2016/9/13 10:06

プロレスで一番驚いたことって?ある公園にある、馬場の記念碑!祝・名誉市民決定!ジャイアント馬場特集!

閲覧数:4208

プロレスで一番驚いたことって?ある公園にある、馬場の記念碑!祝・名誉市民決定!ジャイアント馬場特集!
5.0
最新のコメントに移動

■逝去した直後から、推す動きはあったが……。
さる9月5日、プロレス界に朗報が届いた。“世界の巨人”、ジャイアント馬場が、生まれ故郷、新潟県三条市の名誉市民に認定されたのだ。1994年ごろだったろうか、偶然、同地域のローカル番組にジャイアント馬場が出ており、「プロレスラーになって、驚いたこと」という質問にした回答が忘れられない。それは、(予想以上に儲かったことだろうか?一気に知名度が上がったことだろうか?)という筆者の予想を、遙かに超えていた。

「一番、驚いたこと?そりゃもう、凄く痛かったことですよねぇ」(馬場)

つまりは、地元というのは、素直にことが言える、気のおけない場所であるわけで……。数々の逸話に彩られて来た馬場だが、今回はこの地元でのエピソードを中心に、その人物像を辿りたい。

■「新潟のスポーツ展」(09年・新潟県立歴史博物館)では、馬場のリングシューズが目玉。
「ベストセラー第10位『人間・ジャイアント馬場』(インターワーク出版)」。05年1月23日付の、新潟県上越地区のベストセラーランキングである。他の地域ではわからないだろうが、地元での馬場の人気は、極めて高い。「県出身で、思い出される有名人」アンケートでは、田中角栄、小林幸子に次ぐ3位。(06年10月「スピードリサーチ社」調べ)同社の分析に、「県民性の反映か、庶民的・人情的で義理堅い人が上位に」とあり、プロレスファンなら、ハタと膝を打つのでは?03年3月には「ジャイアント馬場・メモリアル展」なる写真展が開催。(三条市「商売堂」)内容は、小学校時代の遠足の姿に、母との2ショットetc……。最初は馬場の同級生を中心に写真を集めていたのだが、噂を聞きつけた土地っ子が、「馬場さんの写真ならウチにもあるよ」と次々に持ち込んで来たのだという。その数、100枚超。天国の馬場にとっても、なんとも嬉しい反応だったに違いない。

■新潟で試合がある時は、常に次姉の家に泊まっていた馬場
当然、馬場自身も、地元のために幾肌も脱いでいる。94年10月には、東京駅で行われた新潟米の豊作を祝うイベントに登場。「タクアンとみそ汁と新潟米があれば、いくらでも食べられる!」と熱くアピール。実はこの時期になると、馬場の心中にも変化があった。「稲穂を干す『はさ木』という習慣が消えててね。昔はあれを見ると、新潟に帰って来たと思ったものだが……」

しかし、嬉しいことも。98年の新潟県長岡市の大会で、新幹線で会場入りした際、馬場は車内でシャケ弁当を食べた。すると、会場の控室にあったのも、シャケ弁当だったのである。しかし、馬場はそれを食して、ニンマリ。「やっぱり米と、シャケが違うよなあ~。子供のころと、この辺は変わってないよ」とご満悦だった。

64年に新潟地震の際には、まだ全日本プロレスを旗揚げしてなかったが、県民を励まそうと、自らの音頭で新潟大会を開催。収益金50万円、現在の価値に換算するとおよそ500万円を寄付した、同様の例で思い出されるが、95年の阪神大震災の際、馬場がすぐ現地に駆け付けたこと。公式発表では、元子夫人の実家復旧のためとされたが、実は全日本のファンクラブの会員の家を一軒一軒訪ね歩き、安否を確かめ、支援物資を渡していた。ほとんど知られてない事実だが、兵庫県明石市明石公園にある、震災を忘れぬよう建てられた句碑は、馬場の尽力で完成したもの。なぜこのことが余り知られてないのかというと、碑のどこにも、馬場の名が刻まれてないのだ。生来は照れ屋だった馬場らしい。僅かに、その碑の高さが、209cmであることが、彼をしのばせる。そう、馬場の身長と同じ高さなのだった。

■次男である馬場の実家は八百屋だったが……
最後に地元と言えば、やはり両親の話を。母のしつけは厳しかった。15歳年上に、長兄がいたが、戦死していたという。「その部分もあったんだろうね。雪の夜、サクッ、サクッと靴を踏む音がすると、『あの子が帰って来た』って言ってね」。当時も今も花形である、プロ野球の巨人軍に入っても、よく説教されたという。プロレス入りした際は、「母ちゃんが契約金を返す!」と猛反対。馬場は、「契約金なんて、ないよ」と、0からのスタートを正直に告白するしか無かった。「オフクロは、平仮名くらいしか読めなくてね。『新聞を読めるように勉強しろ』と、よく言われた」馬場がプロレス界屈指の読書家であることは、ファンならご存知だろう。

対して、父親の記憶はほとんどないという。「60年代の最初に、車に乗せて新潟から東京まで走ったことがある。田舎じゃ、まだ車が珍しかったから、乗って欲しかったんだけど、その時も何を話したか、覚えてないんだ」試合も一度も観に来なかったという。

「ただ覚えてるのは、小さい時、オヤジと海に行った時のこと。何10キロも歩いて、峠を越えると、サーッと日本海が広がる。オヤジのイメージって、それなんですよ……」

ジャイアント馬場は、99年1月に死去。3か月後に行われた「お別れの会」では、参列者に、馬場の描いた油絵をポストカードにしたものが配られた。それは、日本海の波打ち際を描いたものだった。

馬場の父は、68年に死去。亡くなった際、枕元には、馬場がチャンピオンベルトを巻いた写真が置いてあったという。

この記事を書いたライター: 瑞 佐富郎

コメント

最新のコメントに移動
  • いい話です。新潟県民として誇りに思います。中学生の頃、新潟市体育館に観戦に行って三沢選手のTシャツ買った際、売店で座っていた馬場さんに強制的にサイン書かれて複雑な気持ちになったのも良い思い出…

    ID:126731 [通報]
    (2016/9/13 19:17)
    0 0
    賛成:0% / 反対:0%

    Loading...


  • 新潟米の話、震災復興の話…どれも馬場さんの人柄がうかがえるエピソードですね。
    今回の名誉市民選出を機に、ファンが馬場さんと会える場所ができることを期待します。
    (元子さんの悪口を言うわけではないですが)現状、ファンは墓参りすらできないのですから。

    ID:9644 [通報]
    (2016/9/13 23:37)
    0 0
    賛成:0% / 反対:0%

    Loading...


  • 何時だったかの三沢、小橋vs 川田、田上の試合の解説席で実況中に馬場さんが泣いた試合。本当に選手の成長を喜んで感動してるのを感じた。今そんな感情持ってる社長はプロレス界には居ないですよね?馬場さんを悪く言う人も結構いますが人間なんで完璧なわけないですよね?悪く言う人は馬場さんを悪く言える位完璧な人間なんでしょうか??嫁やターザンとの関わりはたしかにアレですが人がいいだけでオレは尊厳する人です

    ID:126731 [通報]
    (2016/9/15 0:31)
    0 0
    賛成:0% / 反対:0%

    Loading...


  • カブキさんの自伝を読むと馬場さんって凄い守銭奴なイメージになります。
    出てくる度に金、金、金。
    正直読んでてゲンナリしました。

    確かに阪神淡路大震災の時も美談ではありますが、それはあくまでもファンクラブの人限定であって、「スポンサー」だから助けたという見方も出来ませんか?
    出資者だから助けた、それは経営者として正しいのでしょうが、そこで馬場さんは成人君主のように扱うのは私は少しシックリこない気もします。
    いつでしたか、かのキャピトル東急のオリガミで馬場さんにお会いしたとき第一声が、「ファンクラブの方?」と聞かれ、私が違いますが…と答えると「今忙しいから」とコーヒーを飲まれた事を思い出します。
    ファンクラブに入っていないのに声をかけてしまった私が間違っていたのでしょうか。

    ID:8913 [通報]
    (2016/9/23 18:47)
    0 0
    賛成:0% / 反対:0%

    Loading...


  • 馬場さんは金にうるさかったみたいですね。選手のグッズの売り上げのロイヤリティが入ってこなかったとか入っても大したことなかったとか。外国人には厚待遇やったみたいですが。

    ID:5984 [通報]
    (2016/9/25 22:09)
    0 0
    賛成:0% / 反対:0%

    Loading...


おすすめ記事

新しいコメントを投稿する

 [PCから画像ファイルをアップロード]

関連付けられたタグ

なし
[タグを付ける]

<< 一覧に戻る