2016/2/29 21:02

1995年1月東京ドーム、そこには"燃えない闘魂"アントニオ猪木がいた【ぼくらのプロレス物語】

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1995年1月東京ドーム、そこには"燃えない闘魂"アントニオ猪木がいた【ぼくらのプロレス物語】
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"燃える闘魂"アントニオ猪木の功績についてもはや説明不要である。
プロレスの枠を越えた20世紀のスーパースターである。

そんな猪木は1994年から「INOKI FINAL COUT DOWN」という引退までの花道を想定した闘いを繰り広げた。
第1戦は"平成の悪魔"グレート・ムタと刺激的な初遭遇を果たし、逆転勝ち。
第2戦ではかつて伝説の異種格闘技戦を演じた"オランダの柔道王"ウィレム・ルスカとの試合では、ルスカに絞め落とされるも、セコンドの長州力のビンタで目を覚めた猪木が逆転勝ちを収めた。

1995年1月4日東京ドーム大会。
このビッグイベントで「INOKI FINAL COUT DOWN」第3戦が行われた。
「BVD杯・格闘技トーナメント」を銘打たれたワンデートーナメントが開催された。
参加メンバーは猪木のほかに、第1回UFC準優勝の"オランダの喧嘩屋"ジェラルド・ゴルドー、元WCW世界ヘビー級王者の"アメリカン・プロレスのスーパースター"スティング、キックボクサーの"モンスターマンの弟子"トニー・パルモラの4名。
当時の猪木は51歳。
体力的な不安を抱えていた。

格闘技トーナメントの1回戦が始まった。
猪木はゴルドーと対戦した。
ゴルドーは猪木を下段蹴り(ローキック)や胸板への正拳突きで猪木を追い込むも、一瞬の隙をついてもスリーパー・ホールドで辛くも勝利を果たす。

格闘技トーナメント決勝戦。
猪木は1回戦でトニー・パルモラをサソリ固めで破ったスティングと対戦した。
その試合前から異変が起こっていた。
猪木の入場時でのことだ。
東京ドームの長い花道を歩いている途中に2度もヒザをまずいて動けなくなってしまったのだ。
実はゴルドーの下段蹴りで猪木は左足を痛めていたのだ。

観客は猪木の"見たくない"姿を見て唖然としていた。

試合もスティングに一方的に攻められた。
STF、サソリ固め、片逆エビ固めで猪木はスティングに徹底的に左足を攻められた。
しかし、最後はスティングのオクラホマ・スタンピードを切り返してのスリーパー・ホールドで逆転勝ち。
猪木はこのスティング戦で見せた攻撃はこのスリーパーぐらいだった。

試合後、猪木はこう語ったという。

「もう潮時かもしれない…」

1995年1月4日、この日の猪木は"燃えない闘魂"で終わった。

そんな猪木は1988年4月4日、東京ドーム大会で引退した。
猪木は花道に現れたコロッセオが描かれた巨大なパネルの中で満面の笑みを浮かべ、両手を上げていた…。

あの満面の笑みの意味は何だったのか?
"燃えない闘魂"となった意味は何だったのか?

アントニオ猪木はいつも我々に難解な謎かけをしつづけてきたのかもしれない…。

この記事を書いたライター: ジャスト日本

コメント

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  • 94年からカウントダウン始めて88年に引退…まさか西暦までカウントダウンさせるとは…ジーザス!!

    アントニオ猪木の謎かけは難解過ぎて誰にも解けないよね

    ID:351839 [通報]
    (2016/3/1 0:30)
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  • 何だこの低レベルな記事はwww

    ID:114760 [通報]
    (2016/3/2 19:09)
    0 0
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