイトスタイルとはギャップがありすぎるプライベートも後年は魅力になりました。実はお坊ちゃん育ちで、一人称を「俺様」としているのはキャラ作りの一環であること。お化けが怖くて、でも映画「ゴースト」が大好きというキュートなところ。人が良すぎて騙されるような形で引退したことを悔いていること。「100万光年早い!」とつい距離の単位で時間を表してしまうところ。なんですかこの“悪役は実はいい人”という言い伝えを、まるっと体現したようなプリミティブ!

2002年には「伊勢崎(いせさき)暗黒街計画」を発布。地元・群馬県伊勢崎市がプロレスでにぎわうことを大前提に、観客が死んでもレスラーは罪に問われない街づくりをする計画でした。市議会選挙出馬、市長と面会、居酒屋経営、コンビニ強盗から街を守るポーゴ警備団結成と15年の時を掛け徐々にポーゴ王国と化していた伊勢崎市。これからも僕は神奈川県伊勢佐木町と間違えそうになるたび、港ヨコハマ伊勢佐木(いせざき)のほうがブルースで、清くて濁らない(濁点がない)のが暗黒街だ、わかったらデテケー! と「伊勢崎暗黒街計画」を語り継いでいきたいと思うのでした。合掌。

この記事を書いたライター: 漁師JJ

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