2017/4/30 12:28

あのお笑い芸人の教科書!? 生涯ノーギャラで憎まれた真の悪漢!?“極悪レフェリー”阿部四郎・追悼特集

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あのお笑い芸人の教科書!? 生涯ノーギャラで憎まれた真の悪漢!?“極悪レフェリー”阿部四郎・追悼特集
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享年76で死去


「バラエティ番組で観るプロレス(ごっこ)は、辛い」。昔からそう思って来た。往年の「オレたちひょうきん族」でも、「ウッチャンナンチャンのやるならやらねば!」(ともにフジテレビ)でも、芸能人(お笑いタレント)がプロレスを披露する類はあったし、実際のプロレスラーに挑戦する趣向も多かった。企画が幾度となく通っているということは、それだけ人気があるコンテンツだと理解はするのだが、個人的には、どうしても、プロレス自体がバカにされているという気持ちも否めなかった。

ところが、2000年のことだ、偶然点けたテレビで見た、「めちゃ日本女子プロレス」に、目を奪われた。ご存知、フジテレビのバラエティー「めちゃ×2イケてるッ!」内のコーナーで、女性タレント4人がレギュラーを賭けて戦うという内容だった(同年2月26日放送分)。だが、目を引いたのは、ファイトそのものより、岡村隆史さん演じる、悪辣なレフェリーの動きだった。ひいきしているタレント側のフォールカウントを、大仰なまでに遅くする。敵視している側の肩が付けば、すかさず高速カウントだ。ギャラリーをヒートさせるその所作といいタイミングの取り方といい、80年代、テレビで見た有名レフェリーの動きに、本当に余りにも似ていたのだ。後日、Ⅿ新聞の芸能担当記者に、岡村さんが、このレフェリーの昔のビデオを何十回も繰り返し視て、研究していたと聞いた。そのレフェリーと岡村さんは、翌年、「めちゃ×2イケてるッ!」で共演。さらなる動きの酷似ぶりを目の当たりにした読者も少なくないだろう。

そんな「極悪レフェリー」、阿部四郎さんが、4月25日、肺炎で亡くなられた、往時の全日本女子プロレスを盛り上げた名脇役の人生を、今回は辿りたい。

力道山とも知己がある、業界の生き字引


福島県の自転車屋の息子として、11人兄弟の4番目に生まれた阿部さん。東京で板前修業をしていた際、往年のレスラー、豊登と知り合い、プロモーターに転職。力道山の知遇も得、その後、国際プロレスの中にあった女子部でレフェリーとしてもデビュー。だが、男女混合団体が簡単には受け入れられなかった時代ゆえ、同部はほどなく消滅。すると、全日本女子プロレスに、本職のプロモーターとして拾われたのだった。プロモーターとしては、アントニオ猪木の最初の団体、東京プロレスや、旗揚げ当時の新日本プロレスの興行も手掛けたという。

だが、やはりファンの記憶にあるのは、そのレフェリングぶり、それも、ダンプ松本をボスとするヒール軍団、「極悪同盟」に肩入れする悪徳レフェリーとしての姿だろう。それはまさに、冒頭の岡村さんがそのキャラクター名を、「岡村四郎」としたほど、堂に入り、深い印象を残すものとなった。

長与千種に、チェーンでグルグル巻きにされたことも(84年9月)


「極悪同盟」の反則攻撃の見て見ぬふりや、そのライバルかつ、カリスマ的人気を誇ったクラッシュギャルズへの高速カウントは言うに及ばず。ドクロ柄のベルト姿に、そもそも、中立なはずのレフェリーなのに、極悪同盟と一緒に入場して来るのだから、開いた口も塞がらない。

クラッシュギャルズファンの憎悪は凄まじく、生卵をぶつけられるのは序の口。自前のベンツはファンが100円玉をこすらせた傷でいっぱいに。自宅には空気銃が撃ち込まれ、孫はイジメの対象に。結婚して、別姓となった娘の家にすらイタズラ電話がかかって来たという。タイのバンコクに遠征した際は、観客が暴徒と化し、阿部ら極悪同盟の帰路を、警察がガードしたことも。

しかも、これは今では有名な事実だが、レフェリーとしてはノーギャラだったという。プロモーターとしての顔があるのでまだ良しとしても、会場への移動費や宿泊費もなかったとか。全日本女子プロレス(全女)側が言うには、この理由は以下だ。「阿部がレフェリーをやりたいと言ってるから、やらせてあげてるだけ」……。

北島三郎にも可愛がられた阿部さん


「ダンプをなんとかブレイクさせてやりたくてね」。生前の阿部の述懐である。「あの高速カウントもオレが考えた。オレが会場に姿を現すと、“阿部帰れ!!”の大合唱。あれは自分の役回りとして快感だったね」。極悪同盟が憎まれれば憎まれるほど、クラッシュの人気は上がっていく。それも嬉しかった。クラッシュとも、抗争が開始するまでは人目につくほど仲が良く、よく食事をして、2人の素直な資質を讃していた阿部だったからだ。

その一方で、ノーギャラはもちろん、全女の借金の保証人にもなり、家を失ったこともあるという。それゆえ、放漫経営で、結局倒産した全女を、阿部は生前の各紙誌で惜しむ。「好きでレフェリーやってたオレはいいわ。ギャラをもらえなかったレスラーはどうするのって。ホント、かわいそうで」(「日刊ゲンダイ」2005年7月1日付より)

後年は、地元・東京都立川市にあるスナック「翠泉」を経営しつつ、北島三郎等、歌手のプロモート業をしていた阿部さん。それでも、地元の「立川大衆演芸場」に引退後のダンプが出られるよう取り計らったり、同じく極悪同盟の後進だったブル中野に熱望され、その引退興行(12年1月8日)にレフェリーとして駆けつけるなど、過日の絆を失わなかった阿部さん。当時の多数の関係者がその死を惜しむ中、一番の盟友だった、ダンプさんのブログの一部を置いておきたい。

「ダンプが愛(※会い)に行くときには天国で全日本女子プロレスの団体を作っておいてね。ありがとう阿部ちゃん」

女子プロ黄金期を支えた名優に、改めて、合掌。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

コメント

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  • プロレスを大きく盛り上げた方が鬼籍に入られるのは寂しいです。現在盛り上がってるプロレスですが、まだまだあの頃の熱狂には追いつきません。みんなであの頃の盛り上がりに近づけられるように持って行きたいです。
    ダンプさんの言う通り、天国で新しい団体作って待ってるんじゃないかな?

    ID:3366220 [通報]
    (2017/5/2 12:39)
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