TOPICS トピックス

「死ぬかも」と感じたオメガ戦のオカダ。「死んでもいい」と思った中邑。「死ぬまでやろう」と誘った猪木etc.プロレスラー、死線を超えた名勝負特集!

「死ぬかも」と感じたオメガ戦のオカダ。「死んでもいい」と思った中邑。「死ぬまでやろう」と誘った猪木etc.プロレスラー、死線を超えた名勝負特集!

掲載日:2017/01/09 11:15 閲覧数:2683

4.9
最新のコメントに移動

「オメガは僕の次に強い選手だった」(オカダ・1月4日)


今年も大いに盛り上がった新日本プロレスの「1・4」東京ドーム大会。中でもメインのオカダ・カズチカvsケニー・オメガは、本年のベストバウトが早くも確定かと思わせる大死闘に。試合タイムは46分45秒。平成に入って、45分を超えて決着がついた試合は、超世代軍と鶴田軍の伝説の6人タッグマッチ(51分32秒:〇三沢、川田、小橋vs鶴田、田上●、渕。91年4月20日)や、天山と小島の間で行われたIWGPと三冠のWタイトルマッチ(59分49秒。小島がKO勝ち。05年2月20日)など、数えるほどしかなく、しかも内容はノンストップの攻防だったゆえ、特筆してあまりあるところだろう。

そして試合後、オカダはこう語った。「13年ぐらいプロレスやってきましたけど、死ぬかもと思うような試合でした」。まだまだ鉄面皮なイメージのあるオカダだけに、こちらも極めて深く印象に残った。当然だが、プロレスラーが、それだけの思いで試合に臨んでいることを、再確認させられた。今回は、この名勝負を讃し、常時、リングに命を賭ける選手たちが、特に「死んでもいい」という覚悟を明言した名勝負を特集したい。

「三沢さんは、精神的に強かった」(小橋・97年1月20日)


先ず、あまりにも有名なのが、97年1月20日、大阪府立体育館で行われた三沢光晴vs小橋健太(全日本プロレス)。小橋が前日、母親に、「俺が(試合で)死んでも、三沢さんを恨まないでくれ」と言い残して臨んだ試合である。試合は42分6秒、三沢の勝利。当時、進境著しく、プライドも高かった秋山準が、「僕とは(2人とも)格が違い過ぎる」と脱帽していた(※同日、田上に勝った秋山が、勝者に挑戦する機運があった)。当時の三沢の、こんなコメントも語り草だ。「俺は若手の頃、自分がプロレスラーだと、胸を張って言えなかった。でも今なら堂々と言えるよ。未だにプロレスに偏見を持ってる奴は、俺たちの試合を見ろって」。

若くから新日本のエースを務めて来た中邑真輔は、03年の大晦日、総合格闘技のリングで、アレクセイ・イグナショフ膝蹴りにレフェリーストップ負け(後に無効試合に訂正)。「負けたと思ってない」という中邑に対し、「じゃあ今すぐ再戦しよう。そう出来るの?」とイグナショフは余裕しゃくしゃく。それもそのはず。中邑の鼻骨は亀裂骨折していたのだ(しかも、骨同士が、2ミリほどずれていたという)。しかし中邑は休むわけには行かなかった。4日後、まさに1月4日の新日本プロレス・東京ドーム大会のメインで、IWGP王座の防衛戦に挑まねばならなかったのだ(相手は高山善廣)。当時、まだデビューして1年4か月。そして、右目が充血しまぶたが腫れ上がった状態の中邑だったが、高山をチキンウィング・アームロックで料理。実はこの直後に入院し、中期的な欠場となり、ベルトも返上してしまうのだが、ドームのメインの重責はしっかり果たして見せた。試合後、こんな風に語った。「死んでもいいと思った。どうしていいか分からないくらい嬉しい」……。

「試合中、『お母ちゃん、助けて!』と思ったのはあのドリー戦だけ」(馬場)


もちろん、過去のレジェンドたちの名勝負も。アントニオ猪木は、マサ斎藤との巌流島決戦(87年10月4日)で、2時間5分14秒の死闘を展開。客を入れず、巌流島の野原にリングを立てただけの試合だったが、終盤、うわごとのように、「死ぬまでやろう、男だったら」と斎藤に繰り返すのが集音マイクに入っている。斎藤も死力を尽くし、終盤は戦意喪失気味だったため、喝を入れた向きもあった。ジャイアント馬場は、70年7月30日、真夏の大阪府立体育会館でドリー・ファンク・ジュニアと60本3本勝負を戦った際の逸話が有名。1対1となった2本目までで45分40秒を要していたが、3本目は60分まで行かず、6分55秒、両者リングアウト。リング上の照明を含めれば、40度を超していた灼熱地獄の中、馬場は脱水症状を起こしており、強引に早めに引き分けに持ち込んだのだった。馬場は退場途中にあったボイラー室で倒れてしまい、意識不明に。当時、若手だった山本小鉄がホースで水をかけ続け、なんとか九死に一生を得たのだった。

ジュニアヘビー級時代の藤波辰己(現・辰爾)は、78年10月20日のチャボ・ゲレロ戦が有名(大阪・寝屋川市民体育館)。3本勝負の2本目にドラゴン・ロケット(トぺ・スイシーダ)をかわされ、場外の椅子の金具に額をぶつけ、大流血。なんとか2本目を取り返し1対1にしたが、実況アナが、「ものすごい血の量です。3本目は戦えません」というほどの出血に。ところが、この日はジュニアヘビー級にとって記念すべき日。当時の「ワールドプロレスリング」は金曜夜8時からの1時間番組だったのだが、試合は生中継。それも、新日本プロレス史上、初めてジュニアの試合がメインを飾る日だった。しかも、他の放映試合はなく、1時間、この藤波の試合だけというプログラムだった。よって、実況アナの言葉とは裏腹、裏では「なんとか試合を続けさせろ!」という局側の怒号が飛んでいたというから、ある意味怖い。結局、3本目は3分30秒で藤波が勝利したが、その後、10分以上、放映時間があまり、解説陣が長々と試合を振り返ることとなったのだった。

「俺しか背負えないでしょう」(オカダ・1月4日)


最後に試合とは違うが、思い出深いエピソードを。07年5月、魔界倶楽部の総裁としてお馴染みの星野勘太郎が、韓国でのプロレス興行に協力することになった。在日の2世である星野は語った。「昔は韓国でもプロレスが大人気だったんだよ。だから、もう一度、火を点けるのが俺の夢なんだ。これが成功したら、死んでもいいな」。

本年1月4日の試合後、オカダはマイクで叫んだ。「俺は新日本プロレスを背負ってんだよ!もっともっと大きくしてやるからな!」

プロレスに命を賭ける男たちの戦いを、本年も伝えて行きたい。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

コメント

最新のコメントに移動
  • フルタイムドローになった中邑真輔VS小島聡のシングルもお忘れなく。

    投稿者: 匿名 (2017/01/09 12:59) [通報]
    0 0
    賛成:0% / 反対:0%

    Loading...


  • オカダケニーはもう死闘の向こう側というか形容できない試合でした。
    今後この試合を超えていくのか?また別な角度からの試合になるのか?
    選手ごとのセンスになると思いますが、世界に対して新日本プロレスを見せつけましたね。
    オカダとケニーにはお疲れ様でしたと言ってあげたいです。

    投稿者: 匿名 (2017/01/09 13:55) [通報]
    0 0
    賛成:0% / 反対:0%

    Loading...


■おすすめ記事

新しいコメントを投稿する

 [PCから画像ファイルをアップロード]

関連付けられたタグ

なし
[タグを付ける]

<< 一覧に戻る

プロレスが好きな人はフォロー!
「ぼくらのプロレス」ならではの情報をお届けします。

ニュースランキング

スレッドランキング