2017/2/25 11:26

初登場は、意外な選手! 大会名の由来は、あのバンドから? 中邑出場なるか!? レッスルマニアに出た日本人特集!

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初登場は、意外な選手! 大会名の由来は、あのバンドから? 中邑出場なるか!? レッスルマニアに出た日本人特集!
4.9

今はWWE傘下のNXTに所属する中邑


さる2月21日、今はフロリダ州に住む中邑真輔が、電話での共同インタビューを敢行。そこで注目すべき発言を行った。「チャンスがあれば、『レッスルマニア』にぜひ出たい!」。

レッスルマニアと言えば、WWEが誇る春の祭典。30年以上の歴史がありながら、今まで出場した日本人選手も、ごく少数に限られる。そこで今回は、同大会の知られざる内実とともに、その数少ない栄誉を手にした日本人レスラーたちをご紹介! 中邑出場への期待の呼び水となれば幸いだ。

07年より、7万人以上収容のスタジアムでの開催が恒例に!


「レッスルマニア」なる催しが、いかに凄いものなのか? 読者によっては、「日本の東京ドーム大会を、少し派手にしたくらいだろう」みたく思われる方もいるかも知れない。否、そもそもレッスルマニアが行われる会場最寄りの空港からして違うのだ。到着口を降りれば、そこにはレッスルマニアの巨大な垂れ幕が。街を歩けば、外灯の下に、これまた主要選手の垂れ幕が延々と……。選手たちが泊まるホテルのカードキーは、特別にレッスルマニア仕様に。大会数日前よりホテルは貸し切りとなるのだが、その前より予約していたお客は入ることが出来る場合もあるため、選手はもちろん、このカードキー目当てで泊まるファンもいるとか。そして何より驚くのが、当日の会場までの、選手、スタッフの移動。なんと、パトカーと白バイが先導するのだ。そう、アメリカという国ぐるみのイベントとして認知されている、それがレッスルマニアなのだ。

モハメッド・アリがレフェリーも(第1回)


今では、プロレスファンなら誰もが知るこのイベント。だが、今から32年前、85年の第1回大会の開催のきっかけは、意外にも下記の心配からだった。

「プロレス興行の入りが悪くなる、季節の変わり目をどうしよう?」

アメリカでは4月初旬にサマータイムへと移行する。すると、日が長くなり、人々の興味はメジャーリーグなど、屋外の競技へと向かい、屋内のイベントは得てして客足が落ちるものなのだ。それを打破するために行われたのが、「レッスルマニア」だった(第1回の開催日付は3月31日)。ビッグイベントを開催することで、季節が変わってもファンに印象を残そうとしたのである。そのため、今では通例となっているが、プロレス以外のエンタメ業界からもゲストを多数招聘。有名シンガーのシンディ・ローパーや、第1回のメインでは、俳優のミスターTがプロレスデビュー! エンターテイメント・プロレスの嚆矢ともなったのだった。

なお、この「レッスルマニア」という大会名を考え出したのは、当時のリングアナウンサー、ハワード・フィンケル。「ビートルマニア(※ビートルズの熱狂的ファン)という言葉がある。なら、レッスルマニアという名称はどうですか?」なる彼の提案は、同団体の古参スタッフの語り草となっている。

みちのくドライバーで試合を決めたTAKA


さて、レッスルマニアに登場した日本人レスラーだが、先ず、広義には、現在も活躍中のKENTA(ヒデオ・イタミ)が挙げられよう。15年にバトルロイヤルに出場しているが、こちらは本戦前の「プレショー」扱い。同じく、かつて所属していたヨシ・タツも10年、バトルロイヤルに優勝しているが、これも本戦前のダークマッチ。だが、14年には、遂に本戦扱いのバトルロイヤルに出場。だが、最初に失格となり、この年の6月にはWWEより解雇された。この毀誉褒貶の激しさは、米メジャー団体WWEならではだろう。

本戦で、日本人として初めてシングルマッチを戦ったのはTAKAみちのく。98年、WWFライトヘビー級王者として、アギラの挑戦を退けた。00年には、盟友のフナキとともに本戦のバトルロイヤルにも出場。フナキは04年、オープンマッチ形式のWWEクルーザー級王座戦に出撃。こちらにはウルティモ・ドラゴンやTAJIRIも登場し、これまた本戦出場を果たしている。05年には曙が、「スモーマッチ」でビッグ・ショーに勝利している。

では、レッスルマニアで初めてタッグマッチを戦った日本人タッグチームはといえば、天龍源一郎&北尾光司組。91年大会で、スマッシュ&クラッシュのデモリッションに勝利している。当時の2人の団体、SWSとWWE(当時WWF)が提携関係にあることで実現した背景があったが、インパクトは残せずに終わった。

当日は曇りで、逆にビジョンが見えやすくなった伝説も(第3回)


そして、レッスルマニアに日本人が初登場したのが87年3月29日に行われた第3回大会。ミシガン州のシルバードームに、当時の世界のインドア・スポーツイベント最多となる、93,173人という観衆が集まった、伝説の大会である。これにまつわる逸話も伝説そのもの。希望した日付に、先に展示会の予定が入っていたため、ビンス・マクマホンが、その展示会の前売りチケットを全て買い上げるという形で会場の譲渡を実現。とはいえ、9万人以上もの動員に不安もあったため、次に打った手もえげつない。開催地のミシガン州だけ、同大会のPPVを観られなくしたのだ。当然、試合を観るには会場に行かねばならない。その甲斐あって、大会の5日前には、チケット9万枚がはけたという。

さて、レッスルマニアに初登場した日本人だが、当日のカードを見れば、そのリングネームからも明らかだ。「リトル・トーキョー」という選手が、「ヒルビリー・ジム、リトル・ビーバー、ザ・ハイチ・キッド vs キングコング・バンディ、リトル・トーキョー、ザ・ロード・リトルブルック」という第3試合を戦っている。さて、聞かない名だが……。

実はこのリトル・トーキョー選手、ミゼット(小人)・レスラー。ヘビー級選手1人とミゼット・レスラー2人が組む異色の6人タッグマッチで、栄誉あるレッスルマニア出場・第1号日本人レスラーの称号を得たのだった。

なおWWEは、ミゼット・レスラーも積極的に表彰し、殿堂入りさせている。この辺りの懐の深さも、団体の肥沃さを感じさせよう。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

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