2017/6/3 10:19

三沢が生前、切望した曲。目に見えぬ三沢に見せた、和田京平の心熱きはからい。あれから8年。「三沢光晴メモリアルナイト」特集!

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三沢が生前、切望した曲。目に見えぬ三沢に見せた、和田京平の心熱きはからい。あれから8年。「三沢光晴メモリアルナイト」特集!
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東京ドームでの試合直後に2人きりで杯をかわすなど、大親友だった博多大吉さん


“日付を言っただけで、何のことかがわかる”。そんな共通言語があることを、プロレスファンならご承知だろう。「1・4」なら毎年の新日本プロレスの東京ドーム大会のことだし、「10・9」なら1995年に行われた新日本プロレスvsUWFインターナショナルの全面対抗戦の日付である。ある年の6月14日に、名うてのプロレスマニアとして知られる博多大吉さんにインタビューした時も、そんな意思疎通を感じる瞬間があった。「そういえば、今年も6月13日が来ましたね」、「ええ、心の中で、手を合わせましたよ」(大吉)。そう、「6・13」とするより、「6月13日」と言いたい。それは、09年、三沢光晴が試合中の事故で、天に召された日付であった。

 あれから8年。今年は6月4日(日)、NOAHの後楽園ホール大会で、三沢光晴追悼セレモニーが行われる。今回の当欄は、NOAHがこれまで毎年その命日に開催して来た、この「三沢光晴メモリアルナイト」を特集してみたい。

菅林直樹・新日本プロレス社長(当時)も駆け込みでやって来た、一周忌セレモニー


 1周忌となった10年6月13日には、ディファ有明で大会を開催。同会場2Fの多目的スペースを無料で開放。モニターを設置し、やって来るファンのために試合をリアルタイム視聴出来るように取りはからっていた。何故なら、前売り券はカード発表前に完売していたのだ。メインは「潮崎&丸藤vs秋山&小川」と、まさに三沢に縁ある4人による好カード(潮崎が小川をフォール)。三沢が永眠した22時10分には、10カウントゴング。この時まで残っていたファンには、NOAHの旗揚げ戦のポスターがプレゼントされるという、粋なはからいも。客出しの時の音楽は、福山雅治の、「明日の☆show」という曲。それは、三沢が最後のツアーに出る前、盟友の仲田龍リングアナに「帰ったら聴くから、買っておいて」と頼んだものだった。「僕のヒーローは、どんなに辛く苦しい時も、自分に嘘はつかなかったんだよ」という歌詞が印象的であった。

最後の退場となった、大阪の試合場でもメモリアル開催


「メモリアルナイト」は、翌年以降も継続。11年の6月13日には、大阪府立体育会館第二次競技場で開催。三沢が逝去の直前(2日前)に上がった会場でもあった。メモリアルマッのカードは「秋山vs小川」、「潮崎vsバイソン・スミス」等。小川がタイガー・ドライバーを狙おうとするシーンが心に残る。13年の6月13日には後楽園ホールで「丸藤vs杉浦」がメインに。特にメモリアルマッチと銘打たれたわけではなかったが、丸藤がフィニッシュに選んだのは、タイガー・ドライバーとエメラルド・フロウジョンを融合させた、タイガー・フロウジョンであった。

 ゆかりの選手も多数登場。12年6月13日(後楽園ホール)には、越中詩郎が、森嶋、健介とタッグを組み、秋山、潮崎、齋藤彰俊と対戦。14年6月13日(後楽園ホール)では、天龍源一郎が越中、小川とタッグを組み、森嶋、谷口、大原と激突。天龍は、七回忌の15年6月13日にも、広島グリーンアリーナで開催のメモリアルナイトに参加(天龍&高山&小川vs丸藤&永田裕志&井上雅央)。試合中、三沢の“汗ワイパー”を真似してみせた。この年の11月に引退が決まっていた天龍。三沢の七回忌の年に引退となったことを問われると、「うん……。これも人生でしょうね」。また、「もし三沢に声をかけるなら?」という問には、「その質問に、上手く答えられるレスラーはいないでしょ」と、ともに含蓄ある返答をなしていた。

 この15年の広島グリーンアリーナでの大会では、特に趣向も凝らされた。言うに及ばず、同会場は、三沢の最後の試合が行われた地。追悼セレモニーでは、田上が三沢の遺影を持ってリングに上がると、マイクで、「四天王、再び」と煽られ、川田利明が自らの入場テーマでリングイン。次に小橋も自身の入場曲とともにリングに上がり、最後に「スパルタンX」がかかり、会場のビジョンに、三沢が入場する姿が! さらには、スタン・ハンセンまでリングに登場。この際は、「NTVスポーツテーマ」が流れ、まさに往年の「全日本プロレス中継」を思わせる演出そのもの。強く印象に残った。

 13年のセレモニーで行われた、「三沢vs田上」も印象深い。田上が先に入場すると、いつしか反対側のコーナーには、三沢が最後の試合で着用したリングシューズが、レフェリーの和田京平は、その靴の上までしっかりとボディチェックの動作だ。ゴングが鳴ると、タイガー・ドライバー'91で田上が負けた映像が。「三沢さん、今日もあなたに負けちゃいました。いつも青コーナーと赤コーナーに分かれ戦って参りました。同じコーナーでベルトを目指してたらどうなってたかな、と思う毎日です」とマイクで語り、三沢のシューズを持って、共の退場を果たした田上だった。

12年の齋藤彰俊興行には、“緑のリング”に長州力や初代タイガーも(第2試合)


 そして、絶対に忘れてはいけないのは、三沢の最後の相手となった齋藤彰俊の存在。三沢が亡くなった際、涙を流しながら、「自分がその時の相手だったことには、何か意味がある。一生をかけて、それを探して行きたい」とした彰俊。メモリアルナイトで主要なカードに絡んでいるのは先述の通りだが、12年6月15日には、宿縁の広島で、何と自身のプロデュース興行を開催(広島県立総合体育館・小アリーナ)。長井満也と組み、大森隆男、相島勇人と対戦した彰俊は、相島に勝利すると、「3年かかりましたが、ようやくこの地でリングに立てました」とマイク。尋常でない苦悩があったことを覗かせた。前後するが、11年のメモリアルナイトでは三沢の元付け人・鈴木鼓太郎とシングル戦。彰俊はバックドロップを3連発で見舞う。彰俊のバックドロップは、言うまでもなく、三沢が最後に受けた技だ。だが、鼓太郎は、マットを手でバーンと叩き、不屈の闘志で立ち上がって来た。結局、スイクルデスに惜敗した鼓太郎だったが、「(バックドロップに立ち上がって見せたのは、)『あの日のことは事故だったんですよ』と、彰俊さんにわかって欲しかったから」と、その真意を明かしたのだった。

 彰俊は、14年のメモリアルナイトでは丸藤と一騎打ちし、惜敗。だが、丸藤が「俺の願いを聞いて欲しい」とマイクを持つと。「俺たちと一緒に、またNOAHを守って欲しい」と懇願。「俺はあの日以来、コスチュームも変えてない。心はずっとNOAHでした!」とした彰俊は、NOAHへの再入団を快諾。現在も所属として、外敵たちと戦っている。

 失ったものの大きさは、残されたものの大きさ。今年の6月4日も、献花台が用意され、追悼セレモニーが行われる。死してなお影響の大きさを知る故人の偉大さを、共に偲ぼうではないか。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

コメント

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  • 今でもYoutubeで三沢さんの試合を見ますが、『やっぱり三沢って凄いなぁ』と今でも思います。

    ID:3074672 [通報]
    (2017/6/10 9:50)
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  • 四天王時代の武道館で聞く三沢の入場テーマのときのミサワコールは本当にしびれたな。越えられないよ。

    ID:4145597 [通報]
    (2017/6/15 8:12)
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  • ノアはもっと上に行けるはず。選手フロントとも頑張って業界の盟主になって欲しいです。試合の内容も良いし。

    ID:2132460 [通報]
    (2017/6/19 0:55)
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