2016/3/10 10:27

2009年8月の本間朋晃~「帰れ」コールを浴び続けた男が新日本プロレスで初めて「本間」コールが沸き起こったあの日~【ぼくらのプロレス物語】

閲覧数:2733

2009年8月の本間朋晃~「帰れ」コールを浴び続けた男が新日本プロレスで初めて「本間」コールが沸き起こったあの日~【ぼくらのプロレス物語】
5.0
最新のコメントに移動

1997年5月に大日本プロレスでデビューした本間朋晃は高校二年の時に新日本プロレスの入門テストに落ちたという苦い過去がある。

大日本でデスマッチ戦線を闘いながらも後輩達には「いつか新日本で闘うんだ」と語っていたという。

その後、全日本プロレス、フリーランスを経て2006年に新日本の別ブランド興業「LOCK UP」や「WRESTLE LAND」に参戦したことを機にいつの間にか新日本に常時上がるようになる。

2007年に極悪ユニット「G.B.H」の一員となった。
当時の本間の役割はユニットでは立場が一番下で、メンバーの試合に頻繁に介入する役割。
あまりにもしつこい介入し、ファンからは大ブーイングや「帰れ」コールを浴びるのが日常茶飯事となった。

元々100kgというジュニアとヘビーの境界線にいるような体型だったが、「G.B.H」入り後は肉体改造を図り、107kgまでウェイトアップしヒールとしての存在感を出すように心掛けた。
実はこの頃から声帯が潰れていたが、あまりコメントを出すことはなかったので、ハスキーボイスはまだ日の目を見ていなかった。

そんな本間にとって転機となったのは2009年4月のこと。
「G.B.H」の矢野通らがボスの真壁刀義を裏切り、中邑真輔と共に「CHAOS」を結成する。
ボスの真壁に追随したのは本間ただ一人だった。

矢野の裏切りに合い欠場していた真壁の帰りを本間はまるでご主人様のお帰りを待ち続ける忠犬ハチ公のように従順に待った。

「俺は、真壁(刀義)を待ってるから。俺には真壁がいる。今は欠場中かもしれねぇけど、帰ってきたら俺らの猛反撃 だよ。これからだよ、これから。俺と真壁は、色んな他団体に2人で殴り込んできた。ずっと一緒だったんだ。お前らとは違う。これから俺は……真壁とやってく!」

ボスの真壁が帰ってくると「G.B.H」は本間とのタッグチームとしてリスタートし、新日本隊と行動を共にするようになる。

そして、2009年8月のG1CLIMAXで真壁が中邑を破り、悲願の初優勝を果たした。
歓喜に浸る真壁はリング上でのインタビューでこう語った。

「ここまで上がって来るには、俺1人の力じゃどうにもなんねぇよ。だから、ある意味、本間のおかげもあるかもしれねぇな、オイ(ニヤリ)」

すると会場からは「本間」コールが沸き起こった。
新日本で生き残るために散々、ブーイングや「帰れ」コールを浴び続けた男に訪れたボスからの粋な計らい。

リングサイドにいた本間は照れくさそうに笑っていた。

あの日から7年後の2016年、本間朋晃は「みんなのこけし」として我々に幸せを提供している…。

この記事を書いたライター: ジャスト日本

コメント

最新のコメントに移動
  • 本間は良い、真壁と永くタッグチャンピオンでいてほしい❗

    ID:56054 [通報]
    (2016/3/18 15:46)
    0 0
    賛成:0% / 反対:0%

    Loading...


おすすめ記事

新しいコメントを投稿する

 [PCから画像ファイルをアップロード]

関連付けられたタグ

 新日本プロレス
[タグを付ける]

<< 一覧に戻る

プロレスが好きな人はフォロー!
「ぼくらのプロレス」ならではの情報をお届けします。