2016/3/8 8:03

新日本プロレスに初めて"有刺鉄線"を持ち込んだ男・中牧昭二のイッテンヨン伝説【ぼくらのプロレス物語】

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新日本プロレスに初めて"有刺鉄線"を持ち込んだ男・中牧昭二のイッテンヨン伝説【ぼくらのプロレス物語】
4.5

1999年4月東京ドーム、8月神宮球場、2000年7月横浜アリーナの過去三度行われた"邪道"大仁田厚が絡んだノーロープ有刺鉄線電流爆破デスマッチ。

だが、新日本プロレスに"電流爆破"という禁断の扉を開いたのが、"ミスター電流爆破"大仁田だが、"有刺鉄線"を初めて持ち込んだのは実は大仁田ではなかった。

1997年1月4日の新日本プロレス・東京ドーム大会。
今大会のテーマの一つが新日本プロレスと大日本プロレスの団体対抗戦。
その団体対抗戦の一試合として組まれたのが蝶野正洋VS中牧昭二だった。

蝶野は狼群団の頭領として新日本で悪の限りを尽くしていた。
一方の中牧は波乱万丈の人生を経ての晴れ舞台。まさか彼が新日本プロレスのリングに立つとは予想だにしなかった。

元々、中牧はプロレスラーになる前はスポーツ用品メーカーで販促部長というサラリーマンだった。だが、ある一冊を書いたことによって彼の人生は一変する。

『さらば桑田真澄、さらばプロ野球』

1990年に発売された中牧が書き上げたプロ野球の闇を暴露した一冊。
有名プロ野球選手の裏の顔を暴露してしまったこの一冊を書いたことによって彼は、世間から"嘘つき"と呼ばれ非難を浴びた。
やがて勤務していた会社を退職し、プロレスラーになることを決意する。

大仁田厚率いるFMWに入団。
1992年5月31日のターザン後藤戦でプロデビューする。
36歳の新人プロレスラーの得意技は頭突きだった。

だが中牧はしばらくするとFMWを退団し、W★INGやIWA JAPAN、大日本プロレスと団体を転々としていく。
中牧がキャリアを積んだプロレス団体はどれもデスマッチを売り物にしていた。
(IWA JAPANは団体創立当初はデスマッチ路線だった)
彼は幾度も凶器の餌食になってきた。
特に有刺鉄線ボードと呼ばれるアイテムには嫌になるほど彼はぶつけられてきた。
中牧にとっての有刺鉄線ボードは血と汗と涙が詰まった己自身の人生を象徴したアイテムだった。

蝶野戦が決まった時、中牧に迷いはなかった。

「あのメジャー団体・新日本プロレスに有刺鉄線ボードを持ち込む!」

東京ドームの花道を背中に有刺鉄線ボードを担ぎながら中牧が現れた。
「中牧昭二」と書かれた黒のTシャツと黒ジーンズのストリートファイトスタイルだ。
場内はブーイング。
セコンドには"血みどろブラザーズ"というコンビを組んでいた中牧のパートナーである山川竜司。
山川の手には有刺鉄線バットが握られていた。

だが、この試合のレフェリー・山本小鉄が、中牧の持ち込みを断固として許さない。
中牧と小鉄レフェリーの言い合いが続く中で、蝶野は姿を現した。
そして、中牧の横っ面を思いっきり張ったのだ。

実は蝶野はこの日はダブルヘッダー。
中牧戦が終わった後に数試合のインターバルを経て、IWGPタッグ戦を闘うことになっていた。
蝶野として中牧戦は何としても早く終わらせたい。

蝶野と中牧は花道で殴り合い、場外乱闘を繰り広げる。
数分が経過した後にリングに戻った二人。
ここでようやくゴングが鳴った。
場内は大「蝶野」コール。

蝶野は敢えて中牧の攻撃を受けた。
ショルダータックルや雪崩式ブレーンバスターを食らっても蝶野は平然と立ち上がる。
そしてロープに飛んで攻撃をしようとした中牧をカウンターのヤクザ・キック(ケンカ・キック)が炸裂し、カウント3。

試合時間は1分弱、蝶野の秒殺。
場内は大歓声に包まれた。

その後、蝶野はSTF、蝶野のセコンドに付いていたヒロ斎藤のセントーンが中牧を襲う。
中牧の実力からすると致し方ない。

だが、蝶野はここで退場するのではなく、中牧の領域に付き合うことにした。
中牧がリングに持ち込もうとした有刺鉄線ボードをリング上に持ち込んだのだ。

有刺鉄線を見ると何故か元気が出てきた中牧はラリアット連発で蝶野をダウンさせ、蝶野をコーナーに立てかけた有刺鉄線ボードに投げつけようとしたが、蝶野が振り返して逆に中牧を叩きつけた。
大破する有刺鉄線ボードと中牧の姿。

さらに有刺鉄線ボードの上に蝶野は中牧を雪崩式ブレーンバスターで叩きつけた。
セコンドにいた若手時代の永田裕志による目をひん剥いた驚きの表情が、その衝撃を物語る。

ようやくリングを降りた蝶野。
彼は「相手がワルツを踊れば、自分はワルツを踊る」という伝説の世界王者ニック・ボックウィンクルの哲学を見事に実践して見せた。

蝶野は去った。
だが中牧は驚きの行動に出る。

黒のTシャツを脱いだ上半身裸になった中牧は壊れた有刺鉄線ボードに後ろ受け身を取ったのだ。
場内はブーイングと困惑ムードに包まれた。
それでも中牧には関係がない。
己の刻印を新日本に刻むことが大切だった。
リングを降りた中牧はどこか満足気だった。

新日本プロレスに初めて"有刺鉄線"を持ち込んだ男。
その男の存在を全否定せずに、受け入れた蝶野正洋と新日本プロレス。
中牧昭二のイッテンヨン伝説は血と汗と涙と人情に包まれている…。

この記事を書いたライター: ジャスト日本

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